第8話 おばちゃん聖女、柏手を打つ
ギギィーーーッと軋みながら扉が開く。
「鍵かかってんで良かったわぁ」
と言ったものの、急な怖気がして「ウッ」と立ち止まる。目の前には黒い霞が漂う。
「和代様!これは、瘴気です!」
「そ、そうです!…うっ…すみません。私教会で指導されたのに、浄化も何もできなくて…シスターにもなれない位で…」
「まぁまぁ。出来ひんもんはしゃあないやんか。んー、まぁとりあえずあれいっとこか!」
ショルダーバッグをゴソゴソ漁る和代。
「おっ、丁度予備の新品もあったわ!はい、マスク!」
急に差し出された白いものに、ミラは目をぱちくりさせる。
「……え、これ……なんですか……?」
「何て、マスクやんかいさ。こないして、顔に当てんねん。鼻と口、ちゃんと隠すように──ほら、こんな感じ」
和代が自分の分をぱっと装着して見せる。ミラはおそるおそる、それを真似て鼻と口を覆ってみた。
「…………あれっ……?」
ミラの目がゆっくりと見開かれていく。
「……これ……なにか、感じます……体の奥が、すぅっと……」
「え? え、マジで?」
「……え、えっ、えっ……これ、もしかして……“浄化の術式”が織り込まれて…!?」
ミラが混乱気味に瘴気の扉の外へ出て、試すように深呼吸をする。
「いや、ちょっ、落ち着いて? それ、ただの不織布やって!」
「ですけど、これ……瘴気なんて全く感じませんよ?!やっぱり何か、魔法的な加工が──っ」
「……うーん、そやねぇ、強いて言うなら……日本製いう位かなぁ…」
「……にほんせい……?」
「あ…日本知らんのかー。…ま、まぁええわ。もうそれ“浄化マスク”って思っとき。うちもそれでええわ」
「……っ、ありがたく、拝受いたします!」
「タカオは…」
「我は神獣ですからこの程度は平気ですよ!」
「ほなええか」
和代はあっさりうなずいたが──
「って! 点滅したら足元見にくいやろ!」
ちかっ、ちかっ、と明滅する光に目を細めながら、軽く文句を飛ばす。得意げにピカピカと光っていたタカオは「あ……つ、つい…。すみません……」と光を落とす。
そのやりとりの最中、前方に何かが見えた。
「……あれ、なんかある?」
月明かりに照らされて、瘴気に揺れる木立の向こう。ぼんやりと、石造りの建物らしき影が──ちらりと姿を見せる。
「行ってみよ!」
建物へ近付くと共に目の前の霧がすうっと晴れていくことに気づいた。それまで纏わりついていたどこかぬるく濁った空気が少しずつ薄れていき、不意に、光が木々の間から差し込む。
「……ここだけ、なんか……違う……」
朽ちた柱と、ひび割れた壁、そして蔦に覆われた古びた建物──
それは、神殿だった。
そろりそろりと神殿の内部に進む。天井の高い広間…であっただろう場所。天井はとうに崩れ、柱だけが残っている。その中の一際大きな石柱、その前に祭壇が鎮座していて、そしてそこには、虎の彫刻が確かに存在している。
「これ…は…」
タカオの声が響く。
「タカオ、何や、あれ、もしかして…あんたか?」
「はい…ここは…ここはかつて、“白虎殿”と呼ばれていた神殿。…癒しをと護りを司る神獣を祀った……我の、居た、場所です…」
「えっ……ここ、タカオのおうちやったん?」
「……失われし四神が一、白虎を祀る神殿……。存在すら疑われていた、伝説の地……?」
「厳密には、我がかつて神として顕現していた時代に、祀られていた場です。……今はもう、神も信仰も失われた遺跡となってしまっていますが…」
「タカオ……泣いても、ええんやで…?」
「ふふ。和代様。我は知っていたのです。神が隠れ、信仰が失われている事を。さすればこの地がこのようになっていることも想像できたことです」
「せやけど…」
「では和代様。この祭壇で祈りを捧げていただけませんか?我が女神と、そして我に。そうすれば、この神殿も浮かばれるというものです」
「わかった。うちが祈るくらいで神殿が喜んでくれるいうならなんぼでも祈るわ!」
祭壇の前へ進んで行く和代。まっすぐに立ち、深いお辞儀を二回。そして思いきり両手を引いて――
パンッ!! パンッ!!!
豪快な柏手が神殿中に鳴り響いた。
手を合掌させたまま目を瞑り、
「神さん、聞こえてる?なんやわからんけど──元気出しや?!タカオもチュニックの中にいるけど無事やしな!安心しぃ!あとな、せっかくやし、世界平和!頼んますわ!みんな笑ろて生きられますように!」
そして最後に深いお辞儀を一度。完璧な二拝二拍手一拝である。
「ぷ……あはっ……あはははっ!か、和代ちゃん、それ祈りでございますの……!?」
「せやで?こういうときはとりあえず世界平和祈っとくねん!」
「そんな適当な……ふふっ、だ、だめ……あっはははっ!」
笑いをこらえていたタカオも、ついにチュニックの中から「ぷふっ」と噴き出すと、爆笑し始めた。
「はっ……ははっ、和代様……いや、さすがでございます……ッ!くくっ……ッ!これが聖女の祈りとは……!」
「もう〜!なんでそんな笑うん〜!?うちは真剣やで!?しらんけど!」
タカオはチュニックの中で涙を流さんばかりに笑い、ミラは涙目になりながらスカートの裾を握り、しゃがみこんで肩を震わせる。
その時、祭壇からまっすぐな光が天へと昇った。風がくるりと吹き抜け、光とともに広がって神殿をふわりと包み込んだ。穏やかな空気が満ち、涼やかな風が広がる。
和代は思わずマスクを外し、深呼吸をして呟く。
「なんや急にえらい気持ちいい空間になったなぁ。ふぁぁぁ…今すぐにでも寝れそうな雰囲気や」
「和代様…!これは…!結界です!!女神の結界が、和代様の祈りによって再びその力を取り戻したのです…!」
「……これが……」
ミラは立ち尽くし、目を見開いていた。声が震える。
「これが、本物の……神の……ご加護……」
その目に、じわりと涙が浮かぶ。
気づかぬうちに、膝をついていた。両手を胸元で組み、祈りを捧げ始める。
そして、
神託がおりた。
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