第十二話 白鬼と対峙 2

 踏み込んだ刹那、空が反転した。白嶺が舞う。


 その動きは美麗であり、無駄や隙を感じさせない。


 これが鬼であるか? 拙者は瞬きもせずに刀を振るった。


 骨が軋む。筋が悲鳴をあげる。それでも構わぬ。


 ああ、限界を超えた一撃。


 この一撃を、生き物に放ったのはいつぶりだろうか?


 白嶺の袖がふわりと揺れる。


 その瞬間、天地の音が失せた。


 風が息を止め、木々が震えを忘れた。


 白嶺から重力が狂い、時間がまばたきをやめる。


「お前、なんや? どうすればその歳で、そこまでの剣術が使える?」


 白嶺の問いかけに心が震える。


「刃、あいつの動きがヤバいわ。あれは私たちだけじゃ!」


 小夜の声が聞こえた気がした。だが、もう耳には届かない。


 この空間はいくさのためにある。


 白嶺が微笑んだ。鬼が舞台に降りた。


 人の血の色を忘れた瞳が、刃を映す。


「拙者は、暁刃。今より貴殿を切る者だ。いざ」

「はは……不思議やな。お前は鬼の見た目はしとらへんのに、その心はウチらに近い。見せてもらおか、男の舞いを」

「うおおおおおお!!!」


 拙者は吼えた。


 喉の奥を焦がすような叫び。


 咆哮ではない、祈りでもない。これは渇きだ……。


 ずっと、輪廻転生を果たしてからの十年間。


 好敵手を、強者を、剣を交えられる相手を求めていた。


 強者を斬るためだけに、積み上げた祈刀の意志。


 刀が、鳴いた。


 夜を割れ、音を裂き、拝殿の床が真一文字に崩れる。


「刃!」

「小夜殿は、下がっていてくれ。拙者がダメな時には連絡を頼み申す」


 拙者の全力の一撃を受けても、白嶺は笑っていた。


「よう響くなあ、その刀」


 白嶺の掌がかすかに動く。


 何かが砕ける音がした。


 視界が、白に染まった。


 拙者の肩が裂けた。皮膚が弾け、肉が巻き上がる。


 痛みは、遅れてやってきた。


 小夜が叫んでいた。声が風に乗って聞こえてくるが、だが、拙者はその声に背を向けた。


 恐怖はない。これは歓喜。


 目の前に、最強の敵がいる。ただそれだけの世界。


 血を吐きながら、拙者は笑った。


 この瞬間のために、生きてきた。


 闇が裂けた。


 いや、自らの体から溢れ出す闇が、我が身を包み込む。


 エグれた方が闇に包み込まれ、白嶺の攻撃から守る鎧へ変化する。


 

 拙者の一太刀を、白嶺は指先で受け流した。



 何もなかった。打撃の衝撃も、剣が肉を割く手応えもない。だが、確かに斬ったはずなのだ。


 斬撃が、世界に届かない?


「面白いなぁ〜はよ次ん斬ってみ」


 艶やかに微笑む鬼が、地を蹴った。


 しかし、見えた。


 白嶺の額に滲む汗を……。


 その脚は音を立てず、拝殿の床を滑るように走る。


 軌跡がない。ただ一瞬後、拙者の背後で風が爆ぜた。


 殺気。


 それだけで、血が吹き上がる。


 肩が裂け、視界が揺らぐ。


 集中を逆手に取られた。


 だが、恐怖はない。むしろ、愉悦すら芽吹く。


 拙者は後ろを取られたまま、半身を捩じって魔刀で薙ぎ払う。


 風を切った一撃が、白嶺の胸元へ届く。


 届いた。だが。


「おおきに」


 その声とともに、白嶺の身体が霧散した。幻? 否、空間が彼を斬らせてくれぬ。


 刹那、背後から爪が喉元を撫でる。


 拙者は反射で仰け反り、喉を裂かれる一歩手前で横へ跳ぶ。


 空気が追ってくる。


 刃ではない。空間そのものが切られているのだ。


 避けきれぬ。ならば、受けるしかない。


 拙者は両足を地に叩きつけるように踏みしめ、魔刀を逆手に構えた。


「──ッ!!」


 雷鳴のような轟音が、社を震わせた。


「下段、雷」


 斬撃が拝殿を吹き飛ばし、空間の罅が木々へと走る。


 刃を受けきったはずの腕が、肩からぶらりと垂れ下がった。


 骨が折れ、筋が断たれ、皮膚が裂けた。


 もしも、魔の鎧がなければ、半身が吹き飛んでいた。


 ああ、楽しい。


「あはははははは!!!」


 拙者は笑っていた。


 嬉しかった。ようやく巡り会えたのだ。


 理を超えた「最強」と。


 血を撒き散らしながらも、もう一歩を踏み込む。


「な……なにをしているの……っ、あなた、死ぬわよ……!!」


 小夜の叫びが、遠い。


 小夜の剣では、あの白嶺に届かない。


 彼女はもう、戦いの場にすら立っていない。


 拙者と白嶺。ふたりだけの舞台。


 血の床を滑るように、拙者は斬りかかる。


 連撃、連撃、連撃。


 一手ごとに白嶺が後ろへ流れる。


 指先一つで斬撃をいなし、衣の袖だけを裂かせるような攻防。


 だが、拙者の目は、確かに捉えていた。


(……この鬼、愉しんでいる)


 そう、今この戦いは、美しき死の舞踏。


 互いの奥義が火花を散らし、残像すらも幻想と化す。


 だが、追いつく! もう一手、もう半手、深く踏み込めば。


 そう思った瞬間だった。


 白嶺が笑った。


「ほな、お返しや、いくで」


 刹那、世界が折れた。


 拙者の視界が、三重に歪む。


 白嶺が三人。否、違う。


 これは術だ。分裂ではない、存在が重なっている。


 足がもつれた。


 手が、剣を握り直す前に、視界のひとつが紅に染まる。


 刺された? 腹の奥に、熱いものが滲む。


 血だと知るより先に、拙者は前へ飛んだ。


 命を削っても、斬り結ばねば。


 それが、武士もののふという生き方だ。


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