第6話

 翌日、つまり事件に絡み始めてから二日目になる。

「それじゃあ調査に乗り出すとしようか」

 気合の入った声で麟目が言った。八人全員がそろったこの部室の机上には件のアルバムが置かれていて、表面の埃(ほこり)を拭き取られたそれは昨日よりも少しだけ明るくなっているように見えた。

「さっそくリサーチをかけるのは図書室からだね。後は生徒会室にも行こう」

「あと一応職員室も行った方がいいと思います」

「なら三班に分かれよう」

 そんな会話が律樹と茂木と江平の間で交わされ、それに静観を決め込んだ残りの五人は流れに身を任せるがままになっていた。班分けはくじ引きで行われてしまい、三班ということは三人が二つと二人が一人、そういう分け方になる。結果は――――。

「私と江平君と船戸君、萌香ちゃんと凜乃ちゃんと花俣君、明知君と晴ちゃん、という班分けになったわけね」

「それぞれの分担を決めないと」

 やる気がある三人が二チームに固まってしまい、私たちの班にはエンジン役がいない。その話し合いにも参加せずに結果だけを待っていたところ、どんな理由か図書室探索班になってしまった。

「今が四時半だから、五時半ぐらいにいったん報告する目安で」

 麟目のその言葉を合図に、私たちはそれぞれ散った。目的地はそれぞればらばらだが、この部室棟は隔離されているため玄関までは同じだ。図書室に多く人間を割り振るべきだろうというぼやきはいったん忘れ、花実と二人でどう探すかを考える――――と。

「なあ新、あれなんだと思う?」

 江平が私の肩を揺らしてそう言った。うつむいていた顔を上げ、江平の目線をなぞって彼が見ている物を探す。二階三階の玄関までの階段の裏側にあるのは木製の台のようなもので、疑問に感じる理由も少しはわかった。

「土台、足場……? みたいなやつだな。あそこに置いてあるのは意味がわからないけど、存在自体は変じゃない気が、するけど……」

 違う。そんなものの存在は変ではないが、ここにこうして放置されるように置かれているのは変だ。使うものならもう少し扱うべきだろうし、使わないならどうしてここに置かれているのだろう。

「部活か何かのアイテムにしちゃ、少しぼろっち過ぎるような気が」

「オレ達が知らない何かに使うってことでいいのか」

 あるものすべてに意味があるとは限らない。ミステリー小説や最初から最後まで結末を考えて作ってある漫画とは違い、理解されるべきものだけではないのが現実の特徴だ。理論だったものだけで構成されているわけではないのだから、無駄になんでもかんでも大事に思うのはただ疲れるだけだろう。

「二人とも何してるの? 行くよ」

 置いていかれていたのを小走りで追い付き、一階の玄関から校内に戻る。放課後だが部活動が盛んなために多くの人が校内に残っていて、一年生の教室の中では吹奏楽部が練習をしていた。

「それじゃあ晴さん、図書室に行こうか」

 図書室はこの建物の五階だ。上まで行くのは骨が折れるが、行かない不義理をするつもりもない。それに図書室は私も花実も嫌いではないからな。

「調べると言っても何を見るべきだろう。卒業生名簿って奴は残っているのかな?」

「多分あるよ。それに校内紙のバックナンバーは確実にあるはずだよね」

 あのアルバムの年度は確認済みだ。それを頼りにアルバム内の情報が正しいのか、ついでにカバーに印字が無い理由の候補を見つけられれば上出来だろう。

 目的設定はそれぐらいにしておいて、私は五階まで行く傍らこのアルバムの持ち主について思考を巡らせた。

「ねえ新君、卒アルを置いていくのってどんな気持ちなのかな」

「俺も同じことを考えていたよ。パッと思いつくのは……高校時代の否定かな」

 思い出なんていらぬ、という考えだったのか、それとも何かの手違いでおいていかれてしまったのか。思いつく可能性は無限にあるが、それに答えは今のところ出せない。

「もし新君が置いていくとしたらどんな時?」

 二階を通り過ぎて三階に差し掛かる。その質問はシンプルだけど答えにくくて、歩く速度が無意識的に遅くなりながら考えた。

「まずおいていかないって意見は置いといて、高校時代に満足してしまったら置いていくかもしれない」

 アルバムは過去を詰め込んだものだ。もしそれを敢えて過去に残していくことに理由をつけるとしたら、その形になったものを必要としないほど自分が満ち足りたらなのかもしれないと考えた。

「ふうん……なるほどねえ」

「それこそ晴さんはどう思う?」

 四階を越え、五階がようやく見えてきたときにそう聞いた。息が上がって足がふらふらするほど疲れることはないが、それでもこの距離を一気に上がろうとするのはなかなかしんどいものがある。図書室についてしまうって時まで花実は考え込んでいて、私が扉に手をかけた時にようやく言った。

「わたしなら、高校時代を否定するために置いていくよ」

 ドアを開く。ごごご、という音がなって開き、五階からの眺めと本棚が視界に飛び込んでくる。

 この高校は新幹線が止まる駅の隣駅の近くにある。そう聞くとだいぶ都市に近しいように感じるが実際はそうではない。田んぼだらけがこの学校の周囲にはあり、見ごたえのあるものと言ったら遠くにあるセメント工場と校庭で練習する野球部ぐらいのものだろう。

「新君、わたしは昔のアルバムを探してみる」

「わかった。俺は校内紙のバックナンバーだね」

 ひそひそ声で相談し、司書さんに話をしてバックナンバーの保管書庫へと通してもらった。こちらを押しつぶすかのような圧力を放つ時間の重みと直面し、僅かな間息を吞んでいたが、気を取り直して年月を探し始める。

 アルバムの奥付(おくづけ)にあった月日は今から数えておおよそ二十年前。この高校がもうじき五十周年いきそうぐらいのものなので、ここに保管される雑誌が最初のものからなら中盤ほどに位置しているはずだ。

 校内紙は年に四回のペースで発刊されている。今目当てにしているのは教師陣や卒業生徒がわかりやすいであろう最終号だ。部屋いっぱいの本棚の中から年月ごとについている目印を頼りに目的らしい雑誌を見つけ出す。

 損傷しないよう慎重に取り出し、スマホの写真と名前を比較する。学年主任と各担任、生徒の人数と名前が一致しているのを確認し、その旨をメモした後。同じ年の紙を取り出してななめ読みし、一応その年の卒業生が入学してからの八枚も確認して書庫を出た。

「もういいの?」

「ええはい、用事は済みました」

 私が奇行をしないように監視していた司書さんにそう挨拶し、花実がいるだろう過去アルバムのコーナーに向かう。案の定アルバムを広げて確認していて、私はその隣に座って進捗を聞いた。

「一つ目の発見はね、アルバムにはちゃんとしたカバーがあったの。だから部室にあったのは特別な状態のものだってわかった。もう一つは中身もしっかりしていたから、正真正銘本物のアルバムが部室にあったという発見かな」

「俺も似たような感じだね。生徒も教師も名前は一致してた。捏造の何かってわけじゃないっぽい」

 あと一応わかった事実はその代に特別な事件は無かったということだが、これはまだ言う必要の無いことだろう。

「もう少し探してみようよ。新君、何か案無いの」

「そうだね。卒業生名簿というのも見てみることにしよう」

 歴代卒業生は十年ごとに一つの大きな本にまとめられていて、一般書庫の一コーナーを占めていた。長方形の図書室の隅、人の近寄りがたい雰囲気を出しているその一角に近づき、私と花実は目的の代の物を探した。大判の数百ページにも及ぶ本が四冊あり、その中で三十から二十年前の一冊を慎重に取り出して机の上に広げる。

 保存状態は当然ながら良好で、日焼けや折れとは縁遠い本だった。自分がそれを生まないように注意しながら頁をめくり、学年全員の顔と名前がアルバムと同じことを確認する。住所や連絡先も書かれていたが、それを利用することは最終手段になるだろう。

「ひとまず、これでアルバムの中身の確証がとれたわけだ。今と昔の比較もしてみよう」

 今あって昔無かった物、その逆の昔あって今無くなったもの。その差異がこういう場合に最も見落としやすいものだ。

「……あ、燐ちゃんから連絡来てる。いったん教室に集合だって」

 いざ中身の精読に移る、というときに花実が携帯を確認してそう呟く。

「そっか、なら行こう」

 左腕の時計を確認すると確かに約束の刻限になっていた。そんなに長い時間をかけていたつもりは無かったが、資料や本を読むのは自分が考えているよりも時間を奪い去っていくのが世の常だ。



「さて、それじゃあどんな成果が上がったのかな」

 部室に戻る手間を惜しみ、私たちは一階の空き教室に集合した。吹奏楽部の練習が行われていない教室ではあるが、壁や廊下を伝って管楽器の音が強く鳴っている。

「図書室チームはアルバムの裏が取れたよ。装飾とカバーが無いのは普通じゃないってこともわかった」

 残りの二チーム。生徒会室と職員室から得られた情報だが、やはりアルバムにまつわる特別な話は無かったらしい。その時代からいる教師は限られているが、後の職員に教訓として残る特別な話もなく、生徒会の会議録にも特別な話は残っていない。何の特別もなくアルバムは卒業生のために購入され、旅立っていく生徒に向けて贈られたということだそうだ。

「手がかりが消えた……?」

 花俣が呟くが、それに頷く意見は出ない。そういうには早すぎることを全員が気づいていたからだ。私はアルバムを使った新旧比較が出来ることを知っていたし、そうでなくてもほとんど何もしていないも同義だ。

「ひとまず情報を整理するために戻ろう。あのアルバムをもう少しちゃんと読みたいし」

 江平が言って、私たちはみな部室に向けて歩き出す。歩行の心地よい刺激を脳に受け、何か閃くものが無いのかと考えていた私は気づかなかったが、後で花実が言うところによると――――誰かがこちらを観察していた、そうだ。



 一節が短く終わってしまったが、ここで切るのが適切だった。この後部室に戻った私たちを待ち受けていたのは一つの現実ではなく、私たち風説霧散部の活動内容である異質だったのだから。

「ああ、私たちはなんてドジを踏んだんだろう」

 この案件にかける意欲が並外れて高い麟目が声高にそう叫ぶ。私も叫びだしたいというほどではなかったが、その目の前に待つものにあっけに取られてしまった。

「……予想出来ていたことだが、一応確認が完全に終わったから明言しよう。俺達がこの部室のこの机の上に置いていった例の卒業アルバムは――――姿を消した」

 そんなところにあるはずもないのに棚の中を探し終わった船戸が務めて冷静に言った。部屋の隅にある骨組みが飛び出たソファに腰を掛け、思考するように目を伏せるのは茂木と律樹だ。

「戸締りはしておいた。言わずもがなの密室だ」

 四月の中旬だ、窓を開くほど暑い季節ではない。だから簡単に言うならここは密室だった。密室の中から消えてしまった、というのは理解するのに理論が必要な異質ということ。思考してでっちあげを作る隙間がある――――ということになる。

「新、これはどういうことだと思う?」

 そんなことを船戸に聞かれた。彼が語った前提をよく吟味し、何を言うことを望まれているのかを考えて返答する。

「密室ではないと反論をするよ。鍵は確かに燐さんが持っていたけれど、一本しかないとは考えられない。だからここは密室ではなかった」

 扉は誰にでも開かれていた。控えの鍵を使えばここには誰でも入ることが出来るのだから、ここを密室という前提に置くのは正しくない。

「だけどどうしてかが大事だ。僕たちがアルバムを持っていることを知っていること、そしてそれをわざわざ盗むような真似をすること、その二つには理由を付ける必要がある」

 花俣が言う。理由付け、という言葉に私が連想したのは異質に対応するための理論づけだったが、そもそも私がそういう異質と対面したことが無いためどのようなものなのかの想像が一切できない。したがってこれが異質だったのだとしても対応などできそうになく、だからまだ私は自分の常識という重力の中で理論を構築するしかなかった。

「アルバムを持っていること、は知る経路が限られている。俺達が今会った人と昨日開先生から話を聞いた人達だ。今盗めるのは昨日話を聞いた人達の方がやりやすいだろうという気がするけど断定は避ける」

「そして二つ目は……私たちに捜査をしてほしくないかアルバムを欲しがったかのどっちか、ですね」

 茂木が言った。アルバムを奪っていく理由、それは確かにその二択に絞られてしまう。大穴として捜査してほしいから奪っていくということも想像だけは出来るが、怪盗が探偵を呼ぶ時ではあるまいし、それならそうと手紙にでも書けばいいのだ、既に侵入しているんだから。

「持っていることを知ってる人間で、アルバムに執着する人間。頑張るまでもなく特定は出来るよ。卒業生名簿と現在在籍する教員を比べればわかる」

 開先生に昨日何人に話をしたのかも確認した方がいいかもしれないが、言葉は範囲に伝わるものだ。今日職員室に行ったときに話を聞かれていたり、私たちが図書室で調べ物をしたときに伝わったかもしれないことを想像すると結局ローラー作戦の方が手早くて確実だろう。

「まあ確かに、過去のアルバムに執着するのなんて当時の卒業生しかいないか。なら早速やっちゃおう」

「それに、スペアキーを使えるのも教員というイメージが強い」

 麟目と江平が乗ってくれ、私の仮説は骨組みを得る。もしこれが開先生のいうところの異質だとしたらすべてをひっくり返されるという恐れを胸中に秘めながら、教員名簿を入手するために開先生と連絡を取る麟目を見ていた。

「ちょっと、新君」

 そうしていると花実にちょいちょいと触られ、部室の外へと連れ出される。この時は私と彼女しかこの部室の真の目的を知らなかったためこのようにこそこそする必要があった。

「これ、先生が言ってた異質って奴じゃないかな」

「俺もそれは考えたけど……説明に無理がないんだ、今のところ。何かをでっち上げる必要もなく、ただの出来事として進んでいる。だからまだそれを疑うわけにはいかない、かな」

 私も花実も異質など知らない。存在を受け入れる準備は出来ているが、まだ何が異質なのかを全く知らないためこんな曖昧な議論が起きていた。

「どこのラインを踏み越えたら疑うの?」

「今の仮説が間違っていたら捜査線上には浮かぶ。だけど正直、異質相手にどう立ち回ればいいか自信が無いよ」

 もう既に何度も書いているが、私は異質を知らない。人間が最も恐れるものは無知だ。人間相手なら今までの経験や他人の受け売りで対処を知っていると言える程度の立ち回りは出来るだろうが、理論なき相手にどう振舞えばいいのかなんて知り様がない。

「わたしも知らないけど、やってみるしかないよ。ひとまずこの線で当たって、外れてたらわたし達だけでも異質を疑おう」

「一度そうなったら先生に相談に行くよ」

 そのことを取り決めて一旦の解散になった。部室に戻ると麟目が開先生から貰った教員名簿を印刷していて、私たちは謎の眼を受けながら再合流した。

「これが先生がくれた教師の名簿。この中にある名前と卒業生の名前が合ってればひとまず仮説は立証、第一の犯人候補になるわけだね」

「アルバムは図書室に保管されているはずだ。少なくともさっきまでは」

「図書室の司書さんが本を隠すって言うの?」

「名前を知る手段が無いから疑いの範囲の外にいるけれど」

 今年度の最初の学校だよりか何かを読み返せば名前が記載されているのだろうが、今の段階でそこまでは踏み込めない。今日はもう時間が少なくなってきているため犯人を糾弾することは叶わないだろうが、しぼれれば上々だろう。

「それじゃあ図書室に戻ろう」

 自分でそんなセリフを吐き、またしても五階へ上がることの億劫さを忘れるぐらいにはこの事件にのめりこんでしまっていた。

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