夢中になれるもの

 初めて入ったフェリシアの部屋は、一言で言えば可愛らしかった。家具はすべて淡いピンク色で統一されているが、かといって主張が激しいわけでもない。部屋の調度品にはセンスの良さを感じる。


「そ、その、書物を! 準備しておきましたので」


 言われる前から見えていた。テーブルの上に山と積まれた書物。可愛らしい部屋の中では大いに浮いていることこの上ない。


「まあ、たくさんありますのね。ありがとうございます!」


 目立つところにある一冊を手に取って見れば、古代語の教本だった。この書物を用意しておくあたりさすがだと感心する。彼女は古代語が読めるのだろう。


「あ、あの、それは一応用意したもので、こちらが現代語訳されておりましてとても読みやすいのでおすすめです。それから、これは古代語ではあるのですが、私はこれが大好きで……あっ、もちろんティナーレイン様が読まれたいものを読んでいただければと思うのですが。あと……」


 突然饒舌になったフェリシアは捲し立てるように書物の説明をしていく。適切に相槌を打ちながら聞いていると、色々なことがわかってきた。

 まず古代魔術に関する現代の書物はあまり数がないらしい。古代当時での創作物という見方が強く、注目度も低いのだ。そもそも未だ印刷技術が普及しておらず書物自体が高級品ということも関係しているだろう。そんな中でこれだけ集められる彼女の環境は非常に恵まれていると言える。というか、これ目当てで領地ではなく王都に住んでいるのかもしれない。


「私はもうここにあるものはすべて読んでしまったので、持って行っていただいて構いません。ただ……残念ながら、魔術について真剣に書かれている古書は数冊しかないのです。大半は近年になって書かれたもので。どれも魔術は創作物という前提に立って書かれているものばかりで……」


 フェリシアは悲しそうに肩を落とす。


「そうなのですか。やはりそれだけ、古書は希少なのですね……」

「それもありますが、こういった古書は高価なのです。個人蔵書であったり、書物というより骨董品のように扱われていますので、図書館にもほとんど置いていなくて」


 図書館は十年ほど前に設立された。この国にある書物の写しを保存するための施設だ。貴族であれば、希望すれば閲覧することができる。


「そうでしょうね。ですが、ここにあるものは保存状態が素晴らしいですわ。このような高価なものをお借りしてしまってもよろしいのでしょうか……」

「それは全然! 大丈夫です! 私はもう何十回と読み返していますので」

「まあ、そんなに。フェリシアも魔術にご興味がおありなのですか?」

「ええ! もちろんですわ! ですが、あまりご理解いただけず、お父様にもよく呆れられてしまいますの。なので、本日ティナーレイン様がいらしてくださって本当に嬉しいです」


 そう語るフェリシアの瞳は爛々と輝いていた。ここまで夢中になれるものがあるのも羨ましい。私には書物も刺繍もせいぜい暇潰しでしかない。


「でしたら、お礼に私も魔術に関する書物を共有できればと思いますわ。何かご興味のある書物などありましたら、是非教えてくださいませ。私が購入いたしますわ」


 フェリシアが王妃となるためには、まず第一に私が王子と婚約するより先にあの研究発表式を行うことが重要だ。研究にあそこまで時間がかかっていたのであればどうしようかと思っていたが、この分では時間がかかったのは古書集めの方だろう。ならば、金銭的に大いに余裕がある私の家で買ってしまえばいい。その程度の金銭を自由にできる程度には、私は信頼を稼いでいる。


「で、ですが……さすがにそれは遠慮いたしますわ。私にはお返しできるものが何もございませんから」

「フェリシアさん、遠慮なさらないでください。フェリシアさんは何もわからない私にこうして教えてくださったじゃないですか。これはそのお礼です」

「そ、そのような大したことでは……」


 こうなるとフェリシアは頑固だ。貰えるものは貰っておけばいい、と思う私とは大違いだ。「ありがとう」「嬉しいわ」と両手をあげて喜んでみせれば大抵の人間は満足するというのに。


「……わかりましたわ」

「ティナーレイン様……」


 フェリシアがあからさまにホッとした顔をする。


「ですが、私も他の書物も是非見てみたいのです。何かございましたら、教えてくださいませ。教えてくださらないのでしたらこちらで探してみますが……」


 チラリとフェリシアを見る。少し意地悪だっただろうか。


「い、いえ、私などの意見でよろしければお伝えすることはもちろん……喜んで……」

「まあ、ありがとうございます。フェリシアさんはとてもお優しいですのね。高価なものはやはり気が引けますので、フェリシアさんが勧めてくださった中から三冊だけお借りいたしますわ。今度遊びに来た時には是非もっと詳しいお話をしましょうね」

「は、はい!」


 魔術などというマイナーな話題で話し相手ができたことはやはり嬉しいのだろう。フェリシアは今日一番の笑顔で微笑むと「是非とも早く読んでくださいませ」と私を送り出してくれた。無駄に長く引き止めようとする人もいる中、これだけでもとても好感が持てる。

 その日から私は部屋で刺繍をせず、ひたすら書物を読むようになった。これらを読めばフェリシアに会いに行き、具体的に必要な書物が何かを聞くことができる。しかし、なかなかに難解な書物たちは理解するのに時間がかかりそうだった。



 およそ一週間後。有り余った時間を使い、ようやく私は一冊目を読み終えていた。

 今日はセレンとの約束の日である。

 早めに家を出ると『フィリグラン』へと向かった。とはいえ、毎度同じ店へ行っていれば噂になるだろう。言及された時の言い訳も考えておかなければいけない。

 間の抜けた鐘の音と共に扉を開けると、今日はお客さんはいなかった。繁盛しているのか少し心配になる。


「ごきげんよう」

「いらっしゃい、ティナ。今日は早いね」


 アルヴァが気さくに出迎えてくれる。


「ええ。少しアルヴァにお願いしたいことがありましたの」

「え? なに? 言っとくけど、アイツに関することなら俺は何も話せないぜ」

「違いますわ。そうではなくて、服を頼みたいのです。貴族向けの商品も扱っていらっしゃるのでしょう? もちろん言い値を払いますわ」

「あ、ああ……まあ一応やってはいる。けど、オーダーメイドしかやってないんだ。デザインの擦り合わせからやるから……」

「問題ございませんわ。実は私の服はすべて侍女に任せておりまして……趣味が偏っていると言いますか……もう少し落ち着いたものが欲しいのです」


 言いながら、自分の格好を見下ろす。今日はブルーのフリルがついた細身のドレス姿だ。もちろんセンスは素晴らしいし、自分に似合っているとは思う。しかし、街中に出掛けるには少し嵩張るのも確かだ。外出自体が稀であったから今まで問題はなかったのだが、一人で出歩くにはもう少し気楽なものが欲しい。

 この昼日中から人目もある場所で襲うような命知らずもいないだろうが、これでは身代金が服を着て歩いているようなものである。


「んー……なるほど。わかった。今度来るまでにデザインを何枚か描いとくよ」

「アルヴァがですか?」


 ここは売っているだけで、物は外注していると思っていた。オーダーメイドで実際のデザインから縫製までしているにしては、他に従業員の姿もない。


「ああ。もちろん」

「それは……大変ではございませんか? 見たところ従業員の方も雇っていないようですし、この店を一人で回しているのでしょう?」

「それほどでもないよ。置いてる服は仕入れたものだし。オーダーメイドも特に宣伝してるわけでもないから一部のお得意様だけだし」

「それでよく店がまわりますわね」

「これでもいろんなツテがあるんでね」


 どうやら大口の顧客がいるらしい。知る人ぞ知る名店なのかもしれない。

 その時、カラリンと鐘が鳴った。お客さんが来たかと思って振り返ると戸口に立っていたのは小汚い少年だ。ここは貴族御用達というほどではないが、それなりの暮らしぶりをしている人向けの店である。どう間違っても孤児のような身なりをした子供が一人で来る店ではない。


「迷子……でしょうか?」

「見ない顔だな。この辺の子か?」


 カウンターから出て来たアルヴァの問いかけを無視して、少年は真っ直ぐに私を見て言った。


「お姉さんが、ティナーレイン様?」


 少年の方を向いていてアルヴァの顔は見えないが、フルネームを知られてしまった。公爵の娘であり、王妃候補筆頭である私の名前もそれなりに知れている方ではあるが……果たして彼がそこまで知っているか。


「……その通りだけれど、何の御用かしら?」


 答えながら視線を合わせるように屈むと、少年は私の鼻先に紙切れを突きつけた。手紙のようだ。反射的に手にとるような真似はせず、まずは聞いてみる。


「これは何?」

「知らない」

「誰に言われて持ってきたの?」

「言わない」

「いくら貰ったの?」

「……………………銀貨、三枚」


 吹っ掛けてきたな、と直感する。銀貨三枚なんて、子供に渡す額じゃない。


「本当は?」

「…………」


 引かない。貧しい子供はこうして強かに生きていく。


「お話してくれたらコレを上げるわ」


 懐から取り出したのは大銀貨だ。これ一枚で銀貨五枚分の価値がある。少年は目を輝かせると途端に饒舌になった。


「黒いカッコした兄ちゃんがここにいるお姉さんに持ってけって」


 黒い格好……先日、セレンに絡んできた男だろうか。何が狙いなのかよくわからなかったが、この様子では目当ては初めから私だったのだろう。セレンと知り合いらしかったのが気になるところだが。

 手紙を受け取って少年に大銀貨を渡すと、少年は嬉しそうにスキップして帰っていった。今夜はご馳走だろうか。


「手紙にはなんて?」


 アルヴァに促されて手紙を開くと、それは紛れもない脅迫文だった。


『お前の出自は知っている。セレンとの関係を知られたくなければ、指定の場所まで一人で来い。この指示に従わなかった場合、セレンを性的暴行と不敬罪で罪に問うことになるだろう』


 セレンの名前を出しているところ、先日の男で間違いないだろう。これはまずい。不敬罪だけならともかく、性的暴行となると私がセレンと肉体関係を持っていると告発するつもりだ。そうなれば、私もセレンも無事では済まない。

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