第13話『理想体型は呪い』



保健室の隅で、ユウトは震えていた。


今日は、姉の命日だった。


「ユウト君?」


ミナが心配そうに覗き込む。


「……見せたいものがある」


ユウトは、古いノートを取り出した。姉・サクラの体重記録。


『1月1日:48.5kg

1月15日:47.2kg

2月1日:45.8kg

2月14日:45.1kg』


そして、最後のページ。


『4月30日:38.2kg もっと痩せなきゃ。まだ太ってる』


ミナは言葉を失った。


「姉さんは、身長160cm。38kgなんて、骨と皮だけだった」


ユウトの声は震えていた。


「でも、姉さんは言い続けた。『45キロを超えたら、私じゃなくなる気がした』って」


***


回想——3年前。


「ユウト、体重計貸して」


痩せ細ったサクラが、一日に何度も体重を測る。


「姉ちゃん、もう5回目だよ」


「だって、さっきより100g増えてる!」


サクラはパニックになった。


「水を飲んだだけでしょ?」


「違う!脂肪よ!醜い脂肪が、私を汚染してる!」


その日から、サクラは水すら制限し始めた。


「45キロを超えたら、誰も私を愛してくれない」


「そんなことない!」幼いユウトは泣いた。「僕は姉ちゃんが大好きだよ!」


「嘘よ」サクラは鏡を睨んだ。「この醜い体を、誰が好きになるの」


実際のサクラは、もう歩くのもやっとだった。


髪は抜け、爪は割れ、皮膚は黄色く変色していた。


「姉ちゃん、お願い。病院に——」


「行かない!」サクラは叫んだ。「病院に行ったら、太らされる!」


最後の日。


サクラは体重計の上で倒れた。


「まだ……まだ太ってる……」


それが、最期の言葉だった。


***


「理想体型なんて、呪いだ」


ユウトは拳を握りしめた。


「誰が38kgが理想だなんて決めた?誰が45kg以上は太ってるなんて決めた?」


ミナはそっと答えた。


「その理想って、誰が決めたの?それ、本当にサクラさんの"好き"?」


ユウトは涙を流した。


「わからない。でも、姉さんを殺したのは、この社会の『理想』だ」


その時、保健室のドアが開いた。


入ってきたのは、上級生の一人。青い制服だが、顔は死人のようだった。


「あの……相談が……」


見ると、彼女の腕には無数の痣があった。


「どうしたの?」ミナが優しく聞く。


「体重が、44.5kgになっちゃって」


少女は泣き始めた。


「0.5kg増えただけなのに、もう死にたい」


アリサが息を呑む。「たった0.5kgで?」


「だって、45kgになったら、私は豚!醜い豚!」


少女は自分の腕を掻きむしった。


「この脂肪を、削ぎ落としたい!」


ユウトが立ち上がった。


「それ、本当にあなたの考え?」


「え?」


「誰かに言われたんじゃない?45kgが境界線だって」


少女は混乱した。


「で、でも、みんなそう言うし……」


「みんなって誰?」ミナが聞いた。


少女は答えられなかった。


母親?友達?メディア?


わからない。ただ、いつの間にか、それが「真実」になっていた。


「数字じゃなくて、誰かを笑顔にする身体がいい」


ミナの言葉に、少女の目から涙があふれた。


「笑顔に……する身体?」


「そう。あなたが笑顔でいられる身体。それが一番美しい」


少女は、初めて自分の体を違う視点で見た。


この体は、歩ける。話せる。誰かを抱きしめることもできる。


「私……私……」


嗚咽が漏れる。


「ただ、生きていたいだけなのに」


ユウトが静かに言った。


「それでいい。生きることが、一番大切」


その時、校内放送が流れた。


『本日23時より、BMI測定を実施します。1kg以上の増加が認められた者は、即刻絶食塔へ』


少女は青ざめた。


「私、0.5kg増えてる!このままじゃ……」


「大丈夫」ルカが入ってきた。「もう、そんな狂った測定に従う必要はない」


彼女の手には、生徒会の印が押された書類があった。


「臨時動議を提出したわ。理想体型という概念の廃止を」


皆が驚いた。


「でも、それって……」


「革命よ」ルカは微笑んだ。「数字の呪いから、みんなを解放する革命」


ユウトは、姉の写真を見つめた。


「姉さん、見ててください」


そして、立ち上がる。


「もう誰も、理想体型なんかで死なせない」


全員が頷いた。


理想という名の呪いを解くために。


本当の美しさを取り戻すために。


戦いは、新たな段階に入ろうとしていた。

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