07 あなたの隣に立ちたくて

 外では日が沈み、人工光が眩しく街を染めていく頃。あたしはベッドの上に置いたギグバッグをそっと開いた。自室の寒色気味な照明に照らされて、ムラなく塗られた赤白二色が輝く。

 なんとか家まで歩いて帰ってきたあたしは、どうやらこいつを背負ったまま寝落ちしていたらしかった。それを見つけたお母さんは驚くことが多すぎてただただ絶叫していた。その後状況を色々説明して、ギターに関してはもう購入後だし自分のお小遣いで買ったんだし、ってことで納得してもらえた。


 そういうわけで、睡眠してリセットされた頭で改めて自分のギターとご対面。不思議な感覚だ。これまでせいぜい小さなぬいぐるみやアクリルスタンドくらいしか装飾がなかったあたしの部屋に、エレキギターがある。


「ホントにギター買っちゃったんだ、あたし」と呟きながら、上下左右四方八方からギターを眺める。外見を決め手にしただけあって、やっぱり良いデザインをしている。っといけないいけない。これはインテリアではなく楽器なのだから、弾かないと。


「ええと、最初はどうするんだっけ……説明書は……」


 小物類がまとまったポリ袋を漁る。あっストラップ。ギターに付けておかないと。じゃなくて説明書はどこだっけ。あっ折り畳み式スタンド。展開しておこう。じゃなくてじゃなくて……脱線を重ねてようやく小さなカードを三枚発見。それぞれに二次元コードが印刷されていて、これを〈ブレインネット〉で読み込めばコンテンツが見れるというわけだ。

 『セットアップマニュアル』と書かれたコードをじっと見つめて内容を読み取り、ギターのチューニングやアンプの設定を完了させる。今回はシールドを自分のうなじではなくミニアンプに繋げた。だってせっかくアンプも買ったんだし、脳内に直接じゃなくて耳から音色を聴いてみたいもの。とはいえ、うちは集合住宅だし親もいるから音量は最小で。


「よし、行くぞ……」


 ピックをギュッと握り振り下ろせば、しゃららー、と真っ直ぐな音色がスピーカーから聞こえてくる。小さいけれど、これだけで小躍りしてしまいそうだ。やっぱり自分の演奏で音が鳴るってスゴく感動する。

 だけどこのままじゃ楽器店での試奏と同じ。そこで次に取り出したのが、この入門用ARビデオってやつの二次元コードだ。読み取ると部屋の中に、ギターを構えた半透明の男性が現れた。


『はじめまして! バーチャルギター講師のジミーです』

「おあぁ、はじめまして!?」

『本プログラムでは、ギターを初めて購入された方向けに私の実演をお見せしながら学習いただけます』


 いきなり人間が出てきてびっくりしたけど、ジミーの右上にはオプション画面のインターフェースが浮かんでいた。どうやら性別を変えられるらしい。選択肢は『男性』『女性』『ニュートラル』『ロボット』『猫』……スゴい気になる選択肢がいくつかあるけどここは女性で。すると喋っている途中のセリフがシームレスに女性の声へ変わり、立っている人も女性になった。


 それから夕食で中断させられるまで、あたしはレクチャーを最初のチャプターから順番にこなしていった。


 右手のピッキングから、左手の弦の押さえ方、それらを組み合わせてドレミファソラシドを弾く……エトセトラエトセトラ。本当にいろはのいの字からだけど、どれも学ぶのが楽しくて仕方ない。

 この教則ARの良いところは、目の前にいるお手本の女性が『映像』だということだ。だから一時停止することも巻き戻すこともできるし、再生速度だって変えられる。何より一番便利だったのは映像と自分の体を重ねられること。幽霊が憑依したみたいに、あたしの肩から半透明の腕が伸びて弦の正しい場所を押さえてくれる。

 ARがない時代の人たちって、どうやって練習していたのか想像できないや。そんな時代に生まれていたらきっと、Fコードの運指で既に挫折していたかもしれない。

 夕食を急いで済ませて再開して、次はお風呂の時間で中断されたらカラスの行水と化してまた再開。やっぱり集合住宅じゃアンプから大音量は出せないよなぁ。どこか大きな音出してもオッケーな場所あればなぁ。なんて心の片隅で思いつつ、夜も遅いのでアンプから自身のうなじにシールドの繋げ先を変えて弾き続けた。

 やがてC→G→Aマイナー→Fと四つのコードを繋げて弾けるようになった頃、ふと窓に目を向けたらカーテンから漏れる光が人工光ではなくなっていた。二日続けて眠らない夜を過ごしてしまったようだ。あぁ、お肌に深刻なダメージが……。落ち着いてギターをスタンドに置いて、無心でベッドに倒れ込んだ。


 なお、シールドをうなじから外すのは忘れていた。


◆◆◆


 ギターの練習は、あたしの新たな日常になった。通学中は〈ブレインネット〉のギター練習用アプリで運指の練習。側から見るとエアギターだけど、あたしの視界にはギターの姿が見えている。

 授業中も同じ。集中しているような顔をして右手でPDを弄りつつ、机の下ではコッソリとコードの押さえ方を確認。まさか授業中にギターを弾いているなんて先生も思わないだろう。〈ブレインネット〉様々だ。

 学校が終わったら真っ直ぐ家に帰る。クラスメイトからの遊びの誘いを何度か断っていたら、放課後どころか休み時間も話しかけられることが少なくなった。あぁ、昔を思い出す。だけど今のあたしにはむしろラッキーにさえ思えた。だって、ギターの練習に時間を使えるもの。

 家に着いたらいよいよ本物のギターで実践。最初の数日は指が痛すぎて「指をサイボーグ化したい……」なんて思っていたものだけど、あたしの肉体は徐々にエレキギターへの適応を果たしつつあるようだ。今ならギターを持ったまま立って激しめなフレーズだって弾ける。……『激しめのフレーズ』はまだまだこれからだけど。


 身体が疲れていても頭が元気なら、仮想空間というもうひとつの練習場がある。コンセントから接続用のケーブルを引っ張ってきてうなじに繋げば、あたしの意識が肉体からフワリと浮かび、電子の海へと旅立つ。

 辿り着く先は雄大に広がる草原の世界。人間はあたし一人だけ。まさに究極のプライベート空間だ。まぁ無料なのと引き換えに利用可能な時間は決まっているし、草原にはところどころに広告の看板が刺さっているけど。

 軽く散歩して、デジタルに再現されたへ感覚を慣らしたら、右手を大きく振ってメニュー画面を開く。

『保有オブジェクト一覧』の中からあたしが取り出したのは、現実と寸分違わぬ色形のあたしのテレキャスター……三枚あったコード付きカードの最後の一つ、購入ギターのVRモデルだ。

 見晴らしのいい場所へ移動して音量最大でかき鳴らせば、気分はまるでミュージックビデオの撮影。実質的にはイメージトレーニングと変わらないけど、あたしの前には限りなくリアルと変わらない重さと硬さがある。


 四六時中、寝ても覚めてもギターを弾いていた。今までどれだけの時間を無為に過ごしていたんだろう。その時間が全てギターの音色で塗り替えられた。


 だけど、ギターと出会ったせいでよくない変化も生まれてしまった。あたしはここ最近、マナナンさんのライブを見に行けていなかった。

 ギターを始めた、ということ自体はテレキャスターを買った数日後に話すことができた。その時に伝えてしまった願望が、あたしの足を重くしてしまったのだ。


「いつかマナナンさんと、セッションがしたい」


 あの人の隣に立つ。あの人と一緒に演奏する。それを考える度に、あたしの実力は全然まだまだだと感じてしまう。自分がギターを始めたことで、例の乱入ギタリストが中々の実力者だったということを思い知ってしまった。悔しいことに。ホントに悔しいことに。

 だから毎日ひたすらギターを弾き続けて、夢中になって、その結果としてマナナンさんのライブ告知を見逃してしまう。気付いたときにはもう終了間近、今から行っても間に合わない――そんなことを繰り返しているうちに、マナナンさんに会うことすら自信がなくなってきてしまった。


「今のあたしじゃ、まだあの人の隣に立てない」


 まだBコードが押さえられない。まだDマイナーからGへの進行がトチる。まだまだあたしは下手っぴで。


 早く彼女にあたしのギターを見せたい。でもまだ見せたくない。そんなアンビバレントな気持ちを持った自分にモヤモヤして、晴らすために練習を続ける。一日も練習を休んだ日はなかった。


 そんなふうにしてしばらくの時が過ぎた頃、教則ビデオをとっくに最終章までやり終えていたあたしはネットでギター講座の動画を探して練習していた。

 そんな動画のとあるチャプターが目に入って、体が固まった。


『自分の好きな曲に合わせて弾いてみよう』


 改めて自覚するまでもない。あたしが大好きなのはマナナンさんの曲だ。ライブに行けなかった日も、曲だけはずっと聴いていた。

 だけど、その曲に自分のギターを乗せるなんて考えられなかった。考えたくなかったんだと思う。これもライブに行けなくなったのと同じだ。怖い。自信がない。高級ケーキに安物の人工甘味料をぶちまけるようなものだ、と。

 まだ、早い。そう無意識にチャプターをスキップしようとしたその時、〈ブレインネット〉に通知が走った。


 ――音楽は自由だよ。やりたいって思ったことを何でもやっていいんだ。


 まるでそう告げるかのように、マナナンさんのライブ告知が視界へ広がる。今から出発すれば五分遅れ程度で間に合いそうな場所だった。〈QuShiBo〉のウィンドウの先で、あたしのテレキャスターが照明を反射していた。


 それだけで体の硬直は弾け飛んだ。それだけで傾くほどに、あたしの心の矛盾は拮抗していたのかもしれない。勢いのままギターをギグバッグに入れて背負い、ミニアンプも持ってあたしは家を飛び出した。


 ――そうだ。何を悩んでいたんだろう。マナナンさんは一度だって、何かを否定なんてしなかったじゃないか。


 総重量およそ六キロの相棒たちを携えたその足は、もう止まることなく改札を抜けた。

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