第18話 合宿二日目:貴族の卵たちの本質と俺の葛藤
箱根の別荘での合宿二日目。朝食後、俺たちは、昨日行われたキャリア官僚による講演会を受けてのディスカッションに臨んでいた。
会場となっている広々としたラウンジには、まだ声変わりもしていないような中学生たちのものとは思えない、年齢不相応の知的な熱気が満ちている。
どの生徒も、躊躇なく発言し、鋭い分析と意見をぶつけ合っていた。
正直なところ、俺は彼らを少しばかり侮っていた節がある。
「所詮は貴族の坊ちゃん嬢ちゃん連中、親の威光で守られた箱入りにすぎない」と、高を括っていたのだ。
しかし、その思いは数分で打ち砕かれた。
議論の内容は、日本の財政構造から米中関係、さらには東南アジアにおける影響力争いといった地政学の話題にまで及ぶ。
驚くべきことに、彼らはただ知識を披露しているわけではない。
そこには、情報をもとに自らの視点で組み立てた意見があり、明確な問題意識とビジョンがあった。
もちろん、現役の証券マンである俺から見れば、突っ込みどころもある。
リスクの認識が甘いし、実務的な視点に欠けている分析も多い。
それでもなお、彼らの理解の深さと思考の鋭さには目を見張るものがある。
この年齢でここまでの議論ができるのかと、舌を巻かずにはいられなかった。
この世界の指導者の卵たちは、やはり尋常ではない。
生まれながらにしてこの国の命運を背負うことを運命づけられた存在。
彼らに施される教育の密度と質が、いかに高度で徹底しているかが、この短時間のディスカッションだけでもはっきりと伝わってくる。
それだけに、俺にはひとつ、どうしても理解できない矛盾があった。
――なぜ、彼らが成長すると、口を閉ざし、現状を肯定し、破滅に至る経済と社会構造をそのままにしておくのか。
いま、彼らはこの場で、データと数字を操り、世界情勢を正確に読み解き、日本の行く末を真剣に語っている。
それなのに、大人になると急に口を噤み、改革の必要性すら口にしなくなるのは、いったいどういうことだ?
おそらく、実際に権力を持ち、自分自身の利益が絡んでくると、立場が縛りとなるのだろう。
既得権益という鎖がその足を絡め取り、過去の成功体験という幻影が判断を鈍らせる。
そして、破滅の足音が近づいていても、「誰かが何とかしてくれるだろう」と他人事のように振る舞い、沈みゆく船に乗り続ける。
だが、俺はもう傍観者ではいられない。
この先に待つのは――**『日本潰し』**だ。
冗談でも陰謀論でもない。
あの夜、俺がかつての仲間から耳にした話。
表向きには経済合理性の名のもとに、裏ではこの国を意図的に弱体化させるために組まれた冷酷な構造。
そして、それに加担するのは、皮肉にもこの国のエリートたち自身なのだ。
俺の心の奥には、いつからか染みついた冷淡な感情がある。
「この社会が大ダメージを受けようとも、自分さえ無事なら構わない」という考え。
過去に裏切られ、損をし、見下されてきた経験が、それを正当化してきた。
だが、それとは別に、もっと深く渦巻く感情がある。
――この国を壊そうとしている者たち、そしてそれに加担する者たちを、許してはならない。
俺は、復讐をしたい。徹底的に。
けれど、それはただ眺めているだけでは果たせない。
もっと深く、彼らの中に入り込み、彼らの手法を利用し、その中から仕組みごと引きずり出し、壊さなければならない。
そのためには、こうした場で、彼らの「本質」を知ることもまた、必要不可欠なのだ。
そう考えて周囲を見渡した時、一人の少女の姿が目に留まった。
白麗渚――貴族家系の女子生徒のひとり。
だが、彼女の立ち位置は少し特殊だった。
白麗家は仙台を拠点とする地方財閥であり、東京には渚とその母、そしてほんの数名の家人しか住んでいない。
東京の伯爵家という体裁こそあれ、実態としては本家の傘下で冷遇されているようなものだ。
話を聞けば、渚は家内でもまるで腫れ物に触るように扱われているという。
使用人たちですら彼女に深く関わろうとはせず、母親も形式的な接触以上のことはしない。
まるで「存在しなければよかった」というような、透明人間のような扱いだった。
理由はおそらく、彼女の存在が「閨閥構築のための駒」としてしか見なされていないからだろう。
血統を活かすための婚姻戦略のパーツ――そのために、東京の社交界に置かれ、形式的な教育と付き合いをこなす。
意思や感情など無用とばかりに。
それでも渚は、まっすぐな目をしていた。
議論に加わる際の発言は控えめだが、その内容には、他の生徒とは異なる種類の誠実さがあった。
彼女は与えられた立場や権威を盾にせず、自分自身の頭で考え、自分の言葉で話そうとしていた。
その姿に、俺は少しだけ救われるような思いがした。
この世界にも、まだ、理想を諦めていない者がいる――。
ディスカッションは昼食を挟んで午後まで続いた。
テーマは段階的に具体性を増し、最終的には、今年の秋に予定されている学園祭の出し物に繋がる企画として昇華されていく。
生徒たちは、各自の得意分野や興味に応じてグループを作り、それぞれの役割を担い始めていた。
資料作成を担う者、舞台演出を考える者、プレゼンテーションの構成を練る者――驚くべきことに、全ての作業が自主的に、自然発生的に進められていた。
俺はその光景を見ながら、渚が資料を整理している姿にふと目を止めた。
彼女は周囲の誰よりも丁寧に、そして静かに仕事をこなしていた。
誰に見られるでもなく、賞賛を求めるでもなく。
ただ、役割を果たすことに集中している。
こんな彼女が、いつか家のためだけでなく、自分のために立ち上がる日が来るのだろうか。そうであることを願わずにはいられなかった。
そして同時に、俺自身もまた――この世界に対する「復讐」と「希望」のあいだで、心の舵をどう取るべきかを、いまだ見定めかねていた。
この場所は、ただの合宿などではない。未来の覇権を巡る、静かなる戦場なのだ。
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