第2話 ベナートン 害獣駆除
STCBベナートン支部が保有する基地の裏手にバイクを停め、降車した。
ヘルメットを脱いで足元のヘルメットホルダーに引っ掛け、施錠する。これでヘルメットが盗まれる心配はない。荷台に括り付けていたバックパックを担ぎ、ライフルケースを持って受付棟へと向かった。
夕方の空を見上げる。ソルトウェルの時とは違い、今日の空は分厚い鼠色の雲が蓋をしている。これは後で一雨来るだろう。早いところホテルか宿屋を見つけなければ。
受付棟へ向かう途中、同業者、つまり俺と同じRAT兵と思われる男たちとすれ違った。ガンケースを提げ、バックパックを背負った、サングラスにキャップ帽という出で立ちの男たち。そもそもSTCBの敷地内にいる時点でRAT兵であることはほぼ確定だ。敷地内には許可がない限り一般人は立ち入りできない。
コンクリート造りの建物に近づき、簡素なドアの取っ手に手を伸ばした時、そのドアが俺の手を待たずに勝手に開く。
中から現れたのはRAT兵だった。
俺と同じくらいの身長に、両腕に入れたタトゥー。その両手に提げているのは黒くてバカでかいハードタイプのガンケース二つ。いったいどんな大砲を詰めているのやら。男は片足のつま先でぐいと押すようにしてドアを開けている。
そいつはさらに一歩踏み出ると間近でサングラス越しに俺を眺めた。クチャクチャと音を立てながら動く口からはミントの香りが漂ってくる。
「今から任務を受けるのか?」
「ああ」
男が肩をすくめる。巨大なケースの存在はその黒いタトゥーの入った剛腕にとってはなんら意味のないものらしい。
「大した仕事はなかったぞ。ま、こんな小せえ町なら仕方ないけどな。あったのは害獣駆除としょっぱいパトロールだけだ。ローグと戦う任務を紹介してくれって詰め寄ったら、マーソトン支部まで行ってくれって言われた。だがここからマーソトンまでどのくらいあると思ってんだ?450キロだぞ!」
きついミント臭の息を吐きながらクムセナ訛りの強いイルディン語で男がまくし立てる。子音の発音が強く、母音の発音が短いせいか、傍目には怒っているように見えないこともない。その口から今にも唾とともにガムが飛び出すのではないかと心配だった。
「マーソトンには今から向かうのか?」
「そのつもりだ。あの辺りはローグが多いらしいからな。高い報酬の仕事にありつけるってわけだ。良ければお前も来るか?」
「いや、やめておくよ。今は手持ちの弾が少ない。安全な仕事で小銭を稼いでおきたいんだ」
男が眉を吊り上げてにやりと笑う。
「そうかい、残念。ま、幸運を祈ってるよ」
「どうも。そっちも気をつけて」
駐車スペースのほうへと大股で歩き去る男の背中を見送り、俺はドアを開けて建物の中へと入った。ソルトウェルはSTCBの基地も、街そのものも小さかったが、ここベナートンはそれに輪をかけて小さい。
バイクで街に入った時から予想してはいたが、まさかここまでとは思わなかった。
受付棟内部は無機質で狭い造りだった。
照明を反射するくらいに磨き上げられたグレーの床に、一度に3人程度の来客しか通せないような、ラップトップの載った小さなカウンター。その向こうにはSTCBの事務員が着用を義務付けられている黒の制服に身を包んだ中年の女性が腰かけている。奥のオフィスには空席が目立つあたり、他の職員はすでに退勤しているらしい。女性はむっつりとした表情でこちらを見つめ、手ぶりで自分がいるカウンターの向かいに座るようこちらに促してきた。
「どうも」
短い挨拶の後、彼女は俺にIDの照会を求めた。俺が自分のID番号を口頭で伝えるとそのラナという事務員は手元のパソコンで手早く照会を行ってくれた。
「ID番号732519……。確認が取れたわ。ここへは任務を探しに来たのよね?」
「そうだ」
ラナが大げさにため息をつく。カウンターのパソコンを丸ごと吹き飛ばせそうなくらいの風圧だった。
「残念だけどこの街には大した仕事はないわ。あったとしても害獣駆除とか簡単なパトロールとかそのくらい。マーソトンとかミードに向かうグリーンラットたちが立ち寄ることが多いんだけど、大きな仕事がないと分かるとみんな怒って帰っていくのよ。こんな小さくて平和な街に何を期待してるのかしらね」
言葉ほど残念には思っていなさそうな口調でラナがぼやく。外で会った男が言っていたこととほぼ同じ内容だ。
だが今の俺にはどんな小さな仕事でもありがたかった。いや、むしろ簡単で安全なほうがいい。Karovが使う7.62mm弾が不足しているから、路銀を増やしてまとめ買いしておかなければ。
「なんでもいいから仕事を紹介してほしい。特に害獣駆除の話には興味がある」
ラナが目を上げて俺を見る。
「珍しいわね。仕事がないと分かるとグリーンラットはみんな帰っていくのに。害獣駆除がいいのね?ちょっと待ってて」
ラナはオフィスの奥へと引っ込んでいくと、やがて1枚の書類を手にカウンターへ戻ってきた。
「これ、ここから少し離れたところにある牧場のオーナーから寄せられた依頼。敷地の中に何匹かのスニファーの群れが入っては作物や牛に被害を出して困らせてるみたい。一匹だけならオーナーにも対処できるかもだけど、相手は群れだから、万一のことがあったら困るでしょ?それでうちに連絡してきたみたいね。報酬は高くないけど、もし駆除してもらったらかなり助かるって言ってる」
ラナが太い指で書類に記入された文字をなぞっていく。俺も視線で彼女の指を追いながら仕事の内容について検めていった。
『対象、スニファー。明確な数は確認されていないが食害を受けた作物や牛の数から5~6体の小規模な群れと推測。報酬20000ペルク』
相手はスニファーか。装備と立ち回りに気を付ければ俺でも相手取れる。
だが群れである以上油断はできない。今持っているB15はボルトアクションライフルだ。一発撃つごとに手動でボルトを操作し、排莢と装填を行わなければならず、連射性能に欠ける。素早いスニファー相手では一体を倒しても他の個体に距離を詰められる危険があった。
「なるほど。分かった。この仕事を受けさせてくれ」
ラナは片方の眉を吊り上げて驚きの表情を浮かべ、こちらを見返してきた。
「ありがたいわ。小さな仕事かもしれないけど、STCBのイメージアップや地域住民の安全のためにもこういう任務を請け負ってくれる誰かが必要なの。でも今日は遅いから宿に泊まって。牧場のオーナーには私から話を通しておくから、明日の正午までには詳細を電話で伝えられると思う」
「分かった。ああ、それと頼みがあるんだけど」
「なに?」
「武器保管部に預けている俺のKarovライフルを取り寄せておいてほしいんだ。現地で必要になるかもしれない」
受付棟を出た俺はバイクに跨り、紹介してもらった近くの宿へと向かっていた。
銃器の持ち込みが可能な宿があるのはありがたい。ベナートンのSTCB支部には宿舎がなかった。さらにこう小さい町とあっては民間の宿もそう多くはないだろう。銃器が持ち込めない宿ばかりの場合、最悪野宿する羽目になっていた。タープや木陰で眠るのは任務とアウトドアの時だけで十分だ。
通りを走り、10分も経たないうちに宿に到着した。足元がアスファルトになっている駐車スペースの端にバイクを停め、ガンケースとバックパックを持って空を見上げる。頭上の空はさっきよりもさらに暗さを増している。どす黒いといっても差し支えない色だ。いつ降り出してもおかしくない。
道路沿いに建設されたその宿は、あまり大きくはないがそれなりに多くの来訪客を収容できそうな機能的な造りだった。両隣にはCストアと小さなドラッグストアが立ち並び、遠くに足を延ばさずとも必要なものが買い求められそうだ。この宿に来る客の多くは町の中央を横切るテンス・ロードを経由して荷物を運ぶトラックドライバーだろう。実際、駐車場には大型トラックが数台停まっていた。
硬い地面を踏みしめながら宿の入口へ向かい、ガラスドアを開けて中へ入った。
狭いロビーは照明が点いているにも関わらず薄暗い。奥の蛍光灯は交換されていないために点滅を繰り返していて目障りだ。息を吸い込んだ途端、きつい埃の臭いが鼻を刺した。受付の奥にはグレーのパーカーを着た若い男がいて、俺の顔とガンケースにせわしなく視線を注いでいる。
「空いている部屋はあるかな」
受付まで歩み寄った俺は若い男に聞いた。
「ありますけど……。どのくらい宿泊されますか?」
「3日。もしかするとそれ以上になるかもしれない」
「分かりました。ではこちらにお名前と住所の記入をお願いします」
受付カウンターの向こうから渡された書類に自分の名前を書く。住所の記入欄には『STCB所属につき住所不定』と書いた。RAT兵がホテルや宿で部屋を借りる際にはこの書き方で通じる。
バインダーに挟まれた書類を返すと男は物珍し気に住所記入欄をじっと眺め、さすがにこちらが何か言おうと思ったタイミングで思い出したかのように部屋の鍵を渡してくれた。
「お部屋は205号室になります。どうぞごゆっくり」
鍵を受け取り、階段を探しながら通路を奥に向けて進む。
長期間にわたって踏み固められ続けたカーペットは、靴の踵を下ろすたびに鈍い音を立てた。おまけにロビーだけでなく、通路にも埃やカビの臭いが充満していた。
悩む。
ベッドやトイレがあるだけマシだと考えるべきか。それとも野営時特有の土や草木の匂いは安宿の臭いに比べればはるかにマシだと考えるべきか。
だがこの後はおそらく雨が降ることを考えると、やはり雨露を凌げるだけ宿のほうが良いという考えに行き着いた。
鍵を開けて入った205号室にガンロッカーはなかった。壁から壁を検めてみたが、それらしきものはどこにもない。ため息とともにガンケースをベッドの足元に下ろし、バックパックをベッドのそばの壁に立てかけた。
ガンケースからBlocker19を取り出し、弾の入ったマガジンを空のグリップ内部に挿入してスライドを引く。静かな部屋に金属的な音が響いた。スライドをもう一度軽く引いて薬室を覗き、金色の実包が薬室内に入っていることを確認した。そのままBlockerとバックパック、そしてガンケースを持って浴室に入る。
浴室も予想を裏切らず簡素で、清掃が行き届いているとは言い難い。
タイルの隙間には黒いカビが繁殖しているのが目を凝らさなくても判別できるし、バスタブの中にはスクラブで落とし切れていない風呂垢がこびりついている。もはやこの宿に俺の予想をいい意味で裏切ってくれるものは何一つなさそうだ。
バックパックとガンケースをどこに置くかは悩んだが、結局脱衣所にあった荷物置きの上に置いた。ここならバスタブやシャワーからの水が飛ばないし、万一荷物を盗もうとする不届き物が現れてもBlockerで始末できる。
服を脱ぎ、Blockerをバスタブのそばの洗面台の上に置いてカーテンを閉め、熱いシャワーを浴びた。それから体を洗い、貯めた湯にゆっくりと浸かった。こうしていれば嫌なことはしばし忘れられる。
風呂から上がり、脱衣所で着替えて浴室を出ると、荷物を持ち出して部屋の隅のテーブルで食事にした。メニューはカウェイF&Eという民間企業がSTCBや軍と共同開発して販売しているMRSと呼ばれる携行食。本来は満足な食材の調達や調理の望めない環境での栄養摂取を想定した兵士向けの携行食であり、安全な宿やホテルで食べるのは場違いといえないこともない。
だが、俺が今こうしてMRSを食っているのには訳がある。
理由は、単純にこの宿で提供される食事のメニューがどう見ても美味そうなものには見えなかったことだ。テーブルの上に置かれていたメニュー表にはここで注文できる食事の写真が載っていた。だが、それらはとても美味しそうには見えなかった。フライドポテトは明らかに萎びていたし、スープは色を付けた白湯かと見紛うくらいに色が薄く、具が少なかった。焼き魚は切り身が小さくてちゃんと火が通っているようには見えなかったし、パンは黒くて赤ん坊の握りこぶしみたいに小さかった!
Cストアで食べ物を買うことも考えたが、わざわざガンケースや重要な荷物の入ったバックパックを持って入るのも面倒だ。かといって置いていこうにもこの部屋にはガンロッカーがない。部屋の鍵はあるとはいえ、誰もいない部屋に銃や荷物を置いていくのはセキュリティ上あまりにも不安だった。
そうした事情を考慮するうちに、荷物の軽量化と路銀の節約を兼ねてこの部屋でMRSを食うのが手っ取り早いと判断したのだ。高カロリーで味の濃い携行食に万歳。カウェイF&Eに永遠の繁栄が約束されんことを。
カーテンを閉じ、オレンジ色の照明を点けた部屋の中。
全50パターンの中でもRAT兵達からアタリメニューと評されるパターン29、「チリビーンズ・アンド・ペッパーチキングリル」を食いながら、俺は内心でカウェイF&Eに賞賛の叫びを送っていた。
付属のプラスチック先割れスプーンでパウチの中から温かいチリビーンズを救っては口に運ぶ。軟らかいビーンズと挽肉の風味、香味野菜の効いた味の濃いソースは下手な店で食うものよりも美味い。このMRSには寒冷地等で火を使わずに温めるための化学反応式加熱ヒーターが付いているが、保存期間や条件によってはうまく働かないこともあった。幸い俺が今使用したものは機嫌がよく、ヒーターとしての役目を十分に果たしてくれた。おかげでこうして温かいチリにありつけているというわけだ。
チリビーンズを半分ほどにすると、今度は折り畳み紙皿の上に出していたペッパーチキンにスプーンを刺し、がぶりと嚙みついた。チキンはごろっとしたムネ肉とモモ肉が3個ずつの計6個で、こちらも味付けがしっかりしていて美味い。すこし塩辛い気もするが、塩分を消費しているであろう戦場の兵士たちにはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。今の俺がいるのは戦場ではなく宿の一室だが。
それからはサイドメニューのクラッカーやナッツをつまみながら、粉末コーヒーを湯に溶かして飲み、残りの食べ物を平らげた。デザート替わりは栄養補助用の錠剤だった。錠剤は粒がデカいせいでのどに詰まらせ、コーヒーで流し込む羽目になった。
この日のディナーはこうして終わった。死の危険が付きまとう任務を数日後に控えた夜としては悪くない食事だった。できればコーヒーはもう少し味わっていたかったが。
食事を終えると軽くトレーニングをし、小説を読み、歯を磨いた。それから照明を落としてベッドにもぐりこんだ。
宿の臭いはベッドの中にまで侵食していたが、もう何も感じない。こういうのは早めになれたほうが得だ。順応の遅れはストレスの発生に繋がる。それに埃臭さなんてダニやトコジラミの発生に比べれば遥かにマシだった。
ラナはKarovの到着は明後日の午前になると言っていた。また、明日のうちに牧場のオーナーに連絡をつけてくれるらしい。話がつき次第俺に連絡してオーナーと会う段取りを組んでくれるとのことだ。
窓の外から雨音が聞こえてくる。降り出したと思った瞬間、その音は見る間に激しさを増していった。雨粒は宿の外壁や窓を満遍なく叩き、通りを走る車を打ち据え、路面を濡らす。
枕の右側に置いたBlockerの位置を確認し、同じく枕元に置いた腕時計で時刻を確認した。現在時刻は21時14分。することのない夜はティーンのガキより健全な時間に眠るほかない。
目を覚まし、体を起こす。
何時かは分からないが、カーテンの隙間から差し込む光の加減から見るに今は午前8時前後だと予想する。
答え合わせといこう。枕元に手を伸ばし、目当てのものをつかんで目の前に引き寄せる。
腕時計の針が指し示しているのは午前8時4分。
自分の体内時計の正確さににやりと笑った。こういうことがあると少しだけ幸せな気分になれる。楽しみの少ない日常を生き抜くコツは、そこに何としてでも小さな楽しみと幸せを見つけ出すことだ。
一か八かの賭けで頼んだ宿の食事の味はやはり全てが予想通りだった。
お世辞にも美味いとは言えなかった朝食を終えるとガンケースからB15を取り出し、メンテナンスをすることにした。バーガルB15はボルトアクション式のスナイパーライフルだ。ヴェルトール国防陸軍が正式採用する軍用狙撃銃バーガルB13をベースに、職人による精密な加工と組み立てが成された、精度と耐久性の高次元の融合を体現したライフル。
通常のライフル弾よりも薬莢が長く、装薬量の多いマグナム弾仕様にカスタマイズされているから、ベースとなったB13よりも射程と威力、そして貫通力に優れていた。だが精度と耐久性に優れているとはいえ、手入れを怠れば当然作動不良や精度低下のリスクが発生する。特に遠距離から標的を狙う狙撃銃では精度の低下は死活問題だ。だからこそこうして頻繁にメンテナンスを行う必要がある。
窓を開け、バックパックからタープを取り出し、シート代わりに床に広げる。その上にケースから取り出したB15と手入れ用の道具を置いて作業を開始した。
長大で細身なライフルを手に取り、上部にマウントしてあったスコープを外してタープの上に慎重に置いた。
さらに銃のボルトも外す。撃針やボルトロッキングラグに注油やグリスの塗布を行い、ボルトを外したことによってできた露出部分から先端にフェルトを装着したクリーニングロッドを差し込み、バレル内部の清掃と注油を完了させた。
バレル内の汚れと余分な油をフェルトでふき取った後は分解した機関部の可動部の清掃とオイル注油に移る。燃焼した火薬のカスや汚れを落とし、摩耗している部分や傷がないかもくまなくチェックした。幸い、メンテナンスをこまめに行っていることや最近はあまりこの銃を撃っていないこともあって、銃の性能を落とすようなカスや汚れは見受けられなかった。
全ての清掃と注油、拭き取りが完了するとタープの上に置いていたパーツを組み立て、分解前のもとの形に銃を組みなおした。弾薬が入っていない状態でボルトや引き金の動きをチェックし、違和感のある所がないかの確認まで全て済ませた。
問題なし。
可動部分の動きはスムーズであり、壊れている箇所や交換の必要なパーツはない。
スコープを取り付けなおし、外す前と同じ場所に収まっているかのチェックを行う。こちらも問題なし。
ライフルをケースに収めてBlockerのメンテナンスも終わらせたとき、バックパックの中に入れていたスマートフォンが振動した。取り出して番号を確認するとラナからの電話だった。
「やあ」
「おはよう。昨日はよく眠れたかしら?」
「寝心地はよかったよ。宿にガンロッカーがないのは不満だけどね。おかげで外出しようにもできない」
「この街の宿やホテルにロッカーを備え付けているところなんて一つもないから仕方ないわね。外出したければケースごと銃を持っていくしかないわ。それか部屋に銃を置いて、鍵をして出かけるか」
「最後の案はまずいね。多少の知識と技術があれば、宿泊者が出払った隙を狙って部屋の荷物を盗み出すなんて簡単なんだ。特に俺が今泊まっているような簡素な宿泊所ではね。現にそうして荷物を持っていかれた奴を知ってる」
「そう、じゃああたしも家族と旅行に行ったときは注意しとくわ。ホテルの部屋に貴重品を置きっぱなしにしないようにね」
ラナが息を吸う音が聞こえた。前置きを済ませ、これから本題に入ろうとする人間に共通の癖だった。
「で、あなたの任務の話に移るけど、さっき牧場のオーナーと話がついたわよ。明日の午後に農場に来て打ち合わせを行ってほしいって。あなたのライフルは予定通り午前中に到着するらしいから、うちに来て受け取ったその足で農場に向かったほうがいいんじゃないかしら」
「そうだね、そうさせてもらおう」
「ええ。伝えたいことはそれだけよ。それじゃ、ベナートン旅行を楽しんで」
電話が切れ、室内に静寂が戻った。
やるべきこともしたいこともない今日をどうやって過ごそうか。考えた末に行き着いた先は筋力トレーニングだった。
床に広げていた銃のクリーニングキットやシートを全て片付け、カーテンと窓を全開にする。通りから聞こえる車やトラックの群れが風を切る音が部屋に流れ込んできて、一気に騒々しくなった。この宿はテンス・ロードに面していて部屋の窓も同様だから、なおさら音が大きく感じる。だが、カーテンを揺らす暖かな風は良いものだった。
柔軟体操をしたのち、腕立て、腹筋、背筋、プランクを何セットもこなしては休み、またこなした。シャツに浸み込んで皮膚にまとわりつく汗をシャワーで流し、休んで、落ち着いた頃にまたトレーニングを再開した。
昼にはベッドに腰かけ、備え付けの小さなテレビでニュース番組をチェックした。
『次のニュースです。先日不倫が発覚したタレント、テレス・ワイアード氏は──』
チャンネルを変える。
『速報です。第38危険区域、通称「セロー」への潜伏が確認されていたローググループに関する情報です。STCBは先ほどこのグループのリーダー、コヴ・ステラーと彼を含む戦闘員計8名の殺害を発表しました。ステラーはセローから約50㎞離れた町で部下と主に違法な武器取引ビジネスを行っており、警察機関の追跡を逃れてセロー内部に潜伏していました。また、このビジネスには多くの民間人が巻き込まれており、警察への通報者の中には報復として殺害された人も──』
へぇ、ステラーの奴、とうとう殺されたのか。
スマートフォンのSTCB公式サイトを開き、殺害対象として公開されているローグの顔写真リストを確認してみた。案の定、コヴ・ステラーの顔写真は消え、もともと彼の顔が占めていた欄は『この人物はSTCBによって処分されました。皆様のご協力に感謝致します』というメッセージが埋めていた。
ステラーを始末したのはどんな奴だろう?奴は退役軍人で戦闘経験があり、警察との銃撃戦も切り抜けたことがあるから、グレイラット連中が奴を倒した可能性は低い。あるとしたら手練れのグリーンラット部隊か、ブラックラット連中だな。俺としては後者の可能性が高いと踏んでいた。ロクデナシを最も殺したがるのは別のロクデナシ連中だ。
スマホを枕のそばに投げ、軽く眠るためにベッドに倒れこむ。
暇なときに眠る癖がつき始めたのは間違いなく軍にいたころだった。訓練や演習での英気を養うために、トラックやハンヴィー、兵員輸送車の中、野営所、兵舎等、とにかく時間があればあらゆる場所で眠った。意識して身につけた癖ではなく、いつの間にか体が必要として体得していた能力だった。固い床、地面の上、ほとんどあらゆる場所で眠ることができるのはちょっとした自慢だ。
手足をベッドの上に投げ出して脱力し、何も考えずに目を閉じれば、ほら、眠くなってくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます