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「お嬢様、あの方どうなさいましたの。ひどく怪我していらっしゃるようですけれど……」


 若子は、瑶子のおろおろとした声にやや眉根を寄せたが、説明はしてくれた。曰く、村で悪事を働く者達が近頃発見された。あの「牛男」もそのひとりだと、拷問にかけた末白状したので、これから村人達の手で処刑を行うのだ、と。


「まあ、一体どんな悪いことを? 私にはあの方がそんな人間だとは、どうしても思われないのですが」

「しつこいわねえ。悪事の詳細は私も知らないわ。でも、何かしたことは確かなの。あのあざをご覧。あれは悪人の徴だと、誰もが言っていてよ。生まれつき、ああなんですって」


 二人が話す間にも、少年はおが屑の所まで引っ張っていかれ、中央の棒杭に縛りつけられる。拷問の傷が痛むのか、彼は度々顔を歪めた。人々の罵詈雑言は今や酣、耳を聾するばかりである。


「お嬢様、あのあざは悪人の徴などでは決してございません。この辺りでは見当たらぬ症状かもしれませんが、世界ではさして珍しくないものでございます。ただ見た目に奇怪というだけであのような目に遭わねばならないなんて、あまりに気の毒でございます」

「さっきからうるさいわよッ。いいから見ていらっしゃい。村人だって楽しみにしているのよ、この忌み嫌われた生き物が目の前で焼かれるのをね、ホホホ……」

(焼かれるんですって!)


 冗談かと耳を疑う間もなかった。男のひとりがおが屑に火を点じたのだ。物凄い速さで炎が燃え広がり、棒杭を嘗め始める。観衆の叫喚。狂喜に踏み鳴らされる靴音、手拍子。少年の苦悶の表情が炎の向こうにちらつく。


 瑶子は脱兎のごとく駆け出した。そして、棒杭を力任せに揺さぶって倒した。


「何をするんだ、お前!」


 火を点じた男が駆けつけた時には、瑶子はもう、少年を安全な場所まで移し、彼の着物や肌についた火を袂ではたき消していた。気の毒に、彼の火傷は両脚と、右半身に広がっていた。が、幸いにも呼吸はしている。


「この小娘め、折角の処刑を邪魔しやがって――」


 男が怒りに任せて、瑶子の身体を突き飛ばそうとする。しかしその途端、相手の瞳に射竦められる。らんらんと燃えるがごとき憤怒を秘めた、漆黒の瞳。……彼はつと後ずさりした。


 未だ激しく燃えるおが屑の向こうで、村人は激しい雄叫びを上げていた。今度のは狂喜でなく、刺激的な見世物を中断されたことへの落胆、怒号、ブーイングの類だった。――けれど火の壁のこちら側では、生命を救った者と救われた者とが、ただ互いの無事だけを思い合っていた。周囲の喧騒など何でもなかった。


「……あなた、今に助けが来ますわ。それまでは辛抱なさってね」


 火傷も拷問の傷もない左の手を握り、耳元にそう囁く瑶子。少年は暫し呻いていたが、やがてその声は、救い主への感謝の言葉を形作る。同時に、固く閉じられていた瞼もゆっくりと開き始める。


「あ、ありがとうございます。お優しいお嬢様……」

「まあ、お話しになれますのね、よかったわ!」

「ええ、皆あなた様のおかげでございます。どちらのお嬢様か今は存じませんが、僕はいつかあなた様を探し出して、このお礼をいたします。決して僕は忘れやしません。あなた様のその美しいお心と、美しい瞳とを……」


 彼はそれだけを早口に告げて、ふっと意識を失ってしまった。瑶子がもう一度彼を呼び起こそうとした時、頭上に影が差した。


「お前さん、そのガキはこの人らが引き取るそうだ……」

「お嬢さん、あなたの勇気ある行いを今し方聞きました。この少年は私どもで然るべき治療を施します。後のことはお任せ下さい」

「ええ……」


 突然現れた、身なりのよい紳士の一団は、彼の身体を担架に載せて、広場の彼方へと運び去っていった。哀れな怪我人が注意深く扱われているのを目の当たりにして、瑶子も「お任せ下さい」という申し出を信じる気になった。彼女は、どこの誰とも知れぬ一団を、情け深い眼差しで見送り続けた。


 ……おが屑も棒杭も大方燃え尽きた。罵詈雑言の嵐を起こしていた村人も、とうに我が家に帰ったらしく、辺りは閑散としている。若子の姿も見つからなかったので、瑶子はひとり、富貴邸への帰途に就いた。

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