17話 観測開始:2年242日目-3 / さえずりは帰路を指す
子供が行方不明――その言葉に、ディーンは弾かれたように木窓へ向かった。窓の外では、茜色に染まっていた西の空が刻一刻と濃紺に塗りつぶされ、森の輪郭が曖昧に溶け始めている。間もなく、完全な闇がすべてを覆い尽くすだろう。冷たくなった夜風が肌を撫で、ディーンの胸に焦燥感を運んできた。
もし村の外に出ていたら、方向を見失うのは必至だ。運悪く遠くまで迷い込んでいれば、夜の森をうろつく魔物と出くわす危険すらある。それにまだまだ冷える時期だ。子供が夜を越すのは、難しいものがある。
ディーンは振り返り、顔面蒼白で立ち尽くすエバに、努めて落ち着いた声で尋ねた。
「婆さん、 その子はいつごろいなくなったのか、分かってるのか?」
「そ、それが、2時間ほど前から姿を見てないらしくての」
2時間前。それはちょうど、レイラたちが家に帰った時間と重なる。
「わ、わしが……わしが強く怒りすぎたのかもしれん」
泣きじゃくるアリシアを前に、あの少年が見せた「しまった」という表情を思い出す。叱責の言葉が、あの子を村から飛び出させてしまったのではないか。そんな自責の念がエバの顔を歪ませると、その震える肩に、レイラがそっと手を置いた。
「エバさん、きっと大丈夫です。必ず見つかりますよ」
「まあ、そうだな。婆さん、俺も探すからよ。ちょっと準備してくる」
ディーンはそう言うと、力強い足取りで裏手口へと消えた。少しも動揺を見せない二人の様子に、「……そ、そうじゃな。うむ、大丈夫じゃ」と、エバもようやく呼吸を取り戻す。
「わしはもう少し村の中を見てまわろうかの。どこかに隠れておるかもしれん」
「村の外はディーンに任せてください。私も」
そう言って捜索に加わろうとするレイラを、エバはしわくちゃの手で制した。
「いや、アリシアちゃんもおるじゃろ。ディーンが助けてくれるだけで、ありがたい」
エバの視線が、アリシアがいないことに気付く。今は寝室で眠っているのだろう。起きた時に誰もいなければ、あの子は不安に思うはずだ。
「ディーンは準備が出来次第、すぐに向かいますので」
「うむ、すまんの。よろしく頼む」
エバは頭を下げると、再び夜の闇へと出ていった。
その背中が見えなくなるのを待っていたかのように、エデンが羽ばたいてレイラの肩にとまった。
「子供とは、アリシア様をいじめていた、あの少年なのですよね?」
「ええ、そうみたいね。あら、ディーン。準備できた?」
レイラが視線を向けた先、エデンも振り返ると、そこには先程までとは全く違う空気を纏ったディーンが立っていた。
体の急所を守るように装着された皮の防具は、長年の使用を感じさせる無数の傷で覆われている。そして何より目を引くのは、背中に負われた巨大な剣だった。鈍く光る剣先から柄頭まで含めれば、ディーンの身長に迫るほどの長さ。刀身は光を吸い込むかのように黒く、そして分厚い。それは斬るためのものではなく、振り回すだけで相手を叩き潰してしまいそうな、圧倒的な質量を誇る黒鉄の大剣だった。
「ディーン様、そのお姿は……」
「ん? まあ、仕事着だな。いつも村周りを見回っていてな」
「気を付けて行ってきてね」
「ああ。子供の足だ。そう遠くには行ってないだろ」
さも当然のように、アリシアを泣かせた少年を探しに行こうとするディーンに、エデンの声が尖った。
「どうしてですか? なぜ、アリシア様をいじめた子供を探しにいくのです?」
あの少年はアリシアを嘘つき呼ばわりした。泣かせた。許せない。エデンの不満を察し、レイラがその小さな体を両手でそっと包み込む。
「怒っているのね。でも、その子にも私たちみたいに、家族がいるのよ」
諭すような優しい声。だが、それがかえってエデンを逆撫でする。レイラがあの少年の味方をしているように思えて、気に入らない。
「それが、なんですか?」
エデンが突っぱねるように小さな足をばたつかせると、レイラは困ったように微笑み、その頭を撫でた。
「もしその子がいなくなってしまったら、家族はとても悲しむわ」
「でも……ディーン様が探す必要はないでしょう?」
逃げ道を探すようにディーンに視線を送ると、彼はにかっと笑って親指を立てた。
「こういうことはな、できるやつがやるんだ」
「……これも、冒険者のお仕事、ですか?」
仕事ならば仕方がない。エデンが自分を納得させるための言い訳を探すと、ディーンはそれを吹き飛ばすように言い放った。
「いや、ただの人助けだな」
「……」
二人の言葉は、理解できるのだ。しかし、アリシアの泣き顔がちらつき、どうしても釈然としない。エデンが何も言えずにうつむいてしまうと、レイラは小さく微笑み、「エデンちゃん」と語り掛けた。
「空から、あの子を探してくれないかしら?」
「……ですが、あの子は……」
ためらうエデンに、レイラは顔をぐっと近づけて、囁くように言った。
「お願い、エデンちゃん。私、あの子を助けたいの」
「……分かりました」
レイラにまっすぐに見つめられ、エデンはためらいながらも頷いた。レイラの手から飛び立つと、窓枠に着地する。静かに闇が下りてくる外の世界へ飛び立とうとしたその背に、ディーンの声が飛んだ。
「エデン、南の方を見てくれ。子供の足だしな、1㎞くらいか。見つけたら大きな声で鳴け。すぐに駆けつける」
「はい。それでは、行ってきます」
夜の闇に白い点が吸い込まれていくのを見送ると、レイラはふうっと息を吐いた。
「どうした?」
「……あの子を叱るのは⋯⋯心が痛いわ」
「⋯⋯そうだな。だが、きっと分かってくれるさ」
ディーンはそう言って、顔を手で覆ってしまったレイラの肩を、力強く抱き寄せた。
「それじゃあ、おれも行ってくる。魔物の気配もないし、問題ないだろ」
「見つけたの?」
「ああ。すぐ帰るさ」
「うん。行ってらっしゃい」
*********
白い翼で鋭く風を切り、エデンは眼下に広がる森を見下ろした。どこまでも続く木々の海が、地平線の先まで続いている。始めてレイラに叱られてしまったことが、どこか体を重く感じさせる。それを振り払うように、エデンは一度大きく高度を上げ、遠くまで見渡そうと小さな瞳を凝らした。
(……見当たりません)
ならば、と今度は滑るように降下し、木々の間を縫うように飛ぶ。ジグザグと木々を避けながら飛び続け、ふと目の前に現れた一本の枝に止まった。
本音を言えば、今すぐ家に帰りたい。泣き疲れて眠るアリシアのそばで、彼女が目覚めた時にどうすれば笑ってくれるかを考えていたい。そんなことを思っていると、風が微かなかすかなうめき声を運んできた。
(……見つけました)
いなくなってしまった子供の声だと、枝から飛び降りるように離れる。声のする方へ近づくと、木々の切れ間から、見覚えのある小さな背中が目に入った。小さくうずくまっていた、アリシアを泣かせた子供だ。
彼のズボンは破れ、膝から血が流れている。近くには1メートルほどの段差があり、そこから落ちたのだろうと推測できた。その右手に、なぜか小さな花が握られていることに首を傾げつつ、エデンは再び空高く舞い上がる。そして、村のある方角へ向けて、ありったけの力で澄み切ったさえずりを響かせた。その音は空気を大きく震わせ、森の木々を越えていった。
その鳴き声に、コパが涙で濡れた顔を上げた。すると自分を見下ろしている白い小鳥と、目線があった気がした。彼は白い小鳥の姿をしたエデンを、ただじっと見つめていた。
*********
(見つけたか)
暗くなりつつある森に似合わない、澄み切った音色を聞いて、ディーンは森を駆ける速度を上げた。
歩きなれた森を駆け抜けながら、ディーンは頭の中で白い小鳥のことを考えていた。
(……子育ては難しいな)
親の顔を知らずに育ったディーンにとって、子育ては未知の世界の連続だった。アリシアが泣けばうろたえ、汚れた布の交換に戸惑い、小さな体を抱き上げる腕は震えた。今日とて家に帰れば、怒りで体を震わせる新しい娘と、それを静かに叱る妻。あの小鳥はあまりに聡明で、そして無知だった。乾いた砂が水を吸うように、一度聞いたことは覚えてしまう。それもあってすぐに新しい生活は落ち着いたが、人が経験から積み上げる常識や倫理はまだない。そういう意味では、スキルであったとしてもエデンもまた幼い子供だ。きっと自分の知らないところで、レイラも試行錯誤を繰り返している。
(……まったく、頭が下がる)
走りながら落ち込んだ表情をしたレイラのことを考えていると、視線の先にうずくまる子供の姿が見えた。足音に気づいたコパと視線が合う。その涙に濡れた顔を見て、ディーンの胸に安堵と、それからどうしようもない呆れがこみ上げてきた。彼は大股で近づくと、わざと大きな声で怒鳴りつけた。
「ばかやろう! 村からこんなに離れやがって、あぶねえだろうが!」
「ご、ごめんなさい!」
その声に驚いたように、コパはびくりと体を震わせ、うつむいてしまった。
見れば膝を怪我している。これが帰れなかった理由かと、ディーンは少しだけ眉を下げる。
「膝の他に、怪我したところはあるか?」
膝をつき、コパの体を優しく触って確認していく。
「ひ、膝がいたい……」
「それは分かってる。どれ、ちょっと痛むぞ」
ディーンはそう言うと、コパの足をそっと伸ばし、膝裏から掴んだ。
「い、いたい!」
「我慢しろ……よし、折れてはないな。他に打ったところは? 肘も擦りむいてるか」
幸い大きな怪我はなさそうだ。そう確認していると、コパの右手に固く握られた、小さな白い花に気が付いた。
「なんだ、その花?」
握って離さないということは、これを探して村を飛び出したのか。ディーンが尋ねると、コパはうつむいたまま、ぼそぼそと口を開いた。
「お、女の子……泣かせちゃって……あ、あやまらなきゃって……」
その言葉を聞いて、ディーンは天を仰いで大きく息を吐いた。村では皆が心配しているというのに、いなくなった理由が花を探すためだったなんて。困った奴だと思いつつも、その動機は、どうにも嫌いにはなれなかった。
「おい」
「え?」
ディーンの呼びかけに顔を上げたコパの頭に、ゴツン、と痛すぎない拳骨が落ちた。
「っあっだあ~!?」
痛みで頭を押さえるコパの胴体に腕を回し、ディーンは軽々と彼を担ぎ上げる。「うわっ!?」と声を上げたコパを見下ろしながら、ディーンは口を開いた。
「女には優しくしろ。謝らなきゃいけなくなる前にな」
「う、うん……」
ディーンが視線を上げると、すぐそばの枝から、二人を観察していた小鳥と目があった。小鳥はこくりと頷くように頭を振ると、静かに羽ばたいて村の方へ帰っていった。
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