熊原高校風説霧散部

海月爛

第1話

 まずは自己紹介、そしてこの本が一体何なのかを読者に伝えるところから始めるとしよう。

 私の名前は明知(あけち) 新(あらた)。熊原(くまはら)高校(こうこう)四十八期生で、記念すべき風説霧散部の創立メンバーだ。そうは言ってもこの文章を書いている時点で一年生であるため、何か目的があって部活動を立ち上げたわけではない。むしろ私達も巻き込まれに巻き込まれたようなもので、それを説明する前にこの本? ノート? の存在について説明した方が効率がいいだろう。

 風説霧散部、という名前について君に聞き覚えがあるかは知らない。この部は私達が卒業した後に人知れずひっそりと消えるという説明を顧問からは受けていて、それに反対する意見は一つも上がっていないためその通りになるだろうと予想しているが、未来にどんなことが起きるのかは誰にもわからないのだから、もしかしたら君は私達の後輩で、事件解決の手がかりを求めてこの本を開いたという可能性もあるだろう。

 ならばあえてここで宣言しよう、その目的は達成されないと。この本を私達が綴るのは誰かを助けるためではなく、部活動としての活動の一環でしかない。未来の後輩に残して起きたい私達のキラキラした青春の一片、なんてものは何一つも観測できないだろう。もしくは甲子園出場校の歴史を紐解くとあの伝説のメンバーの名前が⁉ というような事態も発生しない。私達はみんなここで生活したがそれだけだ。何か時代も世代も飛び越えるような大きな伝説を刻むわけではない。せいぜいが私達の脛(すね)に傷を残すぐらいだろう。

 ここまで散々前置きを長く書いたが、ここに何があるのかと言われたら答えはこういうしかない。私達が直面した出来事をどのように乗り越えてきたのかの記録だと。推理カルテ、事件手帳、事件簿、ワトソンの日記、備忘録と言い換えていいかもしれない。

 これが最後の注釈だが、本格ミステリーは残念ながら始まらない。




 私こと明知 新がこの学校に入学を果たしたのは三日ほど前だった。一番近い公立高校へと無事に進学を果たし、これから三年の間自転車で走ることになる通学路の経路を思い浮かべながら入学式を受けていた時。私は体育館の二階窓から見える大きな桜の木へと目を留めた。そしてそれを茫然と眺めているうちに入学式は終了していて、出席番号が若い私は他のクラスメイトに置いて行かれそうになりながら朝に初めて入った教室へと戻ったときだった。

 私の机の上に荷物が何も無いことに気が付いた。

 もちろん荷物が窃盗されてしまったということではない。春休みに新しく買った鞄はしっかりと机の脇のフックに掛かっていて、中身を確認すると財布や筆箱はすべてが元のままに入っていた。だけどそれではないものが無くなっていたのだ。

 入学式の日、と言えばもらえるものは沢山ある。宿題や同級生からの認知もそうだが、もっと単純に学校だよりや部活の勧誘のチラシなどだ。朝この教室に立ち寄り、鞄をここに置いていったときには確かにあったそれが一つも見当たらないのだ。別に欲しかったわけではないが無くなっているとなると気にしないわけにもいかない。そのために私は担任のうきうきな挨拶を聞き流しながら、机の中を手でまさぐるなどしてプリント数枚の行方を捜していた。

「それじゃあ今日はこれで終わり、明日から元気で来てね!」

 という私達よりも楽しいのではないだろうかという担任の言葉を受け、名前を聞いたけれど覚えていないクラスメイト達が帰り支度を始める中、鳥かごから出られた鳥のように私は捜索を開始した。

 机の中を目で確認し、教室の後ろにあるロッカーの中も見た。初めて開いたのに中に紙が入っていたが、それは片付け忘れた前の人のものだった。当然、私にそれ以上の捜索の手がかりがあろうはずもなく、無くて困るものでも無いし諦めて帰ろうと玄関へと向かったところ、私の靴箱の中には紙があった。

『#5467351743142711#32116331*436735165511』

 という数字列が書かれた紙と、私がさっきまで探していたプリント達がそっくりそのまま私の靴箱にあった。端的に言い換えるなら、靴を窃盗された代わりに奪われたプリントとこの暗号が犯人からのメッセージとして残されていた。

 誰が下手人かは知らないが、これを解かないことには靴を見つけられないだろうことは想像に難くない。仕方が無いので慣れない知恵(ちえ)働き(ばたらき)をすることは諦めて受け入れ、落ち着いて考えるために教室へと逆戻りした。

 教室にはもうすでに関係が深くなり始めているグループが二三残っていて、私がどっかりと自分の席に座ると不思議そうに目を向けてきたがすぐに元のしゃべりに戻った。

 暗号が書かれている紙をもう一度冷静にしっかりと確認する。一般的なA4サイズの紙で、書かれた暗号は明朝体で書かれているため読み間違いはありえない。裏にも何かヒントらしきものはなくて、素人(しろうと)観察(かんさつ)ながらあぶり出しのような特殊ギミックも何一つなさそうだった。

 つまりはこの数字の列が全ての情報を握っているということになる。

 最初に#がついていることで連想されるのはペイントアプリのカラーコードだが、それは桁数の問題で省かれる可能性だ。

 ひっくり返して見つめる、裏から透かして見る、反対から何か法則性を探す。薄紙をいじくって考えてみてもなにも答えに近づいているような手ごたえが無い。

 ということはきっと、私の直感は文字の中にすべての知りたいことがあると考えているのだろう。そしてそれを解く答えもすべて、数字が握っている。

 数字。数字を使った暗号、それは私には馴染みのないものだが――――そこまで明確な思考が言葉になったとき、文字の形をとる前の考えにすら満たない閃きのようなものが流星のように脳内を駆け抜けた。

「っ、あ……!」

 衝撃にその閃きの本体を捕まえ損ね、尾のように残った考えを拾い集めてその思い付きを形作ろうと試みる。

 今自分は何を考えた? 偶発的に起こる閃きを再現する最もありふれた手段は直前の思考を再演することだ。数字の暗号は私に馴染みが無い、そう思ったのだ。私に馴染みが無い、それがどうして流星を連想する突発的な考えのように思えた? その理由は閃きに頼らなくても簡単に思いつける。

 この暗号は私に解かれるために存在しているはずだからだ。

 入学式帰りに盗まれていたプリントが靴箱の中にあったことからおそらく二つの出来事の犯人は同一人物だろう。それ以上の特定は到底不可能なため『誰が』の疑問はそこで打ち切り。だが残る『なぜ』の疑問はもう判明していると言って差し支えない。

 プリントを盗み、それを探す時間を生み出して私をわずかな間教室に拘束する。それが目くらましの出来事で、本命はその間に靴を盗んで私を学校に閉じ込めさせることだ。新入生同士の交流に一切興味のない人ならすぐに帰宅してしまうだろうから、それを防ぐために二段構えにしたのだろうか。

 ともかくそれは置いておいて、入学一日目からこんな目に合う理由はそう多くない。同輩からのいじめは人間関係構築前のためありえるはずもなく、先輩からの可愛がりも同様だ。なら私に思いつく理由は一つ。言葉にするのはひどく自意識過剰なことだが――――この明知新に用がある、ということなのだろう。

 無記名の机の上から盗まれたプリントが同じ人物の靴箱にある、という辻褄の合い方もその理由を後押ししてくれる。私の人生で出会ったことのない狂人の理由の無い犯行ならもう少しめちゃくちゃな現実が待ち受けるはずだ。だが順接的に話が進んでいる以上、犯人は明確な考えがあってやっているということになる。

 ならこの暗号が担う役割は明知新への回りくどい手紙ということだ。次なる指示か答え合わせかは知らないが、これは相手にとっても読み解かれなくては困るということにもなる。誰が仕掛け人かはわからない、わからないが――――相手の善性を信じるようなことをあえて言うなら、この暗号は明知新に解けるように作られていなくてはならない。

 無駄に広がってしまっていた視野が格段に狭まる。可能性の総当たりのようなことをする必要はない。飛躍した論理だが、明知新に現段階で要件を持つということは相手は私のことを多少知っているはず、ならこちらが考えやすい方面の暗号を用意するはずだ。

 ポケベルのよろしく(4649)のようなギミックを疑う、違うそれでは記号の意味が解けない。もっと何か、私らしさのある暗号――――!!!!

「解けた」

 何かに急かされるように立ち上がって走り出そうとし、行先のことを自分が知らないことを思い出して教室に居た生徒に数言話かける。名前の候補がいくつか浮かぶそのクラスメイトに礼を言い、私は今度こそ暗号の場所へと走り出した。

「何者ですか」

 靴を奪われたくせに外にあるその暗号の場所の扉を開くと、既に七人がその部屋の中にはいた。会議室のような様相を呈する机の並び順の内、一番上座に座った生徒がそう問いかけてくる。ネクタイの色から同級生ということは互いに理解しあっているがそれでも名前を聞いてくるつもりのようで、きっとこいつが犯人ではないのだろう。

「……今日入学した一年生だけど」

「明知新くん、でしょう?」

 そう言ったのは聞いてきたのとは違う生徒だった。遅まきながら男女比を出すなら四対三、私を入れて丁度同数になる比の内、今私と会話したのはどちらも女子だった。

「なるほど、これで全員そろったわけだ」

 八人の眼が同じ場所を向く。私の後ろ、この特別教室の入り口の方へと。

「ここにわたしは風説霧散部の設立を宣言するよ」

 そう誰に言うでもなく言ったのは――――先ほどの入学式で見覚えのある教師だった。


「ふうせつむさんぶ?」

 私と最初に会話した天才美少女がそう言った。……名前で呼ぶことにしよう、この後判明する最初私に名を問うてきた同級生の女生徒の名前は麟目(りんめ) 燐(りん)。見た目が気になる読者は知り合いの内で最も見た目が整ったポニーテールの女子を思い浮かべればいいだろう。のちに私たちのリーダー的存在になる人だが、私からの第一印象は頭がよさそうな生徒だった。

「そう、風説霧散部。今年度から始まる部活で、メンバーはここに集まった八人。名目上の顧問はわたし、開ちはやが務めるが、まあ気にしないでくれたまえ」

 ひらきちはや、その名前には聞き覚えが無い。入学式で見覚えがあると言ったが、それはただの見覚えでしかない。ああいう式典は知らない教師が出てくるのが常だが、そのなかの一人でしかないと思っていたのに、まさかこんなことになるとは。

「いきなり部活動に入れさせられてしまうと、なかなか困るようにも思えます。私、もう少しいろんな部活を見回りたいって思っていたんですけど」

 丁寧に、しかししっかりと強引さへの反抗を表現したのは茂木(もてき) 萌香(もえか)。落ち着いた雰囲気の天才美少女で、最初に私の名前を的中させてきた生徒だった。

「その点は気にしなくて平気だ。運動部のようにいつでも忙しなく活動するってわけじゃない。ただわたしが困ったときに手伝ってもらう小間使いのようなものだ。それも八人居れば足りるだろうし、幽霊部員でも良いからいてくれないかな」

 なんで名前しか知らない教師の小間使いを務めなくてはいけないのかという不満と文句はあるが、ひとまずその言葉で茂木は納得したようだった。

「残りの六人からの疑問は無し、ね。ならさくさく行こう。君たちを集めた理由が何かわかるかな?」

 ずっと黙っていた男子の内の一人が小さく手を挙げて言う。

「オレ達に何か……もう少し絞るなら、探偵働きをさせたいから」

 眼鏡をかけているが、そのレンズの奥の瞳はガラスでは隠しきれない鋭さを持っている。名前は江平(えひら) 縁(えにし)。真面目そうな眼鏡の人、というイメージでだいたいあっている。

「そう、その通り。君たちにはそれぞれ簡単な暗号を出してこの場所を伝えた。その説明はいいや、時間の無駄だ。今から君たちに出す課題は――――君たち八人がここに集まった理由を特定すること、だ」

 わかりやすく言い換えるなら、わたしが君たち八人を部員にした理由を求める。

「それが終わるまで帰れると思わない方がいい。靴は全部わたしが預かっているからね」

 言いたいことだけ言って去っていこうとするその背中に、私は一つだけ問いをかけた。

「その課題、答えはいくつありますか?」

「――――それを言うことが答えを教えることになるから、無回答」

 この特別教室の扉を閉め、開という名の教師は去っていく。背中を見送った後に私が七人の方へと顔を向けなおすと、一人だけ得心したような目を投げてきていた。その男子の名前は船戸(ふなと) 楓雅(ふうが)。昔の文豪に居そうな、鼻が高い端正な顔立ちをしている生徒だ。

「ひとまず、俺達の紹介をしよう」

 船戸のそんな言葉で一段落落ちる。

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