素直で純朴で実直

 そうして楽しい談笑に付き合っているうちに、いよいよ矛先が私にも向いてきた。


「ティナーレイン様こそ、気になる殿方はいらっしゃらないのですか?」


 思い出したように他の令嬢も身を乗り出して言う。


「そうですわ。先日のお誕生日パーティ、途中からお姿をお見かけしませんでしたわ。どちらへ行っていらしたの?」

「……まあ! 殿方と会っていたんでしょう? そうに違いありませんわ」


 興味津々といった顔をする彼らに私は手を振って否定する。


「いやですわ、私そんな……ただ、お誕生日会では少し疲れてしまって、庭へ出ていただけで。本当にそれだけですのよ」


 そう口では否定しつつも、どこか含みがありそうに目を逸らす。表情というのは意外と皆読んでいるものだ。わざわざ口にせずとも、目は口ほどにものを言う。


「怪しいですわ」

「何かありましたわね?」


 狙い通り、彼らは目を輝かせて食いついてくれた。私は少し顔を赤らめて見せる。当時はこんな芸当できなかったが、時間遡行をしてもこの手の技術は覚えていた。顔色を変える程度の演技、今となっては容易い。


「まあ……わかります?」

「わかりますわ!」


 私が多少脚色して庭での出来事を話すと、彼らの興奮も最高潮になる。


「そんな素敵な殿方と?」

「どちらのお方でしたの?」

「……それが、お名前を聞きそびれてしまい……」

「それは残念ですわ。また会えると良いですわね」

「最近は外出なさっていると聞きましたが、まさかその殿方に会うために……?」

「まあ! 違いますわ。第一街中で会えるわけがないではありませんか。ただの社会勉強ですわ」

「たしかにそうですわね」

「さすがティナーレイン様は勉強熱心でいらっしゃいますのね」

「それほどではございません。私はまだまだ未熟者ですから……」


 そこから話は勉強熱心な者といえば、と別の方向に話が逸れていった。これだけ喜ばせておけば十分だろう。私は本来の目的を果たすべく、適当な言い訳をして席を立った。

 向かう先は庭園の隅、小さな二人がけのテーブルである。


「ごきげんよう、フェリシア様」


 隅のテーブルで縮こまるようにしている令嬢に声をかける。彼女の家は男爵家。貴族の中では最も下の爵位の家である。この時期にも挨拶を交わしたことくらいはあったはずだが、こうして話すのは初めてだ。

 突然話しかけられたフェリシアはびくりと震えると、私の方をチラリと見て、さらに驚いたように二度見する。


「ご、ごごご、ごっ……きげんよう、ティナーレイン様……わ、私に何か御用でしょうか」


 吃りながらもなんとかそれだけ口にして慌てて立ち上がり、礼をする。


「いえ、貴女はあまりこういった場に参加なさらないので。一度お話ししてみたいと思っておりましたの。ここ、よろしいかしら?」


 空いている席を示すとフェリシアはコクコクと頷いて私に続いて自分も席に座り直す。こうして改めて見てもやはり貴族の女性としては三流もいいところだ。眼中になかったのも仕方ない。

 しかし、彼女は王子と恋仲、つまり王妃となる私とは恋敵のような関係である。もっとも私がそれを知るのは王子妃となった後の話だが。

 私はできることなら彼女に王妃になって欲しい。しかし男爵家である彼女にそれは難しい。仮に私が縁談を蹴ったとして、彼女が王妃に、とはならない。


「………………」


 フェリシアは何も言わず、背中を丸めてキョドキョドと瞳を動かしている。癖のある黒髪をハーフアップにし、ドレスは地味なもの。可愛らしい顔をしているが、目を見張るような美人ではない。王子とどうして接点を持ったのかは大いに気になるところであるが、今はどうでもいい。

 彼女は天才肌だ。賢く、意外と頑固で、芯の通った女性、ということを私が知るのは彼女が王の側妃となってからだった。


「フェリシアさん」

「は、はい!」

「そう、緊張なさらないでくださいませ」

「も、申し訳ございますっ……せん……」


 噛んだ。頬がみるみる赤くなる。


「ふふっ、フェリシアさんは普段、お家で何をしていらっしゃるのですか?」


 嫌味にならないよう、言葉選びに気をつけるがなんとも難しい。引きこもってばかりで公の場に出てこないのはどういうことか、と責めていると受け取られかねない。


「は、はい……何をと、申しますと……」

「私はよく書物を読んでいるのですが、最近少々物足りなくなって参りまして……それで外出もするようになったのですが、やはり淑女たるもの部屋で淑やかに過ごすべきかとも思うのです。フェリシアは何をして過ごしておられるのですか?」

「そ、そうですね。私も書物を読んでおります」

「まあ! 私と同じですのね。どのような書物をお読みになりますの?」

「そ、それは……ティナーレイン様に話すのは、少々お恥ずかしいですわ」


 簡単には話してくれそうにない。だがこれを聞き出さなければ話にならない。そもそも彼女の家柄では王の側妃すら難しいのである。もちろん王の寵愛があれば押し切ることはできただろうが、周囲の反感は避けられない。

 ところが彼女は世論を味方につけ、そこそこ大きな家の正妻となる道さえ選べるだけの力をつけながら、王の側妃となった。その力というのが学位である。彼女は古代魔術というこれまで空想の産物と思われていたものを現代に蘇らせたのだ。華々しく執り行われた研究発表式で彼女が空を舞う光景は何十年と経った今でもよく覚えている。


「フェリシアさん、実はここだけのお話ね? 私、魔術に興味があるのです」

「魔術……でございますか?」


 少し興味を引けたようだ。


「ええ。太古の昔にはあったというではありませんか」

「それは、私も聞いたことがございます…………その、そういった書物を読まれるのですか……?」


 私はそっとため息を吐く。


「読みたいのですけれど、ああいったものは難解でしょう? どこから接したものかと……」

「そ、それでしたら! 私が良い本を持っておりますので是非! ……あ、でも、ティナーレイン様には……」


 そこで私はぐっと彼女の手を握った。目をキラキラと輝かせる。


「まあ! 本当ですか? では今度是非遊びに行かせてくださいませ!」

「は、はい……それは、是非……」

「嬉しいですわ! ご連絡いたしますね」

「はい……お待ちしております……」


 彼女はとてもわかりやすい。素直で純朴で実直だ。それ故に道理の通ったことであれば勢いで押し切れる。扱い方を知っていればこれほどやりやすい相手はいない。



 一週間後、私は例の待ち合わせ場所に来ていた。『フィリグラン』である。お茶会の日とその後一度だけ来て、掲示板で日時を取り決めた。そして今日、初めての約束の日だ。

 扉を押し開けるとカラリンとやはり間の抜けた鐘が鳴る。今日は数人の客がいた。


「いらっしゃいませ」

「ごきげんよう」


 明らかに裕福とわかる格好の私の登場に店内にいた客たちが少し意外そうな顔をするが、さほど驚いてはいない。普段から貴族向けの商売もやっているのだろうか。


「お待ちしておりました。奥へどうぞ」


 アルヴァに店の奥へ通される。カウンター奥の扉を通り、長くはない廊下の奥、そこは小さな応接間だった。

 木製のテーブルと椅子が四脚、それに小物を置いた棚があるだけの簡素なものだ。客の目が切れるとアルヴァは態度を改めた。


「ここで待っててくれ。今服をとってくる」

「はい。すみません、お客様がいる時に……」

「大丈夫だ。みんな常連さんだからな」


 アルヴァが部屋を出てすぐ、ほとんど入れ違うようにして今度はセレンが入ってきた。


「よう」

「ごきげんよう」


 会話が止まる。


「…………えーっと、で、どうする?」

「…………どうしましょう」


 彼の今の心境を言うのならば、「ふざけるな」だろう。とりあえず会う約束をしてみたものの、これといった用件があるはずもない。困っているとアルヴァが戻ってきた。


「お待たせー、はい、ワンピース」

「あっ、ありがとうございます」


 アルヴァが持ってきたワンピースは薄いピンクの長袖シャツに茶色を基調としたスカートをあわせたものだった。平民向けにしては張り切っているが、貴族の娘が着るものではない。


「んじゃ、とりあえず着替えたら教えてくれ」


 セレンはそう言うとアルヴァを引きずるようにして部屋を出て行った。私だけが残される。慌てて服を着替えようとして、はたと気がついた。

 いま着ている服は後ろに留めるところがある。

 つまり、一人では脱げない。

 後ろ手に取ろうとするが、うまくいかない。やむなく私は助力を請うことにした。殿方に服を脱ぐのを手伝って、など恥ずかしいにも程があるが、こうなったのも自業自得だ。

 果たして、後ろの留め具だけ外してもらって無事に着替えを終えた私は、追加で渡された動きやすそうな質素な靴に履き替え、つばの広い帽子を被り、ついでにケープも羽織ると、鏡の中にはどこから見てもおしゃれした平民の女性がいた。

 体を捻り、自分の姿を確かめる。


「うん、似合ってる」


 後ろでセレンが言った。顔を隠すためか今日はキャップを被っている。アルヴァは既に店に戻っていていない。


「あ、ありがとうございます……」

「そうだ、その喋り方」

「はい?」

「もう少し平民らしくならないか?」


 なるほど、もっともな話だ。私は少し考えてから慎重に口を開いた。


「……こんな感じで、どうかしら? 今日はよろしくね、セレン」

「うん、いい感じ。じゃあ行こうか」

「うん! どこへ行く?」


 自分で言っていて歯が浮きそうだった。粗雑な言葉遣いをしていることが気恥ずかしく、粗相をしているような気持ち悪さがある。しかし、平民たちにはこれが日常なのだ。つくづく生まれによって差が出るものだと痛感する。


「食べ歩き、とかどうだ?」

「賛成! でも、あんまり食べ過ぎないように気をつけないと」


 突然の平民言葉の要請に対応できる程度には、演じることに慣れ切っている自分に心の中で苦笑する。しかしそれもセレンには敵わない。彼は言葉遣いだけでなく醸し出す雰囲気ごと別人のようにガラリと変わるのだから。

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