寄り道の理由
ヨンタ
第1章 風の記憶
第1章 第1話(通算1話) 風の記憶
夜明け前の峠道。うっすらと霧がかかり、空気はひんやりと澄んでいる。
エンジン音が遠ざかっていき、静寂が戻る。バイクのタイヤが湿ったアスファルトに触れた跡が、薄明かりの中に残されていた。
山頂付近の見晴らしのいい駐車スペースに、2台のバイクが並んで停まる。
拓磨と隼人は、同じ大学の同じ学科に通う三年生。1限目の授業がない日には、こうして早朝の峠を走るのが最近の習慣になっていた。
2人とも自販機で缶コーヒーを買って、岩の上に腰を下ろす。
「……んー、やっぱ朝は空気が違うな。走ってて気持ちいいわ」
「朝露で滑りそうで、ちょっとビビったけどな」
「お前がビビるとか、レアだな」
「うっせーよ。オレはいつでもクールなチキンだっつーの」
拓磨は缶を開けて、ひとくち飲んだ。微かに苦みのある味が、静けさの中に染み込んでいく。
「でもさ、隼人って名前だけ聞くと速そうだよな。中身は別として」
「おい、それどういう意味だよ。オレは命がけで走るタイプじゃねーの。てか、彼女でもいればなぁ。毎回お前と走ってるとか寂しすぎるわ」
「悪かったな。オレは別にひとりでも楽しいから」
そのとき、一台のバイクが二人の前を軽やかに通り過ぎた。
髪の長い、スリムなシルエットのライダーが、軽くバンクさせながら峠を下っていく。
ヘルメット越しでも、どこか女性らしい仕草が感じ取れた。
「拓磨、今の見た? バイク女子っぽくね? しかもあれドゥカじゃね? めちゃカッケーんだけど」
「……ああ。カッコよかったな」
拓磨は、その後ろ姿に視線を残したまま缶を口元に戻した。
ほんの一瞬、ヘルメットの中の笑顔を思い出しかけて──自分でそれを追い払う。
「……そういや、澪って今どうしてんだっけ?」
隼人の声が、少しだけ湿り気を帯びていた。
拓磨は、缶を見つめたまま言葉に詰まり、口元をわずかに引き結んだ。
心のどこかが、風のようにざわついた。
「さあな。知らねーよ。もう会ってねーし」
「なんかさ、雰囲気変わったって、誰かが言ってたような……」
それでも一瞬だけ、あの声や匂いを思い出しかけた自分が、なんとなく悔しかった。
「……ふーん。どうでもいいよ。そんなの……」
「まあな。でも、そういうのってさ、なんか引っかかるっていうか。元カノあるある?」
拓磨はゆっくり立ち上がり、視線を隼人からそらした。
「うるせーな。もう帰るぞ」
セルモーターが唸りを上げ、静けさを破るように響いた。エンジンが目を覚まし、夜明け前の空気を切り裂いていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます