第42話:焚き火と、交わされぬ約束。



魔王城へと続く、最後の洞窟。

その、奥深くへと、進めば、進むほど。

ハヤトたちの、戦いの痕跡は、より、生々しく、そして、悲壮感を、増していった。


もはや、そこにあったのは、戦略も、戦術も、ない。

ただ、ひたすらに、力と、力の、ぶつかり合い。

魂を、削り合うような、消耗戦。

壁には、聖剣が、滑ったであろう、無数の、浅い傷。

床には、仲間を、守るために、展開されたであろう、守護魔法の、砕け散った、光の残滓。

彼らが、どれほどの、絶望の中で、この道を、進んでいったのか。

その、声なき、声が、洞窟の、冷たい、空気に、満ちていた。


やがて、俺たちは、少しだけ、開けた、空洞で、足を止めた。

これ以上、進めば、もう、後戻りはできないだろう。

魔王城の、中枢。

最後の、決戦の地だ。


「……今夜は、ここで、野営する」

カイゼルの、静かな、一言で、俺たちは、旅の、最後になるかもしれない、夜の、準備を始めた。


焚き火が、パチパチ、と、音を立てて、燃え上がる。

その、小さな、オレンジ色の光が、俺たちの、疲れた顔を、ぼんやりと、照らし出し、洞窟の、巨大な、闇を、ほんの少しだけ、後退させる。

それは、まるで、この、絶望的な、闇の世界に、浮かぶ、一つの、小さな、命の灯火のようだった。


誰も、口を、開かなかった。

いつもの、やかましい、やり取りはない。

ただ、それぞれが、武器を、手入れし、あるいは、瞑想し、あるいは、ただ、無言で、揺らめく炎を、見つめている。

洞窟の、天井から、滴り落ちる、水滴の音だけが、時を、刻んでいた。


重い、沈黙を、破ったのは、ゴードンだった。

その、いつもは、自信に満ちた、声が、今は、どこか、嗄れている。


「……とんでもねえ、戦いだった、ようじゃな」

彼は、誰に、言うでもなく、そう、呟いた。


「ああ」

カイゼルが、目を、閉じたまま、応じる。

「あの、勇者の小僧の、剣には、迷いが、なかった。ただ、ひたすらに、前へ、と。その、一念だけで、あの、聖剣を、振るっておった。…あまりにも、まっすぐで、そして、危うい、剣だ」


「それが、彼の、『正義』だったのでしょう」

クラウディアが、静かに、続けた。その、蒼い瞳は、かつての、自分自身の姿を、ハヤトに、重ねているのかもしれない。

「たとえ、その、道の、果てに、自分自身の、破滅が、待っていようとも、進むことを、やめられない。やめては、いけないのだと、信じて…」


「ハヤト様…」

セレスの、瞳から、ぽろり、と、一筋の、涙が、こぼれ落ちた。

「どうか、ご無事で…。ただ、それだけを、神に、祈るしか、私には…」


皆が、ハヤトを、想っていた。

会ったこともない、しかし、確かに、この世界で、同じ、時を、生きている、もう一人の、異邦人を。

あまりにも、多くのものを、背負い、そして、今まさに、その、重さに、押し潰されようとしている、一人の、少年を。


俺は、そんな、仲間たちの、会話を、ただ、黙って、聞いていた。

手の中では、木の枝で、焚き火の、灰を、いじっている。

熱い。

だが、その、熱さだけが、今、この、瞬間に、自分が、ここに、いる、という、確かな、感覚を、与えてくれるような、気がした。


やがて、俺は、ぽつり、と、呟いた。

その声は、自分でも、驚くほど、穏やかだった。


「……なあ」


仲間たちの、視線が、一斉に、俺に、集まる。

俺は、揺らめく炎の、向こう側、洞窟の、深い、闇を見つめながら、言った。

まるで、そこに、ハヤトが、いるかのように。


「もし、あいつに、会ったらさ」


俺は、少しだけ、言葉を、切った。

そして、ふ、と、自嘲するような、でも、どこか、優しい、笑みを、浮かべた。


「まず、『お疲れさん』って、言ってやりてえよな」


その、あまりに、普通の、そして、あまりに、場違いな、言葉。

仲間たちが、息をのむ。


俺は、続けた。


「そんで、もし、この、洞窟の、どっかから、都合よく、温泉でも、湧き出てたら、最高なんだけどな」

俺は、頭を、掻きながら、照れ臭そうに、笑った。

「あいつの、その、泥だらけの、背中の、一つでも、流してやりてえよ」


heroicでも、何でもない。

ただ、それだけだ。

世界を、救う、とか、魔王を、倒す、とか。

そんな、大層なことは、どうでもいい。


ただ、俺と、同じ、世界から来て。

たった一人で、この、世界の、理不尽を、その、細い、肩に、全部、背負って。

ボロボロになるまで、戦い続けている、馬鹿な、同い年くらいの、男に。

「もう、いいだろ」と。

「お前は、よく、やったよ」と。

そう、言ってやりたいだけだ。


俺の、その、言葉が。

洞窟の、重く、沈んでいた、空気を、変えた。

張り詰めていた、絶望の、弦が、ふっと、緩む。


セレスが、その、潤んだ瞳で、優しく、微笑んだ。

「……ええ。本当に、そうですね」


ゴードンが、豪快に、鼻を鳴らした。

「フン! ガキの、背中なんぞ、流すのは、御免だがな! だが、もし、生きてやがったら、ワシの、とっておきの、酒を、一杯くらいは、奢ってやらんでも、ないわい!」


カイゼルも、リーファも、クラウディアも、ルナも。

皆、その口元に、穏やかな、笑みを、浮かべていた。


俺たちの、目的は、定まった。

それは、もう、ただ、魔王を、倒すこと、だけではない。

あの、不器用で、どうしようもなく、放っておけない、一人の、少年を。

その、重すぎる、荷物から、解放してやる、こと。


俺たちは、もう、何も、話さなかった。

ただ、静かに、燃える、焚き火を、囲む。

その、小さな、温かい、光は、俺たち、七人の、心を、確かに、一つに、結びつけていた。


明日は、決戦だ。

その、先に、何が、待っていようとも。

俺たちは、もう、迷わない。


俺は、心の中で、まだ見ぬ、友に、語りかけた。

「待ってろよ、ハヤト」

「今、行くから」

と。

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