吾輩は不死身を捨てて成り上がる
モンブラン博士
第1話
ジャドウはトップロープに触れて張り具合を確かめた。試合において三本ロープの張りは相当に大事な要素で、たるんでいたりすると体重を預けたり最上段に乗って飛び技を繰り出したりする際に自爆する危険もあるし、これを活かした凶悪な反則技の威力にも影響が出る。
だからジャドウは試合前に念入りに確認するのだ。万が一、敵側にリングの設営などをされた場合、そのような行為をされては不利になる。
「問題ないようですな」
彼は満足そうに口角を上げて、対峙する男を見据えた。豊かな金髪に碧眼の白人青年の名はロディ。ジャドウと同じスター流だが犬猿の仲だ。彼は普段と変わらぬ西部劇の保安官の恰好をしていた。ガンベルトのホルスターには二挺拳銃が入っている。通常の試合では武器の携帯は反則となるため外しているのだが、今回はジャドウの要望で装備している。ロディは自分の後頭部をかきながら苦笑した。
「相変わらず用心深い男だねえ。で、いつ始める?」
「今に決まっておろう」
「それもそうか」
ロディはニッと笑って脱力したようにだらりと腕を下げた。ジャドウからスパーリングを頼まれたときは驚いたが、彼が不死身を失ったことにはもっと驚いた。かねてから彼の不死身故の余裕な態度には苛立ちを覚えていたが、最大の武器を自ら手放す選択をしたということは相当な意識の変革があったに違いない。この懐古主義かつ堅物な男の大きな変化に戸惑いながらも、どこか喜ばしく思っている自分がいた。
だからこそスパーリングを引き受けたのだ。今のジャドウは不死身ではないから命をかけてくる。そのスリリングさがたまらない高揚感を与えていた。全身に走る戦慄に心地よさを覚え、ロディは銃を発砲した。通常の人間なら銃を引き抜いた瞬間さえ目視できず撃たれたことに気づかないほどの早業。神の領域にまで達した銃の腕前でもって正確にジャドウの急所を狙って発砲した。手加減はしない。真剣勝負を望んでいる相手に手心を加えるほどロディは甘くはないし礼を欠くような男ではなかった。ジャドウは全身にこれまでとは異なる緊張感を覚えていた。自分は不死身ではない。
身体的には超人でも撃たれたらどうなるかはわからない。死ぬ可能性もあり得る。
これまでは無防備に手を広げて受けていた攻撃だが、今は違う。自分が死ねばスターが悲しむ。何より側近の座を誰かに奪われる。それだけは嫌だという明確な拒絶がジャドウの心の中にはあった。
だから普段は意識もしないロディの細かい動きを目視する。
指先が動き銃を引き抜き狙いを定めて発砲。弾丸が錐揉み回転しながら迫る様までジャドウにははっきりと見てとれた。驚いたのは速度だ。異様なほど速い。一発ではなく六発もの弾丸が同時に迫ってくる。思わず身体が硬直しそうになりながらも、数多の経験が本能を凌駕し、ジャドウは残像を残してロディの弾丸を回避して片足タックルに持ち込んで押し倒し間髪入れずに反転させて逆エビ固めで搾り上げる。全身全霊でロディの身体を反らすとロディがマットを軽く叩く音が耳に入った。
技を解除して見下ろす。
ロディは仰向けになって額の汗を拭うと帽子の鍔を上げて笑った。
「やればできるじゃねぇか。見直したぜ」
「お前のおかげと言っておきますかな」
ジャドウは手を差し出し、片手一本で彼の身体を引き上げた。向かい合うとロディの方が頭ひとつ分ほど低い。
「俺と戦って何か見えたかい?」
「死が見えましたな」
「そいつはよかった」
踵を返したジャドウは白いマントを羽織ってリングを降りる。
背を向けたままロディに軽く手を振った。
ロディは嘆息して腕を組んでから苦笑した。
「あいつ、ちょっとノリよくなったかもな。不死身じゃない方が付き合いよさそうだ」
ジャドウは練習場から離れて自室に戻りながら思案した。
少なくともロディには勝てるほどの実力は出た。だがスターの側近を務めるにはまだ力不足。ならば色々変える必要がある。彼は腰の鞘に収められたジャドウサーベルに軽く触れて言った。
「鍛える必要がありそうですな……」
ジャドウはスター流では数少ない剣使いだが剣にそこまで重きを置いているタイプではなかった。不死身の特性を活かして平然と斬撃を受けて相手が怯んだ隙を逃がさず突くなり斬ったりすればよかった。だから剣は使えど精度は高くなく、剣自体も戦闘で折れて使い物にならないことが多かった。今まではそれでよかったのだが、これからは違う。公式の試合では武器の持ち込みは禁止されているので使用機会は少ないだろうが、野外での戦闘では使用回数も増える。加えて不死身ではなくなったので、自身を守る盾としても使う必要が出てきた。これまでは単なる飾りか威圧か牽制用にしか考えていなかった武器の存在感が増してきた。ジャドウは鞘から引き抜き、愛用の長剣をじっくりと眺めて鍛え直し、研磨に取り掛かった。
昼夜を問わず鍛え直して磨き上げる。
時には酒の力を借りながらも無心で磨き上げ、ついに剣は銀色の光沢を得た。
その輝きは以前とは比べ物にならず折ろうとしても刃こぼれさえしない硬度に鍛えられていた。
「これから頼りになりますぞ」
ジャドウは満足げに笑って鞘に収めると瞼を閉じて唸った。
さかのぼること数日前。自室でここ最近のメンバーの戦績を数えていたジャドウは自らの勝ち星がひとつもないことに気づいて愕然とした。不死でありながら全く勝てていない。相手が悪いという見方もあるが、それでいても負けは負けである。不死身でなければ何度死亡したかわからないような戦闘もあった。他のメンバーは、スター流最弱とされるロディでさえ相打ちや勝利をしているというのに、自分は負けしかない。かませ犬。
負けを覚悟で戦いを挑み敵の力を引き出して次の味方に繋ぐというのが自分に与えられた役割であると自覚していたし自分だけができる仕事と思っていたのだが、こうして客観的に数字で突きつけられるとやはり辛いものがあった。
仮にも組織のナンバーツーとも名乗るものが負けこんでいてはスター流の沽券にかかわるのではと疑念を抱く。
会長室に赴くと、いつものようにスターは椅子に腰かけ穏やかに笑っている。
金髪に星のように輝く瞳を持ち、茶色の三つ揃えのスーツを着込んだ紳士はジャドウを快く歓迎した。ジャドウはさっそく用件を切り出した。
「スター様は吾輩の不死身を預かることはできますかな」
「できるよ。わたしにしかできないと言い換えてもいいけど、どうしたのかな」
「吾輩は不死身を捨てることで見えてくる世界があると考えているのです。不死身故に慢心し、勝ちをこぼすことが多いように思えてきましてな」
「確かに君の意見も一理あるね。では、君の不死身を預かるから極限状態で鍛えてみてごらん。きっと収穫があるはずだから」
「ありがたき幸せでございます」
スターに頭を撫でられる。他人に頭を撫でられるのは羞恥だがスターならば話は別で、しかもこれは不死身を預かる儀式なのだと言う。軽く撫でられた後、ジャドウは全身に酷い倦怠感を覚えた。間違いなく不死身が失われた証だった。
回想を経て現在に戻ってきたジャドウは嘆息した。自ら望んだ茨の道は想像以上に険しいが、その先に勝利という甘い蜜があることを彼は知っていた。
次なる強化は自らの必殺技だった。
「冥府ニードロップ!」
人気のない山奥でジャドウは月面宙返りから膝爆弾を巨岩に打ち込む。
岩は呆気なく崩壊したがジャドウは苦々しい顔をした。月明りに彼の純白の肋骨式軍服が光り輝いていた。立派な白髭を撫でて唸る。ジャドウの最大の武器は膝だった。他者からは宇宙一とも称される膝を活かしたニードロップこそが彼の得意技だが、近年は敵を一度も倒せていない。かつては技のセットアップを見ただけで観客が息を飲み敵も死を覚悟する代物だったが、時代は変わった。否、実力が衰えたのだ。スターの側近として知略を駆使する場面が増え前線に赴く機会が減ったことで技の威力が激減したのだ。
だから倒せる敵も倒せなくなった。実力不足に歯噛みしたジャドウは己の必殺技を鍛え直すことを考えたが、地球の物質では役不足だった。そこで地球外の強固な物質を相手に膝をいじめ抜いた。血が噴き出し激痛が襲い七転八倒するが、彼は耐えた。
痛みのひとつひとつが威力を増すと信じていたからだ。やがてニードロップの威力が増した。
以前は当たった岩石は粉砕していた。見た目は派手だが威力が分散している証拠だ。
だが、度重なる訓練の果てに岩が真っ二つに裂けるようになった。ナイフのように鋭い切れ味を膝が体得したのだ。食らった敵はどこに命中しようとも切断できるだろう。胴体ならば切断され、仮に防ごうとしても腕ごと断ち切る。
自らが破壊した巨岩を眺め髭を撫でながらジャドウは不敵に笑った。
少しずつ実力を取り戻しているのが嬉しいのだ。
「そろそろ力試しでもしてみますかな」
ジャドウがロディとの闘いでわかったのは相手が攻撃してから対処するのでは遅いということだった。攻撃を事前に察知して先手を討つことができれば勝率は高くなる。
彼が思惑を試すべく白羽の矢を立てたのはアンドロイドのラグだった。ふんわりとした茶色の髪にくりくりとした瞳。童顔の少年執事型アンドロイドは全身から武器を展開してジャドウと対峙していた。両肩からは小型のミサイル十二発が覗き、前に突き出した掌はエネルギー弾を放出すべく砲身になり、両足は機関銃の銃口が向いている。
狭いリング内なので威力は抑えているがそれでもジャドウには脅威だった。可愛らしい顔立ちと首から下の武装があまりにも不釣り合いで不気味さを演出していた。自然と冷たい汗が流れる。快く引き受けてくれたラグに対し、ジャドウは戦慄していた。
何しろ向けられている銃口や放たれる弾丸がロディの比ではない。
加えてアンドロイドなので気が発生せずいつ攻撃を仕掛けてくるか読みづらい。
時間だけが過ぎていく。やがてラグが容赦なく全武器庫の武装を解放した。
無数に撃たれる弾丸、砲撃、ミサイルの嵐。リングが煙に包まれる。やがて煙が晴れた先にはジャドウの姿はなかった。生命を絶ってしまったかとラグの眉が下がり困った顔をした刹那、上空から声がした。
「吾輩はここですぞ」
攻撃が開始される寸前にロープに身体を預け、反動で跳躍したジャドウはギリギリで回避に成功したのだ。0・1秒でも初動が遅れていたら命はなかっただろう。
上空から強襲しドロップキックを見舞う。ひっくり返ったラグは武装を収納して立ち上がると破顔した。心の底から彼の成長を喜ぶ笑顔だった。
「ジャドウ様、おめでとうございます」
「お前の協力のおかげだ」
軽く礼を言ってリングを降りて深く息を吐く。武装を失ったラグの戦力は半減する。
だから半分は倒せたと言えるが実際は違う。ラグの攻撃は全て前面から行われることをジャドウは熟知していた。その経験がたまたま活きたに過ぎない。多少の手応えは掴んだが実戦となるとまだまだ遠い。トレーニングルームを出て血が出そうなほど強く拳を握る。まだ側近としては相応しくない。
紅茶を一口飲む。翡翠色の瞳がジャドウを捉え、口端が持ち上がる。優美な笑みだ。
喫茶店に呼び出されたヨハネス=シュークリームは二人用の席でジャドウと向かい合って腰かけた。大量の甘味を苦も無く平らげたヨハネスはナプキンで口を拭ってから食後の紅茶を飲んでいた。ここまで両者の会話はない。ヨハネスは艶やかな金髪を耳にかきあげた。膝裏までかかるほどに伸ばされた見事な金髪は店を訪れた客の目を釘付けにしている。ジャドウは自分の弟子を凝視した。長い睫毛にきめ細かい白い肌。薄い唇。華奢な体躯を季節も関係なくチェックのインバネスコートと鹿撃ち帽子に黒のスラックスという服装でキメている。美少女、否、妖精のような美貌のこの少年をジャドウは蛇蝎の如く嫌っていたが、背に腹は代えられなかった。
ジャドウはかくかくじかじかと用件を話してヨハネスの返答を待つ。紅茶を飲むと、ヨハネスの利発的なエメラルド色の瞳がきらりと光った。
「君はまずその貧相な体格からなんとかしないといけないだろうね。頼りないから」
笑顔で放たれる毒にジャドウは言葉を飲み込んだ。ジャドウは骨と皮と表現しても過言ではないほど痩せて皺だらけだ。それは酒しか飲まない習慣のせいだが、逆に威厳と貫禄も与えていたのだが筋肉を付けろとヨハネスは助言した。
「まずは栄養のあるものを食べることから始めよう」
運ばれてきた料理にジャドウは呻く。ニンニクを大量に使用した鳥の丸焼きやステーキなどハイカロリーな肉料理が運ばれてくる。
「お肉を食べて身体を鍛えよう」
中性的な美貌がジャドウには悪魔に思えて仕方がなかった。
師匠と弟子は内面が似るものかと思いながら運ばれてきた料理に対峙するがナイフもフォークも一向に進まない。料理は湯気を立てているがジャドウは唸るばかりだ。彼はまず量に圧倒されていた。そして強烈なにんにくの臭気にめまいを覚えた。ヨハネスはニコニコというよりニヤニヤに近い笑いを浮かべている。自分が苦戦するのを見て楽しんでいる様子に腹の立ったジャドウは猛然と鳥の丸焼きに挑んだが、凄まじい脂に手も足も出ず、本来物を食べない体質が祟ってかなりの量を残してしまった。残った分はヨハネスがぺろりと平らげ会計表を笑顔で差し出して言った。
「お勘定、お願いね」
「仕方あるまい」
仮にもこれからスパーリングをするのだから相手の機嫌を損ねて帰られでもしたら最悪だと心の中にたまる不満はリングで発散してやると心に決めて十万単位の金を払ったジャドウは今にも鼻歌でも歌い出しそうなほどご機嫌なヨハネスと共に店を出た。
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