第8話:最初の街、ニアミス。



**《リクの視点》**


ミルブルック村の、あの絶品シチューの味を胸に旅を続けること数日。俺たちの目の前に、今までとは比べ物にならないほど巨大な街が姿を現した。


「うわ、でっか…」


城壁の高さも、厚みも、段違いだ。門の上には、巨大な弩(いしゆみ)のようなものまで備え付けられている。門を行き交う人の数も、馬車の量も、今までの比じゃない。活気、という言葉だけでは生ぬるいほどの、混沌としたエネルギーが渦巻いている。


「港湾都市ポルト・リーノ…。この大陸で、最も大きな商業都市の一つです」

セレスが、少し興奮した面持ちで教えてくれる。

潮の香りが、風に乗って運ばれてくる。カモメだろうか、白い鳥が甲高い声で鳴きながら、青空を旋回していた。


街の中は、まさにお祭り騒ぎだった。

様々な肌の色の人間、獣の耳や尻尾を持つ亜人、背中に小さな羽を生やした有翼人までが、石畳の道を闊歩している。露店には、南国を思わせる色鮮やかな果物や、巨大な魚の干物が並び、俺の食欲を無差別に刺激してくる。


「すごい…! 見てくださいリク、あれは『海の宝石』と呼ばれる虹色の貝殻ですわ!」

「へぇ。綺麗だな。食えるのか?」

「食えません!」


セレスに本気で怒られた。

そんな風に、人混みをかき分けながら大通りを歩いていた、その時だった。

俺の足が、とある酒場の前で、磁石のようにピタリと止まった。

古びた木の扉に、手書きの、やけに味のある看板が掲げられている。


**【挑戦者求ム】ギガント・ミートマウンテン丼! 完食デキレバ食事代タダ+金貨拾枚!**


……なんだろう、この、微妙に間違ってはいるが、妙に馴染みのあるフォントと言い回しは。

それはさておき、俺の目は「タダ」と「金貨拾枚」という、輝かしい文字列に釘付けになった。


「セレス」

「はい、なんでしょう」

「俺たちの財政難は、今日この瞬間をもって、終わりを告げる」

「……はい?」

俺は、固まっているセレスの腕を引き、迷うことなくその酒場の扉を開けた。


「リク、やめてください! はしたないです! こんな見世物のような…!」

「見世物結構、上等だ。俺は今、猛烈に腹が減っている。そして、金がない。これ以上、合理的な解決策があるか? いや、ない」


俺が反語を使ってまで力説すると、セレスは深いため息をついて、観念したようにこめかみを押さえた。


やがて、俺の目の前に、それは運ばれてきた。

直径五十センチはあろうかという、もはや丼というよりは小ぶりの盥(たらい)と呼ぶべき器。その上に、雪崩を起こす寸前の山の如く、うず高く積まれた、テリヤキソースのようなものが絡んだ肉、肉、肉。その麓には、白い米の平野が広がっている。総重量、推定五キロ。ラスボスか、お前は。


店中の客の、好奇と嘲笑が入り混じった視線が突き刺さる。

「おいおい、また無謀な挑戦者が現れたぜ」

「あんなヒョロい兄ちゃんに、食えるわけがねえ」


ゴングの音と共に、俺はスプーンを握りしめた。

セレスが、もう何も見たくない、とばかりに両手で顔を覆っている。


「いただきます」


俺は、山の麓から、攻め始めた。

うまい。

甘辛いソースが絡んだ肉は柔らかく、白米との相性は悪魔的だ。だが、この量だ。普通に食えば、三分の一あたりで、脂と単調な味にやられるだろう。

しかし、俺には『なんとなく本質が分かる』能力がある。


(ふむ。このソース、隠し味に柑橘系の酸味があるな。肉の脂を中和する役割か。そして、米の層と肉の層の間には、口直しの酢漬けの野菜が薄く挟まっている。なるほど、この丼の本質は、単純な暴力的な量ではなく、計算された『層(レイヤー)』構造にある。ならば、攻略法は一つ。この層を崩さず、肉、野菜、米を、常に一定の比率で口に運び続ける…それこそが、完全攻略への最適ルートだ!)


俺は、誰にも理解できない分析を終えると、まるで精密機械のように、一定のリズムでスプーンを口に運び始めた。

俺の顔からは表情が消え、ただひたすらに、目の前の山を切り崩していく。

周囲の嘲笑が、次第に驚愕に変わっていくのが、肌で感じられた。


「お、おい…食うペースが、全く落ちねえぞ…」

「なんだあいつ、気持ち悪いくらい、同じ場所から同じ量だけ食ってやがる…」


半分ほど食い進めたあたりで、店の奥から、人の良さそうな笑顔を貼り付けた、小太りの店主が出てきた。


「お客さん、お見事! ですが、無理はなさらずに…」

「いや、まだまだいけますよ」

「そ、そうですか…」


店主の笑顔が、わずかに引きつったのを、俺は見逃さなかった。

こいつ、何か隠してやがるな。

俺が、さらに食べ進め、丼の底が見え始めた、その時だった。

急に、体が、ほんの少しだけ、痺れるような感覚に襲われた。思考が、かすかに霞む。


(――なるほど。ソースに、何か混ぜてやがったな。遅効性の、軽い痺れ薬か何かか。挑戦者を途中でリタイアさせるための、汚い手口だ)


だが、残念だったな。

俺の体は、女神様(仮)お墨付きの、ゴキブリ級の耐久性を誇るのだ。この程度の毒、ちょっと舌がピリピリするくらいで、何の問題もない。


俺が、最後の一口を、スプーンですくおうとした、その瞬間。

痺れを切らした店主が、裏から出てきた屈強な用心棒たちに、目配せをした。


「おい、てめえ! その辺にしとけや!」

用心棒の一人が、俺の肩を掴もうと、手を伸ばしてくる。

――めんどくさいことになった。


俺は、肩を掴まれそうになった勢いをそのまま利用して、椅子から、スッと立ち上がった。

すると、用心棒は勢い余って、俺が座っていた椅子に足を引っ掛けて、盛大にすっ転んだ。

その先には、運悪く、酒樽をピラミッド状に積み上げた、店の自慢のディスプレイが。


ガッシャアアアアアン!


ドミノ倒しのように崩れる酒樽。床に広がる、芳醇な香りの液体。

そして、その液体に、別の用心棒が足を滑らせ、ツルーン!と、漫画のように宙を舞い、客のテーブルに激突した。

悲鳴と怒号。完全にパニックだ。


店主が、真っ青な顔で叫ぶ。

「な、何してやがる! そいつを捕まえろ!」


だが、その時。崩れた酒樽の一つから、ゴトリ、と重そうな帳簿が転がり落ちた。

俺は、その全ての混沌を背に、最後の一口を、ゆっくりと口に運んだ。


「――ごちそうさん」


俺がそう呟いたのと、街の衛兵たちが、なだれ込んできたのは、ほぼ同時だった。



**《ハヤトの視点》**


翌日。俺たち一行は、商業都市ポルト・リーノに到着した。

情報収集のために立ち寄った冒険者ギルドは、朝からやけに騒がしかった。


「まったく、とんでもないバカがいたもんだ! おかげで、こっちは始末書の山だよ!」


受付の女性が、山積みになった羊皮紙の束を叩きながら、同僚に愚痴をこぼしている。

話に聞き耳を立ててみれば、その内容は、あまりに馬鹿馬鹿しいものだった。


「なんでも、黒髪の男と、綺麗な神官の二人組が、酒場『豊満な酒樽亭』で、大食いチャレンジに挑戦したとかで…」

「ああ、あの悪名高いチャレンジか。成功した奴はいないって噂の」

「それが、成功しやがったらしいんだよ。おまけに、店主と揉めて、店を半壊させる大乱闘。おかげで、店主も、用心棒も、衛兵にしょっぴかれていったさ」


俺は、その話を聞いて、頭痛を覚えた。

黒髪の男。綺麗な神官。

ミルブルック村で聞いた、あの二人組だ。


(またあの馬鹿か…。今度は、街の酒場で大暴れだと? この世界を、何だと思っているんだ…)


人々の期待を背負い、命がけで戦っている自分が、馬鹿らしくなる。

そんな風に、不真面目な同郷(?)の存在に苛立っていた俺たちの元に、ギルドの依頼が舞い込んできた。


「『豊満な酒樽亭』の店主、通称“ハゲタカ”が逮捕されたことにより、奴が経営していた悪徳商会の調査をお願いしたい、と衛兵団から正式な依頼です」


ハゲタカ。

ポルト・リーノを裏で牛耳り、高利貸しや密輸で私腹を肥やしていた、悪党中の悪党。衛兵団も、証拠が掴めずに、手が出せなかったと聞く。

そいつが、昨日の騒動で?


調査を進めるうちに、俺たちは、驚くべき事実を知ることになった。

昨日の騒動は、単なる乱闘ではなかった。

それは、あまりにも出来すぎた、一連の「事故」だったのだ。


衛兵の証言によれば、

「転んだ用心棒が、偶然、酒樽のディスプレイにぶつかり、その中から、偶然、ハゲタカの裏帳簿が発見された」

「床にこぼれた酒で、別の用心棒が足を滑らせ、その勢いで棚が倒れ、棚の隠し戸から、密輸品のリストが出てきた」

「全ては、偶然が偶然を呼んだ、としか…その黒髪の男は、ほとんど指一本、触れておりません」


――偶然?

そんな馬鹿なことがあるか。

ミルブルック村での、ゴブリンたちの不可解な全滅。

そして、今回の、悪党が勝手に自滅していく、この喜劇のような事件。


やり方は、めちゃくちゃだ。場当たり的で、英雄の欠片もない。

だが、結果として、村は救われ、街の巨悪は滅んだ。

最小限の労力で。まるで、全てを見通しているかのように。


俺の脳裏で、点と点が、線で結ばれていく。

この、常識外れの思考。この、ふざけているようで、恐ろしく効率的な手口。

こんな真似ができるのは、この世界の常識に縛られていない人間。

そして、俺と同じ……。


「……ギルドマスター。その、昨日騒ぎを起こした男の名前を、教えてもらえませんか」

「ああ? えっと、確か…『リク』と、名乗っていたそうですよ」


リク。

ごくありふれた、日本の名前。


間違いない。


「……日本人だ」


俺は、思わず、声に出して呟いていた。

俺は、この世界で、一人ではなかった。

だが、その、もう一人の同郷人は、どうやら、俺の想像を遥かに超える、とんでもない厄介者であり、そして、得体の知れない実力者であるらしかった。


安堵と、そして、得体の知れない何かへの、微かな恐怖。

俺は、複雑な感情のまま、ポルト・リーノの空を見上げた。

リク、と名乗った男も、今、この同じ空の下のどこかに、いるのだろうか。

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