第11話 日常と人間関係の深化


 翌朝、俺はいつも通り皇道学館へと向かった。

 学園の正門を抜けると、そこには朝の活気が満ちていた。

 制服に身を包んだ生徒たちが、整然とした校舎へと吸い込まれていく光景は、どこか厳かな儀式のようであり、同時にこの国の未来を担う者たちの行進でもあった。

 誰もが、それぞれの家の名誉と誇りを背負ってここにいる。


 皇道学館では、出身や家柄によって、自然と幾つかの派閥が形成されている。

 四大財閥系の貴族の子弟、古くからの家系を持つ旧華族、新興成金の家柄、そして俺のように一般家庭から選抜された者たちだ。


 彼らの間には、明文化されていないが確かな“見えない線”が存在する。

 日々の生活の中で交わされる会話、仕草、ランチを取るテーブルの位置にまで、その力関係は滲み出している。

 俺はそのどの派閥にも属さず、意図的に中立を保っていた。

 敵も味方も作らず、ただ静かに情報を収集する。

 そうすることで、どの方向にも舵を切れる立場を維持できるからだ。

 昼休み、学食で一人カレーを啜っていると、見覚えのある影が俺の前に立った。


「村井様、お一人でいらっしゃるとは意外ですわね」


 声の主は、クラスの委員長・暮友彩乃。

 清楚な外見とは裏腹に、根は堅物で、常に学園の秩序を最優先に考えるタイプだ。


「ああ。別に誰かと食べなきゃいけないって決まりはないだろう?」


 スプーンを口に運びながら淡々と返すと、彼女は僅かに眉をひそめた。


「この学園では、社交もまた学びの一つですのよ。孤立は、あなたの評価を下げることにも繋がりますわ」


「忠告ありがとう。でも、俺には俺のやり方がある」


 そう答えると、彼女はそれ以上何も言わず、踵を返して去っていった。

 遠ざかる彼女の背中を見送りながら、俺はふと微笑んだ。

 彼女は高飛車に見えて、実のところは誰よりも真面目なのだろう。


 午後の授業を終えた俺は、放課後の時間を利用して図書室へ向かった。

 この学園の図書室は、ただの学習スペースではない。

 壁一面に並ぶ書架には、日本の近代経済史、各財閥の沿革、旧家の系譜など、一般の図書館ではお目にかかれない貴重な資料が並んでいる。


 瓶田嶺としての記憶を補完し、現代日本の動向を読み解くには、まさに宝の山だった。

 書架の隅に腰を下ろし、昭和初期の財閥解体に関する資料に目を通していたとき、不意に声をかけられた。


「村井くん、また熱心に読書かい?」


 振り返ると、そこに立っていたのは藤堂雅彦。同じクラスで生徒会に所属している、真面目一筋の委員長タイプだ。


「藤堂君か。君も資料か?」


「ええ。生徒会の活動計画に使う資料を探していたんです。君は何を読んでるんだい?」


 俺は手元の資料を閉じ、藤堂に軽く説明した。


「ちょっと、経済史についてな。将来の参考になりそうでさ」


「経済……それはまた専門的ですね。もしよければ、僕も少し手伝いましょうか?」


 藤堂は真剣な目でそう申し出てきた。

 彼は人脈も広く、学園の裏事情にも精通している。

 協力してもらえるなら、情報源としては申し分ない。


「助かる。実は少し聞きたいことがあるんだ。経済研究会って、どんなサークルなんだ?」


 藤堂はうなずき、少し声を落として語り出した。


「経済研究会は、将来財界に進むことが確実視されている連中の集まりだよ。現会長は石峰雅様。石峰財閥の御曹司で、頭も切れるし、人望もある。実際、学園内でも彼に睨まれたら、進路が閉ざされると言われているほどだ」


「なるほどな。危険な人物ってわけか」


「危険というより、“盤石”なんです。彼は、あくまで紳士的で礼儀も完璧です。でも、だからこそ誰も敵に回せない。それが本当に恐ろしい」


 俺は心の中でメモを取った。石峰雅——早晩、接触することになる男だろう。


「他に気になるサークルはあるか?」


「そうですね……あとは、華族研究会でしょうか。ここは、古い家柄の生徒たちが中心で、日本の伝統や礼儀作法、家系の歴史について研究しています。桜華院梓様も所属していると聞いていますよ」


 藤堂はそう言って、華族研究会のパンフレットを差し出してきた。

 そこには、和服姿の男女が整然と正座し、茶道や書道に勤しむ様子が写っていた。


「ありがとう、藤堂。これは助かる」


 パンフレットを受け取りながら、俺は心の中で梓の姿を思い浮かべた。

 華道部で見せた彼女の所作は、まさに気品そのものだった。華族研究会に所属していると聞いても、なんの違和感もない。


 ——そして、明後日には、あの白麗幸夫人主催のお茶会も控えている。

 それは単なる交流の場などではなく、明確に“試される場”であり、俺にとっての次なる一手を打つ好機だ。

 俺は図書館を出ると、日が傾き始めた学園を背にして帰路についた。風は少し涼しくなっていて、制服の裾がふわりと揺れた。

 この学園には、まだまだ知らぬことが多すぎる。そしてその“未知”こそが、俺にとって最大の価値だ。

 情報、関係、駆け引き——そのすべてを味方につけなければ、この檜舞台で生き残ることなどできない。

 だが——俺は、生き残るだけでは終わらないつもりだ。

 掴み取ってやる。誰よりも、高く。




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