第6幕 累、刺される

「ルイくん、あのね」

「……うん、どうしたの」


薄暗いくせにギラつく店内、漂う加熱式タバコと香水の混ざった臭いにおい、うざったいほど騒がしい店内。目の前には名前も咄嗟に出てこない女一人、汗をかく空っぽのグラス。飾りものの瓶が空虚に並ぶ卓。


「今日ね、ルイくんにね、プレゼント……持ってきたの」

「ほんと?!ありがとう……なにかな、楽しみ」


食品だったら即ゴミ箱。ブランド品は好みなら義務として身につけて、要らなかったら即換金。あーめんどくせぇ。章は家に無事ついただろうか。


「あのね……あのね……ルイくんが悪いんだよ」


ピンク色のリュックから覗いた刃物のぎら、と鈍い光を視認して、俺の世界はスローモーションになった。


どす。


鈍い衝撃が走る。別に痛かないが、負傷した部位がずんと酷く重くなった。


「ルイくんさあ、前から思ってたけどほんと仕事舐めてるよね。ねぇ。あたしさ、ルイくんの為にすきでもないおっさんとヤってんだよ。ねぇ。ルイくん、ルイくんって誠意ないよね。しょうがないよ。しょうがない。あたしさ、教えに来たんだよ。ねぇ。ルイくん。ルイくん、目の前の女のこと見ろよ、ルイ、テメェ、おい!!!」


視線を下にやる。どこを刺されたかよく分からない。ホストクラブの暗い照明の下じゃ、ぼたぼた落ちていく自分の血がまるで真っ黒に見えた。


「……ごめんね、分かってあげられてなくて、ミウちゃん」

「あたしはユカ。」

「ッ……」

「そういうとこだからね。分かってる?こんなこと言ってあげられるのあたしだけなんだよ?ルイくん、反省してあたしとやりなおそうね。ナンバーワン目指そうね。ルイくんならできるんだから。ね、反省。反省して?ね、ルイくん。一緒に住んでる男、捨ててよ。あたしと住んで、あたしとやりなおして、ねぇ!」


ぼーっとする。出血しすぎたかもしれない。もう一度振り下ろされそうな刃物を前に、ふっと意識が途絶えた。




次に目を覚ましたのは救急外来だった。店の人が救急車を呼んでくれたらしい。負傷部位は咄嗟に庇った右腕と脇腹、傷はたいして深くなく数針縫う程度で済んだということを説明される。意識を失っていたのはシンプルに寝不足。今刺されている点滴が終わったら帰っていいらしい。適当に礼を言い、家の者に電話をさせて欲しいと告げると廊下に出された。


点滴棒を引きずりながらスマホをいじる。もう日付を回っていた。アフターがあるならまだ帰宅していない時間だが、そうじゃなければもう帰っているはずの時間。


章に連絡するか、迷った。絶対に心配するし、自分を養うための仕事でこうなったと罪悪感に苦しむだろう。かといって隠し通せる気は、しない。俺はそこまで器用じゃない。急に惨めな気分になった。


躊躇いながらも章の番号を選択する。寝ていてくれ、と思いながらスマホを耳に当てる。呼び出し音、3コール。


『累』

「……章。ちゃんと家帰れてたのか、良かった」

『うん……累、どうかしたの』

「あー……うん、なんて言えば、いいか……わかんねぇんだけど、いま病院にいる。帰るの、遅くなる」

『なにがあったんだ』

「…………ええっと」

『教えてくれよ』

「……う、ううんと、その、ダセエんだけど」

『構わない。聞かせて欲しい』

「さ、刺された……客に」

『…………そうか。怪我の具合は』

「たいしたことねぇ。点滴終わったら帰るから、大丈夫、大丈夫」

『わかった』


ぶつん。電話は切られた。章の声色はあからさまに動揺していたが、淡々としていた。章自身の精神状態は安定しているようでよかった。


ぽたぽた垂れる知らない液体を見ながらぼんやり考える。あいつ───ユカ、とかいう女。知ってた。章と住んでるの。多分掲示板かなんかで晒されたんだろう。正直、もう二十七って年齢的にもホストとしては長くない。客がもうどうしようもない。でも新規顧客の開拓なんてやりたかない。というか、飽き飽きだ。章とだけ過ごしたい。実家太いタイプの女だけ釣れたら楽だが、俺の客は何故か勝手に身を売ってまで金持ってくるタイプばっかりだ。あーあ。あーあ。もうやってらんねぇ。暫く休ませてもらえねぇかな。もうなにも考えたくない。


包帯の巻かれた右腕を見る。家事はしばらく上手くできそうにない。章との暮らしだって、俺が壊れたら終わりなんだということをまざまざ突きつけられた。もしうっかり死んでたりしたら、章は、どうなってしまったのだろう。

点滴が終わる。処置室に足を進めながら、気持ちはどんよりと曇ったままだった。



病院に呼び付けたタクシーに乗って帰った。目的地を伝えたあとにも関わらず、なにやら軽薄そうな笑みを浮かべた運転手に話しかけられたが、全てに無視を決め込んでぼうっと考え込む。


刺された原因は分かっていた。昨日あの女にしつこく枕を求められて、しょうがないからホテルまで行って────俺は、勃たなかった。


自分でもショックだった。今までは、上手く心と肉体を切り離せてた。確かに最近は章のこと考えながらやってる時も多かったけど、とうとう物理的に章以外だめになってしまったのだ。


その場をどう凌いだか覚えていないが、きっとそれが女の癪に触ったんだろう。しくじった。たぶん掲示板にも書かれる。あーあ。

こんなの、章に言えるわけない。



ガチャ、と玄関の扉を開けると、章は廊下の先のリビングをうろうろぐるぐる歩き回っていた。俺に気がつくと途端にこちらへずんずん歩いてくる。


「累」

「……ただいま」

「うん、おかえり」


章は俺が小脇に抱えた荷物を奪い取るようにして持ち去り、とことこ歩いていく。どこ行くんだ、と追いかけていくと、章は俺の部屋に勝手に入っていった。


「ちょ、章!あの、俺の部屋、そのっ!」


麻酔も切れて痛む腹と腕をかばいながら章の後を追って部屋に入る。章は淡々とカバンやスマホを俺が所定の位置にしている場所に置いて、ジャケットをハンガーにかけて、ふうとため息を着いた。


「累、話がある。座って欲しい」

「…………おう」


促されるまま、きい、と音のなる古い椅子に腰掛けた。

この部屋には章を入れたくなかった。壁にはバンド時代のポスターも貼ってあるし、クローゼットには秋津怺から盗作したCDが山のように残ってる。こんな所を見られたくなかった。俺が俺になる前の話をしたくなかった。


「怪我の具合は。治るのにどれぐらいかかる」

「……言ってたいしたことねぇよ。くっつくのに何日か、二週間ぐらいでなんとかなるんだと」

「……そうか。累、僕はできる限り、協力する」

「?章が……何にだ?」

「生活、とか。家事、とか」

「…………お、おう」


章が、家事をする。現実味がない。いやいや、章は高校卒業後すぐデビューして実家を出て、暫くは一人暮らしが成立していたはずだ。あのゴミ屋敷化は精神的なものであって、章が特段家事が苦手な訳では無い。分かっているのに、章が知らない間に急に成長してしまったような気がした。


「それと、だ、累」

「うん」

「やはり僕は累とセックスを試みたい」

「…………うん?!」

「利き手がやられているんじゃあ、ろくに自己処理も出来ないだろう。激しい運動が可能になったら教えてくれ。じゃあ僕はそろそろ寝る。おやすみ」

「………………章?」


ばたん、と章が勝手に出ていく。俺は呆然と動けないでいる。

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