読者の誤読と思って読んでいただけると幸いです。

浦島太郎です。

特にほんとうにすきなのが、以下の3首です。私個人の本当に身勝手な感覚ですが、好きを伝えたいです。本当に私個人の感覚ですので、失敬と思いますが、お願いします。
では、早速。
※もしお嫌でしたらDMなりで仰ってください。それとなしに。

1. あなたからやさしくされてそうじゃない本当はいつもゆるしがきらい

感覚:
関係性のアンビバレントな感情。「本当は」という言葉が、とてもつよい。「あなた」と平仮名で書くと誰かしら親密な人を思い浮かべたのですが、優しさとは時に残酷というか、「あなた」に求めているのは、「共感」ではなく、本当の意味での理解──敷衍すれば、愛情、本当の、理解、そのような気がしました。

2.髪の毛をジャキジャキ切りたい耳元であなたの耳もドキドキしてる

感覚:
とても写実的な描写でありつつ、作者というか、この短歌の主格の感情に引き寄せているという、この57577では到底なし得ないのではないか、、というような驚きがありました。写実的である描写が、心情をつぶさに表すというのはとても、難しいことだと思います。印象に強く残りました。
この、主格は、相手の「似合う」髪型に揃えたい時に、その瞬間の、まさに一瞬の直観的相手の感覚を、相手の耳の脈で、知るという、とても触覚として繊細な作家の(主体と言うより作家)の感受性の鋭敏さを感じました。、

3. 水の泡まんまるいこれが生きてる証なんだなすごく脆いな

感覚:
表題作ですね。
ああこれは……人間という私(たち)が、液体と同じように、「まるく」(つまり、幾何学的なしっかりとした形でなく柔らかな、そして脆い)という表現で、表現されているように感じました。
そして、その浮かびは消える泡のように、人間の生命というのが、「本当に」儚いということ、なのに、それが強く「証」(証明、定義)というような強い力のある言葉で示されていることが、人間の、ひととしてあるが故の本質を捉えていると思いました。


長蛇な文章をほんとうにしつれいしました。

とても感激しました。
読ませていただきありがとうございます。
本当に私個人の捉え方ですので、フィードバックと捉えると言うよりとせも、こういう読み方をする変な人がいるのだなぁくらいで、筆者様には自分の感覚をとことん貫いて欲しいと思います。

タイトルの「読者の誤読 云々」はそのような意味です。
どうか、筆者様の感性をそのままそのまま磨いていって欲しいと、まことに僭越ながら思います。

そしていつの日か歌集として、本という物理的な本として、書籍化することを心待ちにしております。
いつまでもおうえんしています。

それでは……。長い文章を失礼しました。
読ませていただきありがとう。