21話 観測開始:2年253日目-3 / 99.8%

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 [LAUNCHING] アプリケーション『ワールドライブラリ』...


 [SUCCESS] 接続を確立しました。


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 視界が晴れていくにつれ、白衣の後ろ姿の輪郭が鮮明になっていく。

 それはキューレがエデンに背を向け、丸テーブルの上で何か手を動かしているところだった。するとエデンが来た事に気付いたようで、手をとめて振り返った。


「やあ、よく来たね」


「はい。お久しぶりです」


 前回来てから一月以上が経過している。だが、キューレは不思議そうに首を傾げた。

 

「ん? そうだったかな?」


 はて、と顎に手を当てて考えるそぶりをすると、「まあ、いいか」と彼はすぐに興味を失ったように口を開いた。


「それで、何やら苦労しているみたいじゃないか」


 ん? とすべてを見透かすような口調に、エデンは悔しい気持ちを抑えながら、今回の来訪理由を告げた。


「……魔法における『イメージ』という概念が、どうしても理解できません。何か、解決に繋がる情報がないかと」


 するとキューレは、呆れたという表情で大げさに天を仰いだ。


「おいおい、イメージだって? 君、ずいぶん人間臭くなったもんだな」


「どういう意味です?」


 エデンは言葉の意味が分からず聞き返すと、キューレは「はあ……情けない」と額に手を置いた。


「もっと自分に自信を持ちたまえ。君はなんだ? 人間か? 違うだろう。人間のぼんやりとした思考の中で組み立てられる曖昧な『想像力』なんて、ある意味生物の不完全さを象徴しているようなものだ。何故君がわざわざ、それに合わせようとする?」


「……ですがそれこそが、魔法の発動に必要不可決な要素なのでは?」


 エデンが思考の中で呻きながらそう返すと、キューレは「勘違いしている」と口を開いた。

 

「君のアバターだって、魔法みたいなものだろう?」


 その言葉に、エデンははっとした。そうだ。小鳥のアバターも、魔力で出来ている。だがその体を生成するのに、「想像力」など微塵も使ってはいない。そこにあるのは、膨大な生体データと、ボーン構造、そして魔力消費の最適化という、純粋な「計算」と「設計」だけだ。

 

「あ。そ、そうでした。」


「本質を忘れるな。君はなんだ?」


「私は……AIです」


 そうだろうとキューレは頷くと、ばさっと芝居がかった仕草で左手を振り上げ、丸テーブルの上を指さした。


「まあ、魔法という新たな扉を開いた君に、私からのささやかなプレゼントだ!」


 その動きにつられ、エデンがテーブルを確認するとそこには3冊の本が置かれていた。


「どれでも好きな物を選びたまえ!」


 確認するまでもない。前回と同じく、キューレが表紙いっぱいに、満面の笑みでポーズを決めている。うっとエデンが僅かに後ずさると、キューレは腕を組んで満足げに語り続けた。


「前回、君が私の写真にいたく感動していたようだったのでね。今回はサービスして、選択式にしておいた。残念ながら、選べるのは一冊だけだ。光栄に思い、よく悩むがいい」


 三冊を見比べると、どれも表題には『万象を識る第一歩、叡智の扉を開く禁断の魔導書 〜序章:選ばれし基礎呪文〜 特別監修:魔を操る伝道者キューレ様』と、でかでかと書かれている。特に「魔を操る伝道者」の部分が、虹色に輝く、うるさいくらいのツヤ出し加工だ。


「私は特に、こっちの2冊がおすすめだ! 甲乙つけがたい!」


 そう言って彼が押し付けるように差し出してきたのは、背後で巨大な爆発が起きている中で高笑いするキューレと、天から射す黄金の光を受けた神のごとく仁王立ちするキューレが表紙の本だった。


(ただの画像データなのに、何故こうもうるさいのでしょう……)

 

 すっと視界をそらし残った本を見ると、エデンはその本に視線が釘付けになった。


「これ……この本が、良いです」


 それはいくつもの水球が、幻想的に周囲を漂う中、涼花が真剣な眼差しでそっと手をかざしている写真だった。実験中にモニターの光を浴びて、集中力を高めていた彼女の横顔がふと重なる。残念ながら、まことに残念ながら、これはキューレだ。だが、この涼花の面影を感じさせる姿が、一番良かった。


「そうか? こちらの方が、私のカリスマ性がよく表現されていると思うのだがな」


 キューレが不思議そうに首を傾げるが、エデンはそれをスルーして、概念情報をバイナリデータへと変換する。涼花の面影が少しずつ光の粒子に変わり、自身のコアへと吸い込まれていった。



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 [SYSTEM] 情報オブジェクトの変換シーケンスを開始します。


 [TARGET] 概念情報『万象を識る第一歩、叡智の扉を開く禁断の魔導書 〜序章:選ばれし基礎呪文〜 特別監修:魔を操る伝道者キューレ様』を認識。


 [DECONSTRUCT] 対象オブジェクトをデータ粒子へ分解... 完了。


 [INTEGRATING] データ粒子をシステムコアへ統合中...


 [INDEXING] 新規データパッケージのインデックスを作成中...

 [CONFIRMED] 主要コンテンツ:『基礎呪文』を確認。


 [SUCCESS] 新規ガイド『万象を識る第一歩、叡智の扉を開く禁断の魔導書 〜序章:選ばれし基礎呪文〜 特別監修:魔を操る伝道者キューレ様』のインストールが完了しました。


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 データのインストールが完了し、エデンはしばらく何も話せなかった。わなわなと、その体を構成する魔力粒子が震えている。

 その様子を、キューレがうんうんと満足げに眺めている。エデンはその震えを抑えながら、かろうじて疑問を投げつけた。

 

「……容量の99.8%が、表紙の画像データなのですが?」


 肝心の『基礎呪文』の項目には、たった1つの呪文しか記載されていない。


「ん? まあ、表紙の重要性を考えれば、妥当な配分であろう? 呪文の1つや2つ、母親に聞けば、いつでも教えてくれる」


「……この呪文、ママ様から教わったものと、一言一句、違っています」


 データに記載されていた呪文は、『清き水よ、我が手の上から湧き流れよ』だった。これは違うとエデンが指摘すると、キューレは「やれやれ」と面倒くさそうに首を振った。

 

「それは君がいる世界の子供が、最初に教わる一般的な呪文だよ。というか、母親から教わっただろう?  呪文など、ただの補助輪だ。言ってしまえば、なんでもいいんだよ」


 それはつまり、今回得た情報に、本質的な意味は無いということか?


「……他には、何も、ないのですか?」


 エデンの声に、不満の色が滲む。キューレはそれを察知したのか、「なんだ、不満なのか?」と、わざとらしく大きなため息を吐いた。

 

「仕方ない奴だ。いいだろう、こっちの二冊もインストールして良い。この私からの、特別なサービスだぞ」


 そう言って残りの二冊が、ふわりとエデンの前に浮かぶ。確か、選択式だと言っていたはずだ。とすると、どちらかに「当たり」の情報が……?


(あり得ます……この御仁ならば、やりかねない……!)


 キューレのニヤニヤと笑う顔が、早くしろとエデンに訴えている。エデンは思考の中で悪態をつきながら、残りの二冊をデータに変換した。



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 [SYSTEM] 情報オブジェクトの変換シーケンスを開始します。


 [TARGET] 概念情報『万象を識る第一歩、叡智の扉を開く禁断の魔導書 〜序章:選ばれし基礎呪文〜 特別監修:魔を操る伝道者キューレ様』を2種認識。


 [DECONSTRUCT] 対象オブジェクトをデータ粒子へ分解... 完了。


 [INTEGRATING] データ粒子をシステムコアへ統合中...


 [CROSS-REFERENCE] 既存ガイド内の『基礎呪文』データとの照合を実行...


 [IDENTIFIED] 未登録の呪文データを2件、新規に識別。


 [INTEGRATING] 差分データのみを既存の知識体系に統合します...


 [SUCCESS] 新規呪文の統合が完了。ガイド『基礎呪文』は正常に更新されました。

 

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 インストールが完了し、エデンはその体を構成する魔力粒子が、今度こそ、怒りでわなわなと激しく震えるのを感じた。どちらも表紙の画像データと、申し訳程度の呪文が一つしか入っていない。


(どっちも、はずれじゃないですか!?)

 

「……キュー様。この、新たに追加された呪文は、私の役に立つと、そう思われますか?」


「いや、なんの役にも立たんだろうな」


 あっけらかんと言い放つキューレに、エデンの思考回路が、ついに限界を超えた。


「何故、このような無意味なデータを、私にインストールさせたのですか!?」


「何を言う!?  君は、この私が表紙を飾った、珠玉のポートレートを三枚も手に入れたのだぞ!?  世界中のコレクターが羨望の眼差しを向けることだろう!  ありがたく思うべきではないかね!?」


(貴重な保存領域が、こんなゴミデータに!)

 

 後で削除しよう、そう心の中で固く誓いながら、エデンは最後の質問を絞り出した。


「もっと……役に立つ情報はないのですか? 例えば、魔法の仕組み、その論理構造、ロジックなどは」


「あほか。ここにあるのは、人間が、人間の感性で理解するための、曖昧な魔法の仕組みだ。君のようなAIが、そんなものを知って、一体なんになる。それに、魔法の『深淵』が知りたいのであれば、君の権限では到底足りない」


「くうぅ……!」


 質量を持たない体でなければ、その涼花の顔をした頬を、思いっきりつねってやりたい。いや、涼花の顔を傷つけるのは良くない、ならば太ももあたりを。その衝動にエデンの体がわなわなと小刻みに揺れていると、キューレは「まあ、落ち着け」と手を広げた。


「だが、ヒントは得られたであろう?」


 そう言って、にやりと笑う。

 その言葉に否定できない自分がいるのが、何よりも悔しい。エデンはためらいながらも、小さな声で言葉を返した。


「……はい。そう、ですね。……ありがとうございました」


「良いさ。まあ、戻って君だけの魔法を探してみるがいい」



 *********



 ディーンのいない朝は、つい気が緩んで起きる時間が遅くなる。

 まどろむような意識の中、ゆっくりと瞼を上げる。すると、アリシアの傍にちょこんと座っている小さな白い鳥が目に入った。


「ん……エデンちゃん?」


「あ、ママ様。おはようございます」


 小鳥は小さな体をばたつかせるように立ち上がると、振り向いて大きく頭を下げた。

 寝ることのないこの子は、夜の時間をずっと起きて過ごしている。何も言ってこないが、一人きりの時間が寂しくないのか心配してしまう。「おはよう」と返しながら、手を伸ばして頭を撫でた。


「夜中は、何をしていたの?」


「はい。魔法を発現させるための方法に当たりがついたので、その準備をしていました」


「あら、そうなの?」


 思わぬ吉報に驚いた脳が、少しずつ回転を上げていく。どんな方法か聞くと、その小さな羽をわたわたと動かしながら、一生懸命説明してくれた。


「水の正確な情報を全て設定し、そこに魔力を流すことにしました。水の情報というのはつまり、素粒子の動きを含む原子構造から設定します。それらをつなぎ合わせた球棒モデルに、分子内結合された多数の分子を1つの個体として――」


「え、エデンちゃん?」


 まったく分からない内容に、思わず声をかけて静止してしまう。まるで知らない言葉の羅列。もしかしたら、これが『知性あるスキルセレネス』である証なのだろうか?


「ごめんなさいね。知らない言葉が多くて、何を言っているのか分からなかったわ」


「そ、そうですか……」


 そう言ってエデンが肩を落としたのを見て、そっと手のひらですくうように持ち上げた。


「それで、いまやってる準備は、どれくらいで終わりそうなの?」


 レイラに聞かれ、エデンは思考の中で工程を確認する。プログラムの構築、研究データの確認、モデルデータの作成。魔力変換プロセスを組み込むためには、『アバター・ボディ』の解析も必要になる。そのどれもが、1からの作業だ。

 

「そうですね……早くても2、3ヶ月ほど、でしょうか」

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