第14話 グランブルー号

港にはいくつもの帆船が錨を下ろしていた。その中でもひときわ目を引くのがグランブルー号だ。


陽に焼けて色あせたほかの船とは異なり、船体は深い黒で塗られ、堂々たる風格を漂わせている。その姿はまるで港の中に黒い巨人が立っているかのようだった。


その風格と艫(とも)に刻まれた鮫の紋章が、グランブルー号の象徴だ。


リオはうっとりとした目でその姿を見上げていた。


「グランブルー号は、海の上では鮫のように恐れられる存在だ。この紋章を見ると、海賊どもも道を譲る。小さな頃から、この船に乗るのが俺の夢だったんだ」



たしかに、これほどの帆船ともなれば、そこいらのチンケな海賊が手を出せるものではない。だが、大海原に出れば、これほどの巨体も小さな筏(いかだ)にすぎないだろう。自然の前では、人間の創り出したものなどもともと存在しないも同じなのだ。



グランブルー号の甲板に、数人の船乗りたちがせわしなく動いているのが見える。そのうちのひとりに気づき、リオは大きな声を張り上げた。


「おーーーーい、船長。リオです。この連中が、船長と話をしたいらしいです」


甲板にいた男が、こちらに向かって大きく手を振る。「わかった」という合図だろう。リオは、サイラスとオスカーを連れ船に乗り込んだ。


サイラスは、これほど大きな帆船にこれまで足を踏み入れたことはない。船内は多層になっており、階層ごとに役割があるようだった。階段を登りきると、甲板に出た。夕闇に染まる潮風が、頬をやさしく撫でる。



さきほど手を振っていた男が、グランブルー号の船長、カイ・ロウルだろう。彼はリオに近づき穏やかに声をかけた。


「この者たちか?」

「はい、そうです。例のオスカーとサイラスって奴です」


カイ・ロウルはそれほど大きな体躯ではないが、そこにいるだけで空気が変わる。無駄な威圧感は一切ない。ただ、何度も生死をくぐり抜けてきた者だけが持つ重みを漂わせていた。


カイ・ロウルは口元に笑みを浮かべながら、潮風に揉まれた厚みのある手を差し出した。


「私が、カイ・ロウルだ。オスカーとサイラスだったな。何か、話したいことがあるとのことだが……」



サイラスは一目見て、カイ・ロウルなら信用できると感じた。エマのこと、昼間の出来事を包み隠さず話す。すべてを聞き終えると、カイ・ロウルは小さく呟いた。


「そうか、痣者はあれが読めるのか……」

「…その、『痣者』とは?」


オスカーが眉をひそめた。聞き慣れない言葉だった。


カイ・ロウルはゆっくりと答えた。


「お前たちの言う『紅血の一族』のことだ。このあたりでは『痣者』と呼ぶ。赤い痣があるから、そのまま呼び名になったのだろう」


「紅血の一族」と聞いても、カイ・ロウルはとくに驚いた様子は見せなかった。おそらく、これまでにも何度か出会ったことがあるのだろう。彼はそのまま続けた。


「ただ……その数字のことだが、ほかの場所で同じようなものを見たことはない。だが……」


カイ・ロウルは腕を組み、しばらく黙ったまま考えていた。やがて近くにいた船乗りに声をかける。


「マーク・レイナーはどこにいる?」

「今は、航海室で海図を見ているはずです」

「呼んできてくれないか」


その船乗りは短く返事をすると、足早に甲板を駆けていった。


すぐにマーク・レイナーが姿を見せた。背が高く、銀色の短い髪の毛が潮風になびいている。どこか、ケイレブと似た雰囲気をまとっていた。


カイ・ロウルはサイラスの話を簡潔に伝えると、マーク・レイナーはサイラスの方を向いて淡々と身の上話を始めた。



「私はセレノス海に浮かぶある島で生まれ育った。小さな島だったが、魚介や果物に恵まれ、それなりに潤っていた。……だからだろう、海賊どもが攻めてきたのは。住民はほとんど殺された。私の家族も私だけが生き残った。


母はひとつだけ残っていた小さなボートに私を乗せ、逃してくれた。家族のもとへ戻ろうとした母が殺されるのを……私はボートから見ていた。だが、何もできなかった」


マーク・レイナーの声に感情は伴わない。まるで歴史書の一頁を読んでいるかのようだった。


「何日もセレノス海を漂った。水も食料も尽き、意識が薄れていくなか、ただ空だけを見ていた。


──その時だった。


遠くから信じられないほどの速さで近づいてくる船を見た。あんな速度の船は、それまでに見たことがなかった」


その船に助けられた、とマーク・レイナーは続けた。しばらくの間、その船の者たちに面倒を見てもらったという。



「その船には、奇妙なことに女性、子どもまで乗っていた。海の上は常に命の危険と隣り合わせだ。……だから、普通は乗せない。 だがその船には、肌の色も髪の色も、年齢も性別も異なる者たちがいた。まるで船の中にひとつの村があるようだった」


彼は一瞬、記憶の奥を見つめるように目を閉じた。


「行き先もわからないまま時間だけが過ぎたが、やがてその船は私の島に戻ると、なんのためらいもなく攻撃し始めたんだ。


その威力も見たことのないものだった。……あっという間だったよ、島が消えたのは。今ではもう、地図の上に私の生まれた島はない」



今でも自分が見た光景が信じられないというように、彼は軽く頭を振った。


「その船は、今のどの船とも造りが異なっていた。見たことのない装置がいたるところにあり、それが何のためのものなのか、どう作動するのかも、さっぱり分からなかった。


ただその装置の周りには、あの『0』と『1』が何か意味をなすように記されていたんだ」


マーク・レイナーはサイラスのほうを見て、ゆっくり頷いた。


「私が助けられた時、三十代ほどの男と若い女性が口論していた。何を言っていたのかは分からなかったが、男のほうはどうやら私を助けたことを快く思っていないようだった。


数日のあいだ、その船に乗っていたが、女性のほうは時折私のもとを訪れこう言った。『何も考えず、ただ生きなさい』そんな言葉だったと思う」



黙って聞いていたカイ・ロウルが静かに言葉を継いだ。


「私がマーク・レイナーと出会ったのは、彼がこの町に降ろされて数日後のことだ。『身寄りのない子どもがいるから』と教会の神父に頼まれたんだ」



マーク・レイナーはカイ・ロウルに目を向けて、かすかに微笑んだ。


「船長に拾われていなければ、今ごろ、町のゴロツキに落ちぶれていたでしょう。……私は恵まれていた」


カイ・ロウルは、「辛い話を思い出させてすまない」とでも言うようにマーク・レイナーに頷いてみせた。



マーク・レイナーはサイラスたちに軽く頭を下げると、自分の持ち場へと戻っていった。



カイ・ロウルが再び口を開く。


「海の上にいると、信じがたいほどの速さの船を目にすることがある。実際に、私も二度見た。風や波の動きからしてもその船の速さは説明がつかない。


それにマーク・レイナーのように助けられた者もいれば、溺れている子どもが見捨てられた、という話もある。誰が助けられ、誰が見捨てられるのか……その線引きも理由もわからない。


子どもが溺れていて助けないなど、人間の所業ではないと、私は思うが」


カイ・ロウルはまっすぐにサイラスを見て言った。


「これが、我々の知っているすべてだ。そなたが探している書物とあの数字(0と1)が関係しているかどうかはわからない。


だが、あの数字には意味があり、その意味を理解する者たちがこの世には存在するということだろう」


サイラスとオスカーは理解を超える話に戸惑い、互いに目を交わした。二人はカイ・ロウルに礼を述べ、グランブルー号を降りた。


別れ際、カイ・ロウルは笑顔を見せて言った。


「競技大会を楽しみにしている」

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