第3話 満たされない蜜

神殿オリュンポスの勤めにも慣れてきた頃。


庭園に鮮やかな夏の花が今が盛りと咲いていた。


まだ年端も行かぬ頃から、この神殿オリュンポスの奥の院で働くようになって、二年。


不思議な場所である。

ほんの入り口にはすぐに観光地のようになっているのに、続く深い森は人を選ぶ。


その先のこの奥の院こそが、本来の神殿オリュンポス


辿り着ける者とそうでない者がいて、家令の中でも、当然その聖域での勤めは辿り着ける者達に任せられていた。


だからこそ、神に仕える神官は常に人材不足。


神官の衣装にも慣れた。

姉弟子の選んだ純白濃紅の衣装は確かに窮屈ではあるが、確かにこの神殿オリュンポスで必要な身のこなしには向いているようだ。


しかし、食べ盛り、甘いものが何より恋しい年頃の戴勝やつがしらにとって、神殿に入る前とその最中の節制、つまり、血の滴るものの肉や魚、そして加工品を口に出来ないというのは、何より辛い。


加工品というものは、世の中、思うより多い。


未精製であっても砂糖はダメ、調味料も海の塩や山塩以外はダメ、醸造されたものも発酵食品もダメと言うのだから酢も醤油もダメ。

もうどうしようもない。


最低でも十日間は潔斎をして、更に大体1ヶ月は神官勤めとなるので、その苦行は続くわけだ。

それは、自分を守る為であるそうだ。


「でないと怖い神様に頭からバリバリ食われるんだよ、我慢しな」


姉弟子達はそう言ったけれど、とてもじゃないが納得できない。

そう言って、彼女達は自分には関係ないしと、宮城で潔斎中、飢える自分の目の前で好き放題にあれこれ食べているのだから。


怖いどころか、これじゃ悪い神様じゃないかよ!


現在、間違いなく自分にとって害悪ではないか。


戴勝やつがしらはすぐ近くに咲いている黄金色にも似た仏桑花ハイビスカスを無造作にちぎると、口に持っていってその蜜を吸った。


かすかに薄ら甘い。

しかし、これでは到底満たされない。


よくわからないこんな花ばかり咲いてないで、もっと甘い果物でもなればいいのにと恨めしく思う。


花なんていくら食ったって、いいとこサラダだ。


もっとこう、説得力のある食いでのあるもんが食べたい。


こういう潔斎が必要な勤めに励む者というのは、きっと心身共に澄み渡っていくのではないかと思われるが、そうでもない。


向き不向きもあるのだろうが、家令の殆どの神祇官達は、より欲望と煩悩を強くしているだけではないだろうか。


好き放題に生きて死ぬ家令が、こんな禁欲的な生活に向いているとは全く思えない。


「・・・いた!戴勝やつがしら


突然そう声をかけられて、戴勝やつがしらは顔を上げた。


兄弟子でもあり、異母兄にも当たる目白めじろが、花だらけになっている妹弟子を不思議そうにしていた。


姿が見えないと姉弟子に言われて探しに来てみたら、熊の子のような有様になっている。


戴勝やつがしらは純白と濃墨色の衣装の兄弟子に不満気な顔をした。


五歳年上のこの父親を同じくする兄がきっとあちこち自分を探し回ったのだろうと察せられた。


「・・・目白めじろお兄様、私いいかげん嫌になってきた・・・おいしいもの食べたい!」

「・・・宮城に戻ったら、大猿子おおましこ姉上が、すき焼き用意しておくって言ってたから」


そんな三日も先のすき焼きなんて、と戴勝やつがしらはむくれたが、仕方ないのもよく分かる。


神殿オリュンポスの何が辛いって、この潔斎期間。


だからこそ、自分達の母親は、二人とも巫女家令だと言うのに、子供達にこの役割を押し付けて、さっさと前線の軍働きに戻ってしまったのだ。


前線での軍属というのは、勿論危険もあるけれど、その分、自由ではあるから。


「・・・嫁に向いていないタイプというやつよ。に居んないんだから、あの二人」


面白くなさそうに言うが、この妹弟子だって到底、妻や嫁にはからきし向いていない、つまり女家令にはぴったりの人材だろうと目白めじろは思った。


となると。


「・・・雷鳥らいちょう姉上は、よくやってるよな」


あの姉弟子は、皇帝の意向で嫁に行って以来、奥様稼業を続けているのだから。


でも、まあ。

・・・あの人、そろそろ、飽きてる頃じゃ無いかな。


目白めじろは妹弟子の隣に座り、あちこちにくっついている食いかけの花を払った。


全く、こんなの食っても腹の足しにはならないだろうに。


蜜なんて、こんなのほんのわずか。

針の先くらいではないか。


余計満たれされず、渇きは強くなるだろうに。


雷鳥らいちょう姉上、男児を産んだらしいよな。待望の跡取りが産まれたって、状元殿は大喜びで、陛下も褒賞を与えたってさ」


雷鳥らいちょうは、二年前に状元の官吏の後妻に入った姉弟子。

女皇帝が、彼の政治的な功績を祝い労う為にお気に入りの女家令を下賜したと言うわけだ。


「・・・・あんなの。お姉様、いかにも奥様っぽい事言ってるけど、もう飽き飽きしてるの見え見えじゃない」


そもそも危険な分、大いに刺激的な日々を生きる家令である。

しかも雷鳥は、母親が女家令の生まれながらの女家令だ。


いくら女皇帝がそうせよと仰ったからと悦に浸ろうが、そもそも奥様稼業なんて向いていないのだ。


「・・・軍艦鳥ぐんかんどり姉上と扇鷲おうぎわし姉上が、自分の戦果を電話で話すものだから、雷鳥らいちょう姉上もウズウズしてるとこだろうな」


身重の体で、血風録のような姉妹弟子の話を聞いてそれは羨ましがったそうだから。


あの武闘派の二人の話では、それはそれは胎教に悪かろうが、家令の子としたら英才教育か。


「・・・・ああそうだ、斑鳩いかるが姉上が呼んでたんだ。早くしろ」


神官長でもある姉弟子から用事を言いつかったのを思い出す。


風に乗って、おそらく参道の出店からだろう甘い匂いを嗅ぎつけて戴勝やつがしらが唇を舐めた。


「・・・多分、わたあめだな。帰り買ってやるよ。黒曜こくよう様もきっと食った事ないだろうし、土産にしよう」


女皇帝と総家令の太子である黒曜こくようとこの目白めじろはすっかり仲良しで、戴勝やつがしらはそれも面白くない。


割と年が近くて、根が明るくて、自分の我儘三昧を面白がってくれる雷鳥らいちょうが居なくなって以来、宮城はそれでなくともつまらないのに。


戴勝やつがしらは兄弟子に急かされて、花を散らして立ち上がった。

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