35 崩壊は一瞬にして

「今日はここまでにしておこうか」

「形にはなったわね。一日寝かせて、明日、粗を潰して仕上げにしましょう」


 すっかり日も暮れた時間になって、あたしたちは後片付けをしてスタジオを出た。この街は夜も明るい。そこら中で光るネオンやLEDのせいだ。冬ってのは星空がよく見える季節らしいけど、東京じゃ星どころか空さえ視界いっぱいに捉えられない。


 入り口から少し離れ、みんなが出てくるのを待った。集合はたいていしずくが一番最後だけど、帰るときはあみながよく最後になる。理由はもちろん、忘れ物がないか真面目に確認してくれているから。


「サトウマリン、来月に大きいライブするらしい。現実世界の会場はクラウン新宿ってとこ」

「最大収容人数が四千人の、大型ステージね」

「ずいぶん大きなところに行っちゃったな、まりんちゃん。ちゃんと届いてるかな……」


 あみながドアから出てきて、あたしたちは立体橋へと数歩足を動かした。その時だった。フラリ、と橋の向こうから近づいてくる人影を見たのは。


 深々とフードを被った誰かが、真っ直ぐにあたしたちへ足を早めてくる。その手にはトートバッグが提げられていたけれど、何故かずっともう片方の手をその中に突っ込んでいる。様子が何か変だ、とあたしは身構えた。けど、そいつが睨んでいたのは――。


「――見つけた。やっと見つけた…………ぁ!!」

「……!?」

「あみなっ!」


 そいつがトートバッグから取り出したものがキラリと光を見せた瞬間、あたしは咄嗟にあみなの前へすっ飛んでいた。それでもギリギリ、自分の右手を二人の間に割り込ませるのが精一杯だった。ゴリュッ、と右腕にスゴく嫌な感覚が走る。


 フードの人物――あたしたちと同じくらいの女の子だった――はあたしに視線を移すと、叫びながら思い切りあたしを突き飛ばす。あたしの右腕にある何かが外れなかったのか、彼女はあたしもろとも地面に倒れ込む。マズい、この体勢は! そう思った直後にあたしは背中側から地面に倒れ、背後で最悪な音を聞いた。


 何が。


 何が起きてるんだ。なんで。


 自分が今どうなっているのかも分からなくなった頭に、フードの女の子のわめき声が響いた。彼女は自分だけ起き上がり、すぐ近くで尻もちをつくあみなに再び顔を向けていた。


「ふざけんなふざけんなふざけんな! お前のせいでわたしたちは全員人生詰んだのに、お前ひとりだけのうのうとまたバンドやって、バズりやがって!」


 そのセリフで、混乱した頭に一箇所だけ線が繋がった。ほんの数分、一回見ただけだったけど、緊急事態中の脳がフル回転して記憶を呼び覚ます。彼女は確か……あみなが昔所属していたバンドの、ボーカリスト。


「何もかもお前がいけないんだ……! お前がわたしたちのバンドにいなければ! お前が……いなければ!」


 そう言いながら彼女はあたしの右腕を踏みつけ、そこにあった何かを外そうとした。あたしはその時になってようやく腕がどうなっているか自覚した。


 包丁が、刺さっている。


「…………やめろォォォォォォっ!!」


◆◆◆


 その直後に何が起きたのかを、あたし自身でも上手く説明できない。ただ、記録された映像をそのまま説明すると、包丁を引き抜こうとした彼女の手をあたしは無事なほうの腕で掴み、そのまま身体を大きくねじって彼女を蹴り飛ばしたらしい。その後、女の子はマナ姉が取り押さえ、あたしは意識を失って目を覚ましたら病院に。自分でも信じられない動きだった。これが火事場の馬鹿力ってやつなのかな。


 どこにそんな記録映像が残っていたのかと言ったら、あたしの〈ブレインネット〉の中だ。システムがバイタル低下を検知して、記録収集と救急通報を自動で始めていたのだ。そんな機能が存在していて、まさか自分に対して発動するなんて思わなかった。


 おかげでフードの女の子は現行犯逮捕。あみなも無事だった。ただ一人、右腕を包帯でグルグル巻きにされたあたし以外は。


「れんげさん!」


 警察官からの状況の聞き取りを終えて、入れ替わりでみんなが病室へ駆け込んできた。あみなが目に涙を浮かべあたしの顔を覗き込む。人工の眼球が、本物と遜色ないほど切実に揺れている。


「あみな……無事でよかった」

「わたしの……わたしのせいよ。こんな呪われた過去を持っている人が、誰かと仲良くするべきじゃなかった」

「むしろ、あたしのせいだよ。あたしの自分勝手なワガママにあなたを巻き込んだから、あの人にあなたが見つけられちゃった」

「そんなわけない! あなたと一緒にステージに立ったのは、わたしの意思よ!」

「あみな……」

「れんげちゃん。キミはあみなちゃんを助けたことに、後悔はないよね?」

「うん。当然」

「なら、今は謝り合うんじゃなくて、ありがとうを言う時なんじゃないかな」

「……そうね」


 マナ姉がそっとあみなの背に手を当てて、あたしには微笑みを向ける。あみなは静かに、だけどしっかりとあたしの左手を握って、「ありがとう」と口を動かした。


「それで、れんげ。腕は」

「それは……」


 詳しい話は、これからやって来るお母さんと一緒に聞く。けれど薄々予感してはいた。包帯の先にあるあたしの右腕は、全く力が入らなかったから。

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