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時は過ぎ去り、瑶子と若子とは十七歳になっていた。春に女学校を卒業し、かといってまだお嫁入りには早いという、人生の青春期。若子は母の辰代とともに、ことごとにパーティーを開いては村や近隣の名士を招待してその富を誇った。あわよくば、どこぞの若殿に見初められて玉の輿に……という下心もいくらかあった。
数年前にやっと完成した富貴邸は、大広間を始めとして部屋数が二十もあり、その殆どに絢爛豪華な装飾や調度品が施されているという、周辺では随一の大邸宅だった。殊に、吹き抜けの大広間の豪奢さといったら……。垂れ下がった大きなシャンデリアが三つ。床は一面、黒と白の市松模様。周囲をぐるりと取り囲む回廊。中庭に面した方は、回廊からでもその下からでも、外のテラスに出られるようになっている。
しかし何よりも豪奢なのは、主催者たる辰代と若子の出で立ちであっただろう。さながら宝石や花や、綾錦の生地を纏うためだけに作られたマネキン人形のように、目一杯飾り立てて他を圧倒していた。人々の驚嘆を、二人は称賛や崇拝と受け取って悦んだ。
「……な、凄いだろう」
「ああ。噂には聞いていたが、これほどとはねえ」
回廊から、煌めく人々の影を眺めている二人の青年。どちらも黒い燕尾服を着て、髪を撫でつけている。
「遠目にもわかるね、奥さんとお嬢さんの姿は。一番煌びやかなのを探せば忽ちそれなんだから」
「だが、品が良いとはお世辞にもいえない」
「その通り。そして、社交の術も大したことはない。自分の富を誇ることにばかり躍起になって、他人の話など聞いちゃいない」
「お嬢さんの方は、ダンスはそれなりに行ける口らしいぞ」
彼の指差した先には、宝石の光を撒き散らしながら、紳士客とくっついて踊る令嬢若子の姿がある。
「あの相手の男は誰だい」
「胡散臭い奴さ。ナントカ男爵っつってたかな……その身分も怪しいもので、奴を好待遇で扱うのは、この家だけらしい」
「他ではどうなんだい」
「詐欺師だのペテン師だのと呼ばれているそうだ」
「ハハハハ……」「アハハハ……」
「そういえば、君はもうひとつ、ここの名物があると言ったね」
「忘れていたよ。失敬、失敬……多分中庭だ、来たまえ」
二人は回廊を進んで、バルコニーへと出た。そこからは見事な西欧式の中庭が見渡せた。可憐なランプがあちこちに灯されて、夢幻的である。細いらせん階段を下りれば、散策も楽しめる。
「ほら、あの手前から二つ目の灯の下にいるだろう、あれさ。今から行って、見て来よう」
階段を下りて、二人は小道を辿ってそこへと向かう。が、途中でその足がはたと止まる。
「シッ、先客とお喋り中だ……あの木陰に隠れて偵察といこう。なに、煙草を吸っている客としか思われないさ」
かくて二人は予定変更、大きなケヤキの陰から程近い灯の下――ベンチに腰かけて談笑する三人組に目を凝らすこととなった。
三人組のうちひとりは女性で、それが即ち「名物」だった。富貴瑶子という少女で、ふっくりと結い上げた艶々しい黒髪、色白ではないが陶器のように滑らかな肌、そして何より、美しく澄み切った黒い瞳が、人々の羨望の的だという。
「ここに来るお客は、富貴家と直接の利害関係があるのでなければ、あの『明眸の君』が目当てなのさ。どうだい、あの素晴らしい瞳の輝きは! どんな宝石にも勝るね。あの瞳にじっと見つめられたら俺もう参っちまうね、ヘヘヘ」
「気色悪いこと言うなよ。……富貴、瑶子さんといったね……てことは、この邸の主人一家の親類筋なのか」
「一応は、な。というのも、子爵の兄上が友人の子を引き取り、そのままここで育てられたとか。だから血縁関係はないんだ」
「成程。道理でさっきの若子嬢にも辰代夫人にも似ていないわけだ。それにしても、あの格好はまた地味だね。いや、広間で見て来たものを基準にしなくても、十分に地味だ。言われなきゃ小間使いかと思ってしまう」
確かに、彼の言う通りであった。瑶子の着ている着物は、裾と振袖に少しばかり草花の絵を描いただけのものである。彼女の肩身の狭いことが、二人にも思いやられた。二人は暫し黙していたが、また話の糸口を見つけ出す。
「で、あの『明眸の君』と並んで腰かけている男達は?」
「よくは知らないが、市の方に住む貧乏華族らしい。『らしい』というのも、誰もそれを確かめた者がないからだ。見た目と物腰からの想像に過ぎない。……燕尾服の擦り切れたところを刺繍で繕っていたり、一般市民とは思われぬほど所作が優美だったり、ね」
「顔がよく見えないが」
「そりゃそうだよ。仮面をつけているんだもの」
「何でまた」
「さあ。世にも稀なる不細工なんじゃないのかね」
「ハッハッハ……」
――二人の青年に見張られているとも知らず、瑶子と、仮面の紳士達とはお喋りに興じていた。度重なるパーティーで既にお馴染みとなっていたので、打ち解けた雰囲気が広がっていた。
「……あなたはいつも、その帯留めを着けていらっしゃいますね」
仮面の紳士のうち、細身で小柄な――といっても瑶子よりは大きい――方が、木彫りの薔薇を示して尋ねる。瑶子ははにかみつつも、喜びをその目元に表して微笑する。細い指先が、帯の上の薔薇を撫でている。
「ええ、これは従姉からの贈物ですので、私自身も大切に思っておりますの」
「お従姉とは、ご令嬢の若子さんで?」
今度は大柄な方が瑶子に尋ねた。
「ええ、そうでございます」
大柄の方はそれきり話が続かなくなったとみえて、黙り込んでしまった。小柄な方が後を引き取る。
「あなたは広間の方で、お客様のお相手をなさらなくてもよろしいのですか」
「従姉や叔母の方でかかっておりますから、私はぶらぶらしてよいのですよ、ホホホ……」
「ハハハ……」
冗談めかして笑うが、その実、若子と辰代が、瑶子が人目に立つことを望んでいないことを二人ともよく知っていた。そのため話は、自然と、自分達自身に向いた。
「私達は本当に、あなたとこうして、分け隔てなくお話しできることが嬉しいのです。わけあってこのような装いをしておりますので、どなたも怪しがって近づこうとしないのです」
「私は、初めから怪しいなどとは思いませんでしたわ。仮面の奥のお目で、とてもお優しい、信頼できる方だというのがわかりましたもの」
「あなたの明眸に見つめられるばかりか、そのようにお褒めいただけるとは、光栄です」
「まあ……ありがとうございます」
瑶子は自分の目をよく美しいと言われるが、今までは実感が伴わなかった。けれど、この仮面の人に同じことを伝えられると、それが本当のような気がしないでもない。自惚れだと自分を諫めてみても、ふわふわと喜びが立ち昇ってくるのを感じる。
彼女が他にお礼の言葉がないかと探しあぐねていると、コツコツと快活な靴音が近づいてきて、彼ら三人の前でぴたりと止まった。
「ここにいらしたの、瑶子さん」
「ええ、恵美子さん」
「私お願いしに来たのよ。ねえ、是非お得意のギターを披露して下さらないこと。初めていらした方にお話ししたら、是非聞いてみたいって」
「ええ。では準備してまいりますから、先にお出でになって下さいまし」
瑶子は、女学校時代の親友、瀬戸恵美子に言い残してそこを去った。その行く先が、普段寝起きしている女中部屋だとは、今日の客人の誰も知るまい。……誰も。
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