第24話:過去という名の亡霊。

天才魔導士ルナ。

その、最初の接触(ファーストコンタクト)は、見事なまでの、完封負けに終わった。

彼女の張った、あの、静かで、しかし、絶対的な拒絶の結界。それは、ゴードンの剛斧でも、カイゼルの斬撃でも、おそらく、破ることはできないだろう。なぜなら、あの壁は、彼女の、心そのものだったからだ。


翌日。俺たちは、マギア・ステラの、清々しい朝日が差し込む宿屋の一室で、作戦会議を開いていた。


「どうにもならん! あの小娘、ワシの顔を見るなり、壁を作りおって!」

ゴードンが、腕を組んで、不機嫌そうに唸る。

「物理的な障壁、というよりは、精神的な干渉を阻害する、高度な魔術結界ですね。私の聖なる祈りも、届きませんでした…」

セレスが、憂い顔で報告する。


「あの壁は、彼女自身だ」

それまで黙って茶をすすっていたカイゼルが、静かに、口を開いた。

「無理に壊せば、彼女もまた、壊れる。それほど、脆く、そして、硬い、心の殻よ」

「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!?」

ゴードンの、いらだった声が、部屋に響く。


どうする、か。

俺は、窓の外をぼんやりと眺めていた。空には、魔力で動くのであろう、優雅な乗り物が、ゆっくりと飛んでいる。

難しいことは、分からない。

トラウマだか、何だか、知らんが、人が、心を閉ざす理由は、だいたい、相場が決まっている。

過去に、何か、とんでもなく、辛いことがあった。それだけだ。

過去、という、もう存在しないはずの亡霊に、心を、乗っ取られてしまっているのだ。


だったら、答えは、簡単だ。


「よし」

俺は、ぽん、と手を叩いた。


「じゃあ、ここで、昼飯にするか」


「「「「は?」」」」


俺の、あまりに突拍子もない提案に、仲間たちの、間の抜けた声が、綺麗に重なった。



マギア・ステラ大図書館。

その、荘厳なまでの静寂に包まれた、知の聖域は、今、前代未聞の、危機に瀕していた。


「リク! あなたは、一体、何を考えているのですか!」


セレスの、悲鳴のような、しかし、必死にボリュームを抑えた囁き声が、俺の耳元で響く。

俺たちは、昨日と同じ、図書館の一番奥の、薄暗い書架の片隅にいた。

そして、心を閉ざした少女、ルナが張った、魔法結界の、すぐ目の前に。

大きな、チェック柄の、ピクニックシートを、広げていた。


「いやあ、だって、友達が、引きこもってるもんで。顔を見ながら飯食わないと、寂しいじゃないか」

「いつから、お友達になったのですか! 一方的に、拒絶されているでしょうが!」

「まあ、細かいことは、気にするな」


俺は、市場で買ってきた、サンドイッチのバスケットを、シートの中央に置いた。

ゴードンは「こんな、お上品な場所で、飯が食えるか!」と、悪態をつきながらも、一番、分厚いカツサンドに、手を伸ばしている。

リーファは、興味深そうに、周囲を飛び交う、魔法の本を眺めている。

カイゼルは、いつも通り、静かに目を閉じ、茶をすすっていた。


当然、この、奇行は、目立った。

司書の資格を持つのであろう、厳しい顔つきの女性が、音もなく、俺たちの背後に現れた。

「…ここは、図書館です。飲食は、固く、禁じられておりますが?」

「ああ、すみません。でも、こいつ、ここから、一歩も動かないもんで。俺たちが、出向くしかないんですよ」

俺は、結界の中で、微動だにしないルナを、親指で指した。

「友達、なんでね」


俺の、悪びれない態度に、司書の女性は、何かを言おうとして、しかし、ルナの姿を見ると、深いため息をついて、踵を返してしまった。どうやら、彼女も、ルナの事情を、知っているらしい。


こうして、俺たちの、奇妙な、ピクニック籠城戦は、始まった。

俺たちは、ルナのトラウマについて、無理に、聞こうとはしなかった。

ただ、いつも通り、馬鹿な話をした。

ゴードンと、リーファが、「斧と弓、どちらが、最強の武器か」という、永遠に、答えの出ない、不毛な言い争いを始める。

セレスが、そんな二人を、母親のように、叱りつける。

カイゼルが、時折、ぽつりと、誰も、真意を測りかねるような、哲学的なことを、呟く。


俺は、そんな、やかましくて、どうしようもない仲間たちの様子を、面白いな、と思いながら、サンドイッチを、頬張っていた。

そして、時々、結界の向こうの、ルナに、話しかける。


「ルナちゃんも、食うか? この、卵サンド、傑作だぜ。あ、そっか、壁があったな。じゃあ、置いとくから、後で食えよ」


俺は、サンドイッチを一つ、結界の、すぐ外側に、置いた。

彼女は、相変わらず、顔を上げない。

だが、俺には、分かっていた。彼女の、その、鉄壁の守りの、ほんの、僅かな隙間から、俺たちの、この、どうしようもなく、温かい『今』の空気が、少しずつ、染み込んでいっているのを。


その証拠に。

次の日、俺たちが、同じ場所を訪れると、昨日、俺が置いたサンドイッチは、綺麗に、なくなっていた。

そして、その日の昼下がり。

ゴードンが、渾身の、オヤジギャグを披露した時。

(「この、ゴーレムは、もう、どうにも、ならんゴーレムじゃ、なんつってな!」「……」)


しーん、と、図書館の静寂が、より一層、深まった、その瞬間。

本の山に、顔を埋めていた、ルナの肩が、ほんの、ほんの、微かに、くす、と、揺れたのを、俺は見逃さなかった。

彼女は、慌てて、さらに、深く、本の中に、顔を埋めてしまったが。


過去という名の、分厚い氷の壁。

それは、まだ、溶けてはいない。

だが、俺たちの、この、馬鹿みたいに、温かくて、やかましい『今』の光が、その、氷の表面に、小さな、小さな、ひび割れを、作り始めている。

そんな、確かな、手応えが、俺には、あった。


その日の、帰り際。

俺は、昨日と同じように、彼女の結界のそばに、小さな、贈り物を、置いた。

道端で摘んだ、名も知らない、小さな、黄色い花。


「また明日な、ルナ」


俺たちが、その場を、立ち去った、後。

誰もいない、静寂の、図書館。

銀髪の少女、ルナは、何時間も、何時間も、動かずにいたが。

やがて、その、細く、白い指が、ゆっくりと、持ち上げられた。

そして、震える、その指先が。

彼女自身が作り上げた、拒絶の壁の、すぐ向こう側にある、その、小さな、黄色い花に、触れるか、触れないか、という、その、ぎりぎりの場所で。


ぴたり、と、止まった。


その、紫色の瞳に、どんな感情が、浮かんでいたのか。

それは、まだ、誰にも、分からない。

ただ、その、分厚い氷の下で、何かが、変わろうとしている。

その、確かな予兆だけが、夕暮れの図書館に、静かに、満ちていた。

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