(2)悲劇と謎

 そろそろ縁談をまとめねばならない時期がきていたが、殿様は決めきれずにいた。

 どこの藩主に嫁がせれば、姫にとって最も幸せなのか。

 いや、いっそのこと、手元に置いて婿を迎えるべきだろうか。

 いずれにせよ、姫が豊かで幸福でなければならぬ。

 

 ところが、殿様が悩んでいる間に、悲劇は起きてしまう。


 城の広大な庭で散策を楽しんでいた白百合姫は、大きな池のほとりにいた。

 池には、殿様ご自慢の魚たちが優雅に泳いでいる。

 この魚たちに手ずから餌を与えることを、姫君はいつも楽しみにしていた。

 大きな岩や石を置いて作られた池の水際ぎりぎりのところに膝を折ってしゃがみ、餌をぱらぱらと撒く姫君。

 それは、いつもの光景のはずだった。


 ばしゃんっ。

 大きな水音がして、供の者たちが姫君のほうを見た時には、姫君は岩の上に倒れていた。

 魚が跳ね上がり、その水飛沫を避けようとした姫君が足を滑らせたのだった。

 供の者たちが慌てて駆け寄って、その身を起こすと姫君は照れたように笑って言った。

 「大事ない。心配せずとも良い」

 皆の心配をよそに、姫君はいつも通りの様子であった。


 しかし、次の朝。

 「姫君がっ! 白百合姫様が……」

 姫君のお付きの者が言葉も上手く出せずに、カガミの部屋へ飛び込んできた。

 カガミが姫君の部屋へと急いでみると、姫君は息をしていなかった。


 知らせを受けて、殿様が姫君の元へと駆けつけてきた。

 眠ったようにも見える姿で、けれど目を覚まさない姫君を見た殿様は、その場で気を失ってしまった。

 姫君が息を引き取っただけでも恐ろしいできごとなのに、頼みの殿様すら倒れてしまっては、この藩はどうなってしまうのか。

 誰か藩主代理になる者を探すべきなのか。

 城内は騒然としてしまう。


 さっそく殿様の側近たちが参集して、話し合いを始めようとしていた。

 すると、人払いをしたはずの廊下がやけに騒がしい。

 側近のひとりが、障子をガラリと開け放ち叱り声を飛ばす。

 「何事か! 今は喫緊の話し合いの最中ぞ。人払いを命じたではないか!」

 「はて? 喫緊の話し合いの予定などあったかのう?」

 そう言って、部屋に入ってきたのは、倒れたはずの殿様その人であった。


 「殿! お加減はもう宜しいのでございますか?」

 殿様の突然の登場に、場の空気は凍りついたようになった。

 姫君の今後のことなど、まったく話し合えていなかったからである。

 「ん? 加減とな? あぁ、今朝は少し遅めの起床になってすまぬな。

  とはいえ、そのような嫌味を言うものではないぞ。はっはっは!」

 噛み合わない会話に、側近たちはどう答えて良いものか分からず、ギクシャクしてしまう。


 「殿……、姫君のことでございますが……」

 「うん。姫がいかがした? 今朝も麗しく健やかであったぞ。

  それとも縁談のことか? それならば、未だ決めかねていてのぅ。

  しばし待て。大事な姫のことゆえ、致し方あるまい」

 「は? ……ははぁ。かしこまりましてございます」

 側近たちは、顔を見合わせて目配せをすると、その場を辞した。


 「おい! どういうことだ?

  姫君は息を吹き返されたとでもいうのか?」

 廊下を小走りで姫君の部屋へと急ぎつつも、側近たちは戸惑いながら話す。

 「そんなはずは……。お匙も息をしておらぬと……」

 「いやいや、殿も確認されたからこそ、お倒れになったのだろう」

 「とりあえずは、姫君の様子を見にいかねばなりますまい」


 姫君の部屋の前に側近たちが着くと、そこは先ほどまでと変わらず、深い悲しみに暮れる人々で埋め尽くされていた。

 奥を取り仕切っているカガミを呼び出すと、事情を説明した。

 「姫君は息を吹き返してなど、ございません。

  その後、殿様はこちらにいらしてはおりませぬが……」

 カガミも戸惑った様子で、答える。

 側近たちは、急ぎ、お匙を殿様の元へと向かわせることにした。


 殿様の様子と体の調子を確かめたお匙は、側近たちに向かってこう言った。

 「殿様は、お体に異変はなく、健やかでございます。

  しかし、気のほうに問題が。

  姫君が息を引き取ったということをまったく覚えておられないのでございます」

 その場にいた者たちは、皆一様に驚いて、言葉が出ない。

 かろうじて、カガミがお匙に問う。

 「姫君のほうも、いささか問題があるとのこと。

  どういった問題なのです?」

 側近たちが飛び込んでくるまでは、お匙はカガミと姫君の異変について話していたのであった。

 「えぇ、その通りにございます。

  姫君はたしかに息をしておらず、脈も触れませぬ。

  けれど、未だ頬は桃色のまま、肌艶も失われずにおられる。

  わたくしの知る医術の範ちゅうには無い事柄にございます。

  それゆえ、いかがしたものかと……」

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