第24話:過去という名の亡霊。
天才魔導士ルナ。
その、最初の接触(ファーストコンタクト)は、見事なまでの、完封負けに終わった。
彼女の張った、あの、静かで、しかし、絶対的な拒絶の結界。それは、ゴードンの剛斧でも、カイゼルの斬撃でも、おそらく、破ることはできないだろう。なぜなら、あの壁は、彼女の、心そのものだったからだ。
翌日。俺たちは、マギア・ステラの、清々しい朝日が差し込む宿屋の一室で、作戦会議を開いていた。
「どうにもならん! あの小娘、ワシの顔を見るなり、壁を作りおって!」
ゴードンが、腕を組んで、不機嫌そうに唸る。
「物理的な障壁、というよりは、精神的な干渉を阻害する、高度な魔術結界ですね。私の聖なる祈りも、届きませんでした…」
セレスが、憂い顔で報告する。
「あの壁は、彼女自身だ」
それまで黙って茶をすすっていたカイゼルが、静かに、口を開いた。
「無理に壊せば、彼女もまた、壊れる。それほど、脆く、そして、硬い、心の殻よ」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ!?」
ゴードンの、いらだった声が、部屋に響く。
どうする、か。
俺は、窓の外をぼんやりと眺めていた。空には、魔力で動くのであろう、優雅な乗り物が、ゆっくりと飛んでいる。
難しいことは、分からない。
トラウマだか、何だか、知らんが、人が、心を閉ざす理由は、だいたい、相場が決まっている。
過去に、何か、とんでもなく、辛いことがあった。それだけだ。
過去、という、もう存在しないはずの亡霊に、心を、乗っ取られてしまっているのだ。
だったら、答えは、簡単だ。
「よし」
俺は、ぽん、と手を叩いた。
「じゃあ、ここで、昼飯にするか」
「「「「は?」」」」
俺の、あまりに突拍子もない提案に、仲間たちの、間の抜けた声が、綺麗に重なった。
◇
マギア・ステラ大図書館。
その、荘厳なまでの静寂に包まれた、知の聖域は、今、前代未聞の、危機に瀕していた。
「リク! あなたは、一体、何を考えているのですか!」
セレスの、悲鳴のような、しかし、必死にボリュームを抑えた囁き声が、俺の耳元で響く。
俺たちは、昨日と同じ、図書館の一番奥の、薄暗い書架の片隅にいた。
そして、心を閉ざした少女、ルナが張った、魔法結界の、すぐ目の前に。
大きな、チェック柄の、ピクニックシートを、広げていた。
「いやあ、だって、友達が、引きこもってるもんで。顔を見ながら飯食わないと、寂しいじゃないか」
「いつから、お友達になったのですか! 一方的に、拒絶されているでしょうが!」
「まあ、細かいことは、気にするな」
俺は、市場で買ってきた、サンドイッチのバスケットを、シートの中央に置いた。
ゴードンは「こんな、お上品な場所で、飯が食えるか!」と、悪態をつきながらも、一番、分厚いカツサンドに、手を伸ばしている。
リーファは、興味深そうに、周囲を飛び交う、魔法の本を眺めている。
カイゼルは、いつも通り、静かに目を閉じ、茶をすすっていた。
当然、この、奇行は、目立った。
司書の資格を持つのであろう、厳しい顔つきの女性が、音もなく、俺たちの背後に現れた。
「…ここは、図書館です。飲食は、固く、禁じられておりますが?」
「ああ、すみません。でも、こいつ、ここから、一歩も動かないもんで。俺たちが、出向くしかないんですよ」
俺は、結界の中で、微動だにしないルナを、親指で指した。
「友達、なんでね」
俺の、悪びれない態度に、司書の女性は、何かを言おうとして、しかし、ルナの姿を見ると、深いため息をついて、踵を返してしまった。どうやら、彼女も、ルナの事情を、知っているらしい。
こうして、俺たちの、奇妙な、ピクニック籠城戦は、始まった。
俺たちは、ルナのトラウマについて、無理に、聞こうとはしなかった。
ただ、いつも通り、馬鹿な話をした。
ゴードンと、リーファが、「斧と弓、どちらが、最強の武器か」という、永遠に、答えの出ない、不毛な言い争いを始める。
セレスが、そんな二人を、母親のように、叱りつける。
カイゼルが、時折、ぽつりと、誰も、真意を測りかねるような、哲学的なことを、呟く。
俺は、そんな、やかましくて、どうしようもない仲間たちの様子を、面白いな、と思いながら、サンドイッチを、頬張っていた。
そして、時々、結界の向こうの、ルナに、話しかける。
「ルナちゃんも、食うか? この、卵サンド、傑作だぜ。あ、そっか、壁があったな。じゃあ、置いとくから、後で食えよ」
俺は、サンドイッチを一つ、結界の、すぐ外側に、置いた。
彼女は、相変わらず、顔を上げない。
だが、俺には、分かっていた。彼女の、その、鉄壁の守りの、ほんの、僅かな隙間から、俺たちの、この、どうしようもなく、温かい『今』の空気が、少しずつ、染み込んでいっているのを。
その証拠に。
次の日、俺たちが、同じ場所を訪れると、昨日、俺が置いたサンドイッチは、綺麗に、なくなっていた。
そして、その日の昼下がり。
ゴードンが、渾身の、オヤジギャグを披露した時。
(「この、ゴーレムは、もう、どうにも、ならんゴーレムじゃ、なんつってな!」「……」)
しーん、と、図書館の静寂が、より一層、深まった、その瞬間。
本の山に、顔を埋めていた、ルナの肩が、ほんの、ほんの、微かに、くす、と、揺れたのを、俺は見逃さなかった。
彼女は、慌てて、さらに、深く、本の中に、顔を埋めてしまったが。
過去という名の、分厚い氷の壁。
それは、まだ、溶けてはいない。
だが、俺たちの、この、馬鹿みたいに、温かくて、やかましい『今』の光が、その、氷の表面に、小さな、小さな、ひび割れを、作り始めている。
そんな、確かな、手応えが、俺には、あった。
その日の、帰り際。
俺は、昨日と同じように、彼女の結界のそばに、小さな、贈り物を、置いた。
道端で摘んだ、名も知らない、小さな、黄色い花。
「また明日な、ルナ」
俺たちが、その場を、立ち去った、後。
誰もいない、静寂の、図書館。
銀髪の少女、ルナは、何時間も、何時間も、動かずにいたが。
やがて、その、細く、白い指が、ゆっくりと、持ち上げられた。
そして、震える、その指先が。
彼女自身が作り上げた、拒絶の壁の、すぐ向こう側にある、その、小さな、黄色い花に、触れるか、触れないか、という、その、ぎりぎりの場所で。
ぴたり、と、止まった。
その、紫色の瞳に、どんな感情が、浮かんでいたのか。
それは、まだ、誰にも、分からない。
ただ、その、分厚い氷の下で、何かが、変わろうとしている。
その、確かな予兆だけが、夕暮れの図書館に、静かに、満ちていた。
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