43話 五年後
それから、五年の月日が流れた。
「就職したのはいいんですけど、薄給で奨学金の返済に困ってて……」
「大変だよね。まずはここの相談センターに連絡して、救済制度が使えるか確認してみて。それでも駄目なら弁護士事務所を紹介するから」
しおりはNPO法人を立ち上げ、悩みを抱えた学生や新社会人に適切な行政機関や各種団体を紹介する仕事を手掛けていた。
事務や会計など少人数のメンバーと共に、しおりは事業のメインである相談員を担当していた。
「ありがとうございます。やってみます」
少しだけ明るい表情になった相談者を見送ると、しおりは大きく伸びをした。
「んーっ、今日もよく働いたなー」
パリッとしたスーツを身に纏いつつ、椅子の座面をくるりと一回転させて。
「さて、それじゃ行きますか。皆んな、お先でーす!」
周りのメンバーに声かけて椅子から立ち上がり、しおりは外へ出かける準備を始める。
久しぶりに見せたいものがある――そう語った元教え子の連絡で今日は集まることになっていたのだ。
会社から五分ほどの近場に出来たケーキ屋さんが、忙しくも充実した日々を送るしおりの癒やしだった。
店名は『cafe HIIRAGI』。どこか使用人じみた美しい所作が評判のパティシェが手掛けるケーキは人気を博していた。
「お、いたいた」
しおりが店のテラス席に近づくと、待ち合わせていた二人の人物がしおりに手を振ってみせる。
「しおり、久しぶりー!」
「雪村……さん、ちっす」
かつてしおりが家庭教師を務めていた頃に時間を共にした、夏川茜と篠杜広明は大学三年生になっていた。
「久しぶり、二人とも早かったね」
「大学のゼミがたまたま早く終わっちゃってさ、そしたらヒロも暇してそうだったから連れてきちゃった」
「俺は建築の課題を提出して飯にしようと思ってたんだ。暇じゃなくて拉致られたんだ」
「まーまー、だからこのカフェに来たわけだし、食べてけばいいじゃん!」
懐かしい軽口のやり取りに時間が巻き戻ったような気がして、しおりは微笑ましくなった。
「しおりは仕事どう? やっぱり忙しい?」
「んー、ぼちぼちかな。でも結構向いてると思ってるよ、自分では。二人も何か困ったことがあったらおいでね」
「困ったことねー……ウチの大学、男連中が総じてだらしないってことが悩みかな、あはは」
軽く笑って、茜はメニューを眺めながら感嘆の声を上げる。
「ここって、あの柊さんがプロデュースしたお店なんだよね? 西園寺のお家で食べたお菓子、確かに美味しかったなー」
「うん。あの頃から少しずつパティシェを目指してたみたい」
「そうなんだ! じゃあ夢叶ったりだね」
そんな会話を交わしていると、一人の店員がテーブルに近づいてきた。
「お客様。こちらサービスドリンクでございます」
「え、頼んでないけど……って、あ!」
茜の驚き声に全員の視線が集まる。
完璧な所作でハーブティーを三人に配って回る店員――柊は、優雅に微笑んでみせた。
「お久しぶりです、皆様。どうぞごゆるりと、ご歓談をお楽しみ下さいませ」
一礼し、柊はすぐに戻っていった。
「パティシェの格好してたけど、全然違和感なかったね。さすが!」
使用人として身につけたスキルは、彼女の新しい装いをしっかりと支えていた。
そして、三人がハーブティーに口をつけようとすると――
「……みんな、遅くなってごめん」
最後の一人が大きな荷物を抱えて登場した。
「西園寺くん!」
「西園寺……いや、西園寺取締役、久しぶりだな!」
「取締役はやめてよ、篠杜」
西園寺拓人は、西園寺グループの正式な継承者となった。トップは宗一郎のまま変わらず、まずは取締役からスタートという形になったことは、ニュースでも大きく報道されていた。
「遅くなった理由は、これを用意してたからなんだ」
席につくと、拓人は荷物の中から分厚い書類を取り出し、広げてみせる。
「……先生、僕の権限で先生のNPO法人に法人寄付を申し出たいんだ」
「……えっ!?」
しおりにとっては寝耳に水な話だった。
「先生の法人は株式会社じゃないし、資本提携はまだ出来ないから。今はこの形が一番いいかなって」
「き、寄付って……」
しおりは拓人が広げた契約書の金額を見て、驚愕の声を上げた。
「こ、こんなに!? いいの、大丈夫!?」
「父の許可はちゃんともらってるよ。前向きに考えてほしいな」
そして、拓人はもう一つの荷物を取り出した。それは――
「わー、懐かしい!」
「おお、コイツをまた見られるとはな」
口々に喜びの声が上がったのは、この四人で作成に取り組んだ花図鑑であった。
「頁が増えたから二冊目も作ったんだ。家の書庫にこの花図鑑の背表紙を作る専用のスペースもできたんだ」
嬉しそうに語る拓人の様子に、しおりも自然と笑みが溢れた。
「ねえ拓人、見てもいい?」
「勿論、そのために持ってきたからね」
しおりが花図鑑を開くと、五年の月日と共に知らない頁がたくさん増えていた。何よりも、花だけでなく子猫など他のモチーフも一緒に描かれていた。
「花じゃないけど、よく庭園を走り回ってるから描きたくなってさ」
拓人の話を聞きながら頁をめくっていくと、しおりの手がある頁で止まる。
そこには、色とりどりのカンパニュラの花が力強く描かれており、その脇には……一葉のクローバーが添えられていた。
「……!」
一同は顔を見合わせると、各々手帳等に保存していたクローバーの葉を取り出し――
図鑑のクローバーに近づけて、四つ葉を完成させた。
ちりん、ちりん……。
どこか懐かしくて温かな音色が、しおりには聞こえた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます