21話 告白

 放課後の工作室に花図鑑メンバーの四人が集まり、各々の作業を始めようとした時のこと。

 開口一番、茜が申し訳無さそうに話し始めた。

「えっと……今日せっかくこうやって集まってもらって、ちょっと悪いなーとは思うんだけど……」

 歯切れの悪い言葉を並べ、茜は俯きながら指先をくるくると回していた。

「どうした茜、急用とかか?」

 篠杜の言葉に茜は「そんなに大したことじゃないんだけど」と前置きして、呟いた。

「……やっぱりこうして出来上がってくると、西園寺くんの絵って凄いなって思って。確かにこうして印刷されてるだけでも凄さは伝わるんだけど……」

 それから茜は、意を決したように言い切った。

「できれば、この絵の元絵を見たいなって……その絵がデジタルになって、印刷されてるとこも一度見てたくて……西園寺くん、駄目かな?」

 少し震えた声で、茜は遠慮がちに拓人の目を見つめた。

 拓人は少し困惑した様子をみせ、しおりにどうすべきか問うような目を向ける。

 おそらく編集長としての意見を求められるのだと思い、しおりが喋りかけようとした時だった。

「それ俺も思ってたわ! いい紙使って印刷してるとこもプロっぽいし、俺も興味ある。どうだ、西園寺?」

 畳み掛けるような篠杜の発言に、茜もつられるようにして慌てた様子で言葉を紡いだ。

「だ、だよね、ヒロもそう思うよね。うん、そういうわけで、西園寺くんさえよければ、この後見せてもらいたくて……」

 二人からのお願いに、拓人はどう返していいか少し迷った様子を見せ、やがて口を開いた。

「……僕は構わないよ。二人にはずっと頑張ってもらってきたし、ゆっくりする日があってもいいと思う。先生も、それでいいかな?」

「う、うん。私もいいと思うよ」

「じゃあ、今日は各自荷物をまとめて、僕の家に向かおうか」

 拓人の言葉で四人は各々広げていた荷物を片付け始める。

 その中で、しおりは茜のどこか浮かない表情がずっと気になっていた。

 先日、茜が涙と共に零した気持ちに何か関係があるような気がして、しおりの胸をざわつかせた。

 

「あら、今日は賑やかね」

 西園寺邸の玄関先で、瑞希はにこやかに四人を迎えた。

「はい、西園寺くんのお母さん。またお邪魔してます」

「夏川さんでしたっけ? 今日も楽しんでいってくださいね」

 瑞希の言葉に茜は一瞬笑顔を固まらせたが、はいと元気よく答えてみせた。

「……なんつーか……本当に西園寺ってすごいんだな」

 篠杜は庭園や家を見渡して、やや不格好な感想を口にする。

 後ろに控える柊に瑞希は目配せしつつ、拓人に訊ねた。

「後で皆さんにお菓子をお持ちするわね……拓人、どこに持っていったらいいかしら?」

「今日はアトリエ部屋に集まろうと思うから、そこにお願いできるかな」

 拓人の言葉に、柊は軽く会釈するとその場を離れていった。

「それじゃ二人とも、ついてきて」

 拓人は茜と篠杜に向けて軽く振り返るとアトリエまで移動し、中へと迎え入れた。

「「おおー……」」

 茜と篠杜はアトリエの様子に声をハモらせて感嘆した。

「……こういう部屋って漫画とかでしか見たことなかったけど、実在するんだね」

 拓人はただ物が多いだけだよ、と答えつつ何枚か絵を取り出して、スキャナーに取り込ませる準備を済ませていった。

「残りの絵を印刷しておくから、二人は少し眺めてて。僕は着替えたり荷物を取りに行ったりしてくるよ。先生、荷物運びを少し手伝ってもらえないかな」

「あ、うん」

 拓人に誘われてしおりはアトリエを退室し――茜と篠杜の二人が残される。

「……ほんとに、来ちゃった」

 ぽつりと呟いた茜の言葉に、篠杜は首を捻った。

「? お前が来たいって言ったんだし、いいことじゃねえか」

「う、うん。そうだよね……そうなんだけど」

 拓人がセットしていった絵が軽やかな電子音と共にスキャンされていく。

「……茜。さっきからソワソワしてるが大丈夫か?」

「へっ!? そ、そりゃこんなの中々見られるもんじゃないし、すごいなーって」

「まあ、確かにな」

「そっ、それよりヒロはさ、一回ちゃんと庭園の花を眺めに行ってみたら? アレだって滅多に見られるもんじゃないんだからさ」

「そう言われても俺、花なんてよく分かんねえし、こっちも見てえし……」

 渋る篠杜に茜はムッとしてみせた。

「と、とにかく! 私は前来た時に一回見て回って来たからさ、私のことは気にしないで行ってきなってば、勿体ないよ」

「お、おう……そこまで茜が言うなら見てくるよ」

「……鈍いんだから、バカ……」

 篠杜に聞こえないよう、茜は小さく呟いた。

 やがて篠杜と入れ替わりで印刷機の前にしおりと拓人が戻る。

「あれ、篠杜くんは?」

 しおりの疑問に、茜はなんでもないかのような表情で答えた。

「せっかくだから一度庭園を見に行くって言って、外に向かったよ」

「そうなんだ、ちょっと意外」

 しおりは拓人に頼まれて運んだ荷物を置き、茜が作ってくれた表紙の装丁について話そうとした。

「あ……」

 言いかけて。

 しおりは、茜がただならぬ気配で拓人を見つめていることを感じ取った。茜がどんな気持ちで今ここにいるのか、少し分かったような気がした。

 そして、自分はこの場に居てはいけない気がして。

「……あ、と、そういえば柊さんにお菓子を貰って来なきゃいけなかったんだ。じゃ、じゃあそういうわけだから、しばらく席を外すね」

 適当な口実をつけて、しおりも部屋を出た。

 しおりが庭園に出ると、篠杜が花の前で何やら呟いているのが遠目に見えた。しばらく庭園を散策して、花じいに会えないかなと歩き続けるも、書庫の方に行ってしまっているのか、遭遇することはなかった。

――茜はきっと、拓人に気持ちを伝えようと思ってここに来たんだ。

 拙い経験と推測の中で、しおりはそう結論づけた。最初に茜がここに来たのも、拓人と話すきっかけが欲しかったのだと彼女は語っていた。それならきっと今回も、ただ絵が印刷されるところを見たい――なんて、言葉通りの理由だけでここに来たわけではないのだろう。

 自分に何か出来ることがあるのか、しおりには分からなかった。

 でも、自分を友人と言ってくれた茜を応援したい、その気持ちだけは確かだった。好きな相手に気持ちを伝えるのが難しいということはしおりにも理解できた。

 今はきっと……全てが上手くいってほしいと、願うしかないのだろう。

 しおりは庭園を一周して、再びアトリエ部屋に戻ろうとした。

「……」

 すると、アトリエ部屋に続く廊下の途中で、一人の少女が立ち尽くしていることにしおりは気付いた。

 所在なげに遠くを見つめるその人物は……茜だった。

「茜」

「……っ!」

 茜はしおりの姿を見つけると、無言のまましおりに駆け寄り、その勢いのまま胸元に抱きついた。

「……っ……ぁ……」

 小さく肩を震わせ、茜は何かに耐えるかのように強く、しがみつくようにしおりを抱きしめて離さない。

 茜のぐぐもった嗚咽がしおりの身体に何度も、何度も響いた。

 しおりは拓人と二人きりの空間で彼女が何を伝えて、どうなったのかを……察してしまった。そして、茜がこれまで見せたことのない弱さを、脆さを受け止めきることがしおりにはできなくて。

 ただ不器用に、彼女の背中をそっと撫でることしかできなかった。

「……私ね、がんばったんだよ……ほんとうに、がんばったんだよ……」

 ただそれだけを、うわ言のように茜は繰り返して、しおりから力なく離れた。

「……ごめん……今日はもうひどい顔、してるから、帰るね……大丈夫、明日はちゃんと学校、行くから……ヒロには適当にうまく言っておいて、お願い」

 そう言い残して出口へと歩き出していく茜に、何か気の利いた言葉の一つをかけることもできず。

 しおりはただ、見送ることしかできなかった。

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