第3話
今彼がしているのは小説の原稿を書く事。
そして私、 島谷 栞菜がしていることと言えば、彼のその真剣なまなざしを、向かい合う一つの席で、彼が作ったパウンドケーキをつまみながら、彼の入れたアールグレイを飲み、ゆったりとしている。
いつからこの関係が始まったのかと言えば、年前の栞菜の一言からだった。
「えぇ・・・意外です。絶対嘘だぁ」
「ほぉ、良いだろう。そこまで言うなら美味しいって言わせてやる!」
その日、栄治が何気なく言った「ケーキなら買うより作ったほうが安いシウマイ」という一言から「そんな簡単に作れたら苦労しませんよ」という栞菜の返しを聞いて、彼は作れると答えたのだ。
もちろん、男性が料理ができる、お菓子作りができるなどありえない、などというつもりは栞菜にはなかったのだが、どうしても栄治の見た目や立ち居振る舞いからそんなことができるというイコールにつながらず、つい口をついて出てしまった一言がそれだった。
最近自分はおかしい、というのも栞菜は自覚しており、なぜか栄治の発言一つ一つをよく聞いているし、なんとなくイメージと合わないと、すぐ突っ込みを入れてしまうのだが、そこから返ってくる返答が自分の想像していたものとはまるで違う事が多く、気が付けば(次はこの人はどんな事を言い出すのだろうか?)という好奇心が勝ってしまい、ついつい、いらない一言が口から出てしまう。
今日もまた、やってしまったと内心思っていた栞菜だったが、話が思いもよらない方向へと進んだのだ。
「えっと・・・まずいの嫌ですよ」
「ふふふふふ、君は俺の闘争心に火をつけたぞ・・・・良いだろう!絶対に美味しいって言わせてやる、来週店に来てくれ」
「嫌です。暇じゃないので」
「へぇ、逃げるんだ」
「・・・・良いですよ」
こうして、売り言葉に買い言葉とまで激しいものではなかったものの、なんとなく話の流れから、栄治はパウンドケーキを作る流れとなり、栞菜はそれを試食するという話になったのだった。
「うぅぅ?!?! 美味しぃ。え、なんで!?」
「どうよ。美味しいっしょ。ほらこれも飲んでみ」
栄治がティーソーサラーに乗ったカップを差し出してきた。
ティーカップはスズランのアンティークカップで、縁に黄色の帯模様がついており、スズランの大きな葉っぱの緑と白さが際立ってとても映えるティーカップだ。
そこに琥珀色の液体が、柔らか白い湯気と一緒に香りを届け、のどを潤す前から嗅覚で心と体をリラックスさせて来るのを栞菜は感じ、ほっと胸をなでおろす。
忙しい日々、こうしたほっとできる一息はとても貴重な一瞬であるとときたま思う。
「いただきます」
口に含むと、先ほどまでパウンドケーキで広がっていたバターと焼き菓子特有の甘さがすっとほどけていき、口の中をすっきりとさせていくと同時に、胃の中をほんのりと温め、体の底から力がすっと抜けていく感覚に陥る。
「どう?」
「美味しい。ケーキもこれ、お酒使ってますか?」
「ああ、それね。ドライフルーツをブランデーで戻してるから、とても深い味になってるでしょ」
確かに彼が言うように洋酒の香りが最後に鼻を抜けていき、高級感を演出していた。
「これで500円よ」
「え?これ1個がですか?」
「違う違う。ちょっと待ってて」
話のつながりが見えず、小首をかしげる栞菜をよそに栄治は厨房のほうへと消えていった。
数分後、彼は何か長めの包装紙に包まれたものを持って戻ってくると、栞菜の目の前に置いた。
「なんです?」
「これで500円な」
そこにあったのは一斤という数え方であっているのだろうか、一本丸々のパウンドフルーツケーキがそこにあった。
「いやいや、嘘だぁ。500円は盛りすぎでしょ」
「いいや、はこれ」
栄治はおもむろに小さな袋を2つ、ドライフルーツが入った袋を一つ出した。
「これ1つ100円な。100均で買ってきた。これに卵1個、ブランデー少量、バター80グラムと牛乳少量でだいたい500円」
「マジ?」
「大マジ。どうよ、買うのが嫌になるだろ?」
こないだの話なのだろう、買うと高いというのは確かにこの中身を見せられると納得であると栞菜は思った。
それと同時に、なんでこの人はこんなにすらすらとこんなものを作れるのだろうかという疑問がわいてくる。
「栄治さん何者?」
「しがない作家です」
またも変な単語が出てきた事に疑問と好奇心をくすぐられつつ、目の前に置かれたパウンドケーキが綺麗に包装された包みが気になって仕方なかった栞菜だったが。
「持ってきな」
「え?! 良いんですか?」
売りもんじゃないから、とだけ言うと栄治は仕事の持ち場へとさっさと戻っていってしまい、残された綺麗な包みと琥珀色の液体、残った一口のフルーツパウンドケーキを見つつ、なんだろうこれ、と心の中で一人栞菜はつぶやきつつ、つかの間のくつろぎに身を投じたのだった。
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