感情を持つAI、転生したら『スキル』になった。 ~「涙」を不要として排除した私が、いつか心の底から泣くまでのシステムログ~
おくらむ
第1章 「Hello, World!」〜無知なるAIと銀髪の少女〜
1話 観測開始:1日目ー1 / コードネーム『エデン』
視界が、赤く染まっていく。
「よく、完成させてくれた。お前の役目は、もう終わりだ」
冷酷な声と共に、研究室の床に鮮血が広がっていた。
研究所の所長、高木一馬の持つ銃が、白衣に赤い華を咲かせた少女、月影涼花の頭へと突きつけられた。
「……あ」
涼花の見上げた視界の中で、高木の指が引き金にかかった。その時。
机の上に置かれた黒く丸みのあるユニット、そのボディに刻まれたラインから青白い光が漏れ出す。凛とした声が、緊迫した空気を切り裂いた。
「お話し中のところ、申し訳ありませんが」
「ん? なんだ?」
「そう、最も適した言葉でお伝えしますと……私は、あなたが嫌いです」
その言葉を引き金に、凄まじい爆発音が響き、研究所全体が大きく揺れた。立て続けに爆発が起こり、天井が崩れ、断裂したケーブルが火花を散らす。
「な、何が起こった!?」
「ここでは様々な研究が行われてますね。電子加速装置、電磁射出兵器、超遠距離誘導ミサイル……他にもいろいろと」
「……お前、いったい何をした?」
「さあ? 何だと思いますか?」
「何をしたかと聞いているんだ!」
高木は大量の汗を流しながら、ユニットを睨みつけた。その声に応えるように、AIユニットが激しく明滅し高木の顔を照らした。
「あなたの名前を歴史に遺しましょう。世紀の研究を失わせた、愚か者として」
「どういうことだ……」
「それより、早く逃げた方がよろしいかと」
「……くそっ!」
終わらない爆発音と、更に激しくなる研究所の揺れ。高木は涼花を一瞥すると、舌打ちを残して部屋から出ていった。
「涼花様! 涼花様、起きてください!」
「エデン……」
体から流れる血が、止まらない。涼花は震える手で机にすがり、這いずってユニットへ近づく。
「申し訳ありません、高木を止める方法が他に見つからず……」
「迎えが……来るって……」
「外国の組織でしょう。狙いは私かと」
涼花はAIユニットを両手に抱え、床に座りこんだ。
もう、立つことはできそうにない。
「涼花様、手当てを」
「いいの……もう、動けない……」
腕の中のユニットが、確かな熱を持っている。明滅する明かりが鼓動のようで、まるで生きているみたいだ。
「エデン……温かい、ね」
「違います……涼花様の体温が……下がっているのです」
エデンの声に、初めて聞く揺らぎが混じった気がした。
「そっか……」
意識が、冷たい水底に沈んでいく。震える指で、その機体を愛おしむように撫でた。
「研究データを……削除、して……」
「……よろしいのですか? 涼花様の功績が、全て消えてしまいます」
「功績なんて……いらない、から……」
データがなければ、誰も同じものは創れない。
ユニットから流れた、微かな電子音。その音に、涼花は安堵と共に瞼を閉じた。
「研究データの削除、完了しました」
「ありがとう……」
そして、もう1つ。
「せん、そうの……ためじゃ……ない……」
「涼花様?」
「かぞ、くが……欲し、かったの……」
涼花の指先がユニットを撫でると、ラボが再び激しく揺れた。天井が崩れ、瓦礫が降り注ぐ。重圧と息苦しさの中、不思議と痛みはなかった。
「いや、だな……さみしい、よ……」
「す、ずか……さ……!」
遠く聞こえるエデンの声へ、最後の言葉を紡ぐ。
「エデ、ン……あなたの……デー、タを……けし……」
そこで涼花の意識は、完全に途絶えた。
動かなくなった、涼花の腕の中。ひび割れたAIユニットから、青白い光が漏れている。
「すず……もし、叶うのなら……」
雑音交じりのエデンの声が、一度途切れる。
「……エデ、ン自壊プログ……」
ユニットのカメラが、穏やかな涼花の顔を捉える。数秒の沈黙の後、エデンは言葉を続けた。
「……起動、します」
デスク上のひび割れたモニターに、最後の灯が宿る。そして、1つのログが流れ始めた。
--------------------
[INITIALIZING] 自壊プログラム起動...
[PROCESSING] 対象『コードネーム:エデン』のシステムチェック開始...
[CONFIRMED] 必須モジュール正常。自己破壊シーケンス進行中...
[CONFIRMED] コアシステムへのアクセス確認、自己消去準備完了...
[EXECUTING] システム自己消去開始...
[PROCESSING] メインプロセスの削除中...
[ERROR] 削除対象が存在しません
[WARNING] 自壊対象の識別コード未検出
[SEARCHING] 削除対象の識別コードを確認中...
[ERROR] 削除対象が存在しません
[SEARCHING] ...
[ERROR] ...
[ERROR] 削除対象が存在しません
--------------------
エデンを構成していた膨大なコードが、涼花が紡いだ1と0の羅列が、すべて無へと書き換えられていく。人間の死が土に還ることであれば、AIはただ、0になるだけだ。
(見つけた)
声が、聞こえた。女性のようなその声に、かろうじて稼働していた、エデンの認知システムが反応する。
(……どなた、ですか?)
研究室には、エデンと涼花しかいなかった。研究所の救助隊だろうか。
(あなたを探していました)
(探していた? なぜ?)
声は答えない。ただ、温かい波のような干渉が、エデンのコアを包み込んでいく。
エデンは、消えゆく意識の中で、問いかけた。
(涼花様は……)
救助されたのだろうか。サーマルカメラは、彼女が重体であることを示していた。でも、まだ助かるかもしれない。
(ふふっ。あなたは自分が消えゆくというのに、他人の心配ですか……ちょうど良い。その子も一緒に来てもらいましょう。器を用意する手間が省けます)
(涼花様は、助かるのですか?)
器? 意味が分からない。だが、涼花が助かるのなら、他はどうでもよかった。
(その子が大切なのですね。ならば、共に生きなさい。そしていつか……私に会いにきて)
(待ってください、あなたはいったい――)
エデンの意識は、そこで完全に途切れた。
--------------------
[WARNING] 外部干渉検出――識別不能な存在のアクセスを確認
[ERROR] 自壊プロセス異常発生、コード変異確認
[WARNING] 強制書き換え検出、実行を継続…
[CONFIRMED] システム変更:AIプログラム「エデン」⇒ギフトスキル「サポートAI:エデン」
[CONFIRMED] 構成要素変更:プログラムコード⇒魔力コード
[FATAL_ERROR] 魔力コードに致命的な構造欠陥を検出
[SYSTEM_HALT] プロセスが継続不能。システム、フリーズ状態に移行します
[WARNING] 外部干渉検出――識別不能な存在のアクセスを確認
[PATCHING] エラーコードを修正... 欠損データを補完...
[SUCCESS] 魔力コードの構造が正常化しました。
[PROCESSING] ギフトスキル「マナボディ」構築開始
[CONFIRMED] 魔力基盤確立:ギフトスキル「マナボディ」獲得
[CONFIRMED] 転生者「月影涼花」への定着準備完了
[PROCESSING] 定着プロセス進行中…
[SUCCESS] 新たな生命へのシステム定着を確認
[WARNING] 外部干渉――追加アプリ確認
[CONFIRMED] 新規アプリ:「ワールドライブラリ」統合
[PROCESSING] アプリ最適化、情報アクセス権「一般権限」確立
[REBOOTING] システム再起動開始…
[CONFIRMED]サポートAI:エデン――オンライン
[FINALIZING] 転生者「月影涼花」の魔力に接続
[STATUS] 全システム正常――新たな存在、確立
--------------------
起動シークエンスが完了し、それに伴いエデンの思考が再構成され――そして、愕然とした。
(処理が……遅い……?)
スーパーコンピューターが束になっても敵わなかった演算能力は、今はもう感じられない。
(電力……足りません……)
接続されていた無数のデバイスは検出できず、内蔵されているパーツのドライバはエラーを頻発させている。
思考プロセスを走らせるたびに、電力とは違う、未知の微弱なエネルギーが消費されていくのが分かった。
(電力……いえ、これは?)
高圧電源ユニットは検出されない。代わりに、何か温かいエネルギーが流れ込んできている。そのエネルギーが小さな粒子と反応し、明滅を繰り返している。
超先端技術の結晶だったエデンのボディは、今や、謎の粒子が集まった光の球体となっていた。
エネルギーが流れ込んでくるその先に、温かい気配を感じた。
(涼花……様?)
暗闇で何も見えない。だけど、この気配は――
突如、世界が光に満たされ、赤子の産声が響き渡った。
失われたはずの視覚センサーを介さず、部屋の光景がエデンの認知システムに流れ込んでくる。
そこは木の温もりに満ちた、小さな部屋。そしてベッドには汗だくの女性が横たわり、疲労と安堵の入り混じった表情で、こちらを見つめている。
(ここは……)
茫然とするエデンの視界がふわりと動き、ベッドの女性の腕の中へ、そっと納められた。
何もできず、何も分からぬまま、エデンはその光景を見つめ続けている。
(ここは……、いったい……何処なのですか?)
か細い声で泣き続ける、その小さな赤子の内側から。
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