第8話「はじめての真剣剣術修行──剣の重さを知る」

その日、風は澄んでいた。


 


 空はどこまでも高く、雲一つない。


 蝉が鳴くにはまだ早い初夏の朝。


 


 オレは馬場の隣の道場にいた。


 


 畳の匂いが汗と混じり、遠くで木枯が鼻を鳴らす声が聞こえる。


 


 オレの目の前には一本の刀が置かれていた。


 


 鞘に収められたその刀は、見た目だけなら族時代に見てきた模造刀やレプリカと変わらねぇ。


 


 だが、刀身の奥から放たれる“気”が違った。


 


 「これが……真剣か」


 


 


 ◆


 


 「吉法師様、覚悟はよろしいですか?」


 


 政秀の声が、普段より低かった。


 


 昨日まで竹刀で打ち合っていた。


 軽い木刀で型を覚え、振り方を叩き込まれていた。


 


 だが、今日は違う。


 


 オレはわかっていた。


 これは遊びじゃねぇ。


 これは、“命を奪う道具”だ。


 


 「……わかってる」


 


 オレは拳を握った。


 


 政秀は目を閉じ、深く息を吐いた。


 その顔に、これまで見たことのない影が差した。


 


 「この刀は、貴方様がいずれ戦場で握るものです」


 


 「わかってるって」


 


 「これで人を斬る日が来ます」


 


 「知ってる」


 


 「この刀の重さは、そのまま命の重さです」


 


 オレは目を逸らさなかった。


 


 「知ってる」


 


 政秀が目を見開く。


 


 オレはゆっくりと刀を手に取った。


 


 


 ◆


 


 ずっしりと重かった。


 


 竹刀とは違う。


 バットとも、鉄パイプとも違う。


 


 刀身が鞘の中で静かに鳴った。


 


 「……重いな」


 


 オレの声が小さく漏れた。


 


 政秀が頷いた。


 


 「それが、人を斬る重さです」


 


 


 オレは刀を鞘から少しだけ引き抜いた。


 


 太陽の光が刀身を撫でる。


 


 鋭い光。


 触れただけで血が出るとわかる冷たさ。


 


 「これが、人を斬る道具か……」


 


 オレは刀を鞘に収め直した。


 


 


 ◆


 


 「構えなさい、吉法師様」


 


 政秀が構えを取る。


 


 オレも小さな身体で足を広げ、刀を抜いた。


 


 風が止まったような気がした。


 


 オレと政秀の視線がぶつかる。


 


 「かかってきなさい」


 


 「……いくぞ」


 


 


 刀が唸りを上げた。


 


 振り下ろす。


 


 政秀が竹刀で受ける。


 


 ガン!


 


 金属音が空気を震わせる。


 


 「重ぇ……!」


 


 オレは腕を痺れさせながらも、もう一度振り上げた。


 


 


 ◆


 


 何度も何度も振った。


 


 汗が目に入る。


 


 息が切れる。


 


 竹刀で打ち合うのと違い、真剣は振るたびに命を削られる気がした。


 


 政秀の目が真剣だった。


 


 竹刀の受けが重く、鋭い。


 


 「吉法師様!」


 


 「わかってる!!」


 


 オレは叫び返す。


 


 汗が飛ぶ。


 腕が痛い。


 


 でも、オレは止めなかった。


 


 


 ◆


 


 その日、オレは初めて刀を握った。


 


 初めて、戦の匂いを嗅いだ気がした。


 


 振るたびに思った。


 


 この刀は、人を殺すためのものだと。


 


 この刀を使わなきゃ、生き残れねぇんだと。


 


 「吉法師様……」


 


 稽古が終わり、政秀が汗を拭きながらオレを見た。


 


 その目は、子供を見る目じゃなかった。


 “戦士”を見る目だった。


 


 


 ◆


 


 「吉法師様、どうでしたか?」


 


 政秀の問いに、オレは笑った。


 


 「重かった」


 


 「はい」


 


 「でも、いいな」


 


 政秀が目を見開く。


 


 オレは刀の鞘を握り、空を見上げた。


 


 「オレは、この刀を振るって、この国を獲る」


 


 


 風が吹いた。


 


 その風は血の匂いがした。


 


 でも、オレは笑った。


 


 「走るだけじゃねぇ。斬る覚悟も持つ」


 


 「それが、オレの“族”だ」


 


 


 ◆


 


 その時だった。


 


 視線を感じた。


 


 あの夜、木枯の前で感じた視線。


 


 無骨な男の視線。


 


 オレは刀を鞘に収め、振り返った。


 


 誰もいない。


 


 だが、確かに誰かが見ていた。


 


 “戦場の視線”だった。


 


 「……あんたか、信秀」


 


 オレは小さく呟いた。


 


 “これでいいか?”


 


 問いかける。


 


 返事はなかった。


 


 でも、風が答えた気がした。


 


 


 【第1章 第8話 了】


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