トリンケットボックスの原石たち

青ノ さと

第1話

「ありがとう、エンネ。おかげで助かったよ」


 嬉しそうな眼差しから思わず目を反らし、ローブのフードを深々と被り直す。


「…覚えてただけだから」

「エンネは本当に記憶力が良いね」


 ミラが校舎に忘れてしまったという勉強道具をたまたま見かけて、場所を教えてあげた。

 ただそれだけのことなのに何度も囃し立てられ、居心地が悪くなる。

 でも、心臓がドキドキと煩いのは嬉しさからだということもわかっている。

 いつだって感情を素直に言葉にすることができない。恥ずかしさが、私の行動を制限してしまう。

 だから、このジェムルート魔術学院に十三歳で入学して、もう三年が経とうというのに友だちと呼べるような間柄の人はいなかった。


「ミラ、早くいかないと授業に遅れるよ」

「あ、ごめん。じゃあ、またね、エンネ」


 友だちに呼ばれ、遠ざかっていく背中に、そっと息を吐く。

 やっと一人に戻れたという安堵に寂しさを交えて。


(私も早く図書室に行かなきゃ。昼休みが終わっちゃう)


 ローブを翻し、再び歩き始める。

 シャンデリアが見守る廊下にはたくさんの生徒が行き交っていて、一様に魔法使いの証である黒いローブを身にまとっていた。

 けれど普通のローブとは違い、裾や袖には刺繍が施されていた。

 色は真紅と薄紫の二種類。それは、ジェムルート魔術学院にある二つの寮に因んでいた。

 真紅がガーネット寮で、薄紫がアメジスト寮。

 生徒は入学と同時にどちらかの寮に振り分けられる。

 攻撃魔法が得意な生徒はガーネット寮に、サポート魔法が得意な生徒はアメジスト寮に、という具合に。

 基準はただそれだけのはずなのに、なぜか所属する生徒の人柄には偏りがあった。


(…庭でガーネット生がボールを蹴って遊んでる)


 賑やかな笑い声が鼓膜を揺らし、思わず目を細める。

 差し込む日差しも相まって眩しいその景色から視線を逸らせば、アメジスト生たちが廊下の隅で文献を片手にメガネを光らせて話し合っている。


(あの光景、見てると落ち着くなぁ)


 そう感じる私もまた、まごうことなくアメジスト生。

 彼らを通り過ぎ、廊下の角を曲がって図書室の扉を開けた。

 ステンドグラスの光が大理石の床を照らし、宙に浮かぶ本たちが虫干しをしていた。

 棚の間にはふんわりと魔力の気配が漂い、ページをめくる音が時折、風のように響いた。

 小説がある棚に真っすぐ向かい、前回来た時に目星をつけていた本の背表紙に触れた。

 ページをめくると、自分を取り囲む世界すべてが曖昧になっていくのを感じた。

 賑やかなガーネット生のことも、同類のはずなのに仲良くなれないアメジスト生のことも、成績のことも、将来のことも。


(この本、やっぱり面白そう)


 一ページだけ読み、口角をあげて本を閉じる。

 続きはじっくりと、時間がある時に読みたかった。

 本を小脇に抱え、周囲の棚を確認しながらカウンターに向かった。

 道中、気になるタイトルを見つけ、足を止めた。

 しかし、その本は高い位置にあり、つま先立ちをしても届かなかった。


(…仕方ない)


 そうため息をついて、杖を取り出した時、一人分の足音が近づいてきた。


「この本が取りたいの?」


 降ってきた声は高くなければ、低くもない、中性的な声だった。

 顔をあげると、肩より長く伸ばされた銀色の髪が動きに合わせて揺れていた。


(女子生徒?)


 いや、それにしてはやけに背が高い。

 瞬きを繰り返しているうちに、その人物は本を手に取り、振り返った。

 穏やかに細められた赤い瞳が私を見つめる。


「はい、どうぞ」


 その人物の胸元には、楕円形に加工されたガーネットのブローチが輝いていた。

 瞬時に彼が誰なのかを理解し、背筋が伸びた。


「あ、ありがとうございます。アッシュ寮長」


 彼は最高学年の五年生であり、ガーネット寮の寮長を務めるアッシュ・ノアール寮長だった。

 こうやって関わるのは初めてだが、色んな噂を聞いていた。

 攻撃魔法の中でも最高難易度である炎を操る魔法が使えるとか、高貴な家柄だとか、その美貌からファンクラブがあるとか。

 どれも小耳に挟んだ程度で真相は知らない。

 ただガーネット寮の長というだけで、相容れない存在であることはわかった。


「どういたしまして」


 彼は優しい笑みを浮かべると、絹のような髪をかき上げた。

 そして、私の横を通り過ぎていく。

 すると、ふわりと甘い香りが鼻先を掠めた。

 ラベンダーにバニラを混ぜたようなその甘さに、胸の奥がほんの少しだけざわついた。

 まるで底なし沼を見つめているように。


(優しいけど…たぶん、それだけじゃない)


 なんとなくそう思った。

 思わず振り返り、小さくなっていく背中を見送る。

 アッシュ寮長はもう一人のガーネット生と合流すると、並んで図書室の外に出ていった。

 彼と連れ立っていた男子生徒の胸元にもガーネットのブローチがあった。

 少し小ぶりなそれは、副寮長の証。


(確か、カイル副寮長だったかな)


 彼とも関わったことがない。

 あの屈託のない笑みを遠目で見かけたことがあるだけだった。


(各学年十五人しかいないのに、寮が違うと意外と接点がないんだよな)


 その事実を悲しむこともなく、先ほどアッシュ寮長に取ってもらった本の内容を確認する。

 そして、笑みを浮かべて、カウンターに持っていった。

 それから二日後のことだった。

 休日に遊ぶような友だちのいない私は図書室で借りた本を抱えて、アメジスト寮の近くにある泉に向かっていた。

 学院をぐるりと回る川の終着点であるそこは、鬱蒼とした小道の先にあるためか、いつも人気がない。

 だからこそ、お気に入りの場所だった。

 歩くこと数十分、息が切れてきた頃に泉の姿が見えてきた。


(いつ来ても、ここは綺麗だな)


 木々に囲まれ、季節ごとに花も咲く。

 鳥が飛び、蝶が舞い、時たまシカが顔を覗かせるその空間はスノードームのような切り離された場所になっていた。

 ここはもっと人気になっても良いと思う。でも、そうなったら居場所がなくなってしまうから嫌だ。

 そんなことを考えながら、額の汗を拭った私は泉の中心に何かが浮いていることに気がついた。


(…ローブ?)


 それは見慣れた黒いローブだった。


(誰かのものが風で飛ばされたのかな)


 風が止んでいるためか、波のない泉は鏡のように空を映している。

 近寄り、注視すると、ローブの下に人の手のようなものが見えた。


「え…」


 ぞくりと背筋が震え、思わず後ずさる。

 このまま逃げ出して、何も見なかったことにしたいと思った。でも、放置することなんて、できなかった。

 歯がガチガチと音を鳴らすのを聞きながら、懐から杖を取り出した。


「フ、“フライ”! あのローブを浮かせて!」


 杖の先端についたアメジストが、答えるように光を帯びた。

 水を含んだローブがゆっくりと浮かび上がり、私のもとに近づいてくる。

 ボタボタとこぼれ落ちる雫が水面を乱し、力のない腕がずるりと滑り落ちた。

 その袖に施された刺繍の色は深紅だった。


(ガーネット生…?)


 眉を寄せ、吐き気を堪える。

 うつ伏せの状態なため、顔はまだ見えない。

 杖を掴む手に力を込め、意を決してその体を仰向けにした。

 その拍子にフードが外れ、長く伸ばされた銀色の髪が、陽に照らされて、残酷なほど美しく輝いた。


「アッシュ…寮長?」


 私の問いかけに答えるように、胸元につけられたガーネットのブローチが反射した。

 瞼は固く閉ざされ、肌は白く、唇にも血色がない。

 ずいぶんと長く、ここに放置されていたことがわかった。

 下手をすれば、昨夜から彼はここにいたのかもしれない。


「い、息…っ」


 水面に顔をつけたまま微動だにしていなかった時点で、彼の状態はわかっていた。

 けれど、自分の見ているものすべてが信じられなくて呼吸を確認した。

 どんなに待っても、口元に当てた掌に息が当たることはなかった。


「人…人を呼ばないと」


 体が震えて上手く動かない。

 よろめいた私の視界に映ったのは、何かに縛られた跡がついているアッシュ寮長の手首だった。

 嫌な想像が一気に膨れ上がる。

 でも、今すべきことはそれを深掘りすることじゃないと頭を振り、アッシュ寮長に着ていたローブをかけた。

 そして、来たばかりの道を慌てて引き返した。

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