序章 騎士と弓使い
1
スレンバリル王国の西端、エランの谷に面した小さな町タルグレン。この地では年に一度、武術大会が開かれていた。
王都の大試合ほどの華やかさはない。だが、各地から集う若き戦士、野心ある騎士、そして実力を秘めた辺境の猛者たちにとって、それは名誉への登竜門に他ならなかった。
陽が高く昇る頃、町の広場に設けられた円形の剣術場では、すでに数多の戦いが繰り広げられていた。砂埃が舞い、金属の打ち合う音が響くたび、観客は息を詰めた。
そして今、熱気の最中にいたのは――騎士ハルム・ヴィグラン。彼の周囲だけ、静寂すら感じさせる緊張感が漂っていた。
ヴィグラン家の家紋を刻んだ青と銀のサーコート、その下に鎖帷子。鉄製の大兜から覗く眼光は、鋼よりも鋭い。剣は無駄なく動き、盾は一寸の隙も見せない。
準決勝の相手は、剛力の騎士カシュマル。南部グラノス砦の守備隊長で、その斧は一撃で盾を粉砕すると言われていた。
二人の戦いは互いの信念のぶつかり合いだった。重く鋭い斧撃が空を裂き、ハルムの盾がそれを正確に受け流す。汗が額を伝い、観客が固唾を飲む中、彼は冷静だった。
一瞬の隙。カシュマルが振り下ろした斧が地を割ったその刹那、ハルムの剣が斜めに走った。金属音と共に斧が弾かれ、カシュマルの膝が沈む。
息を呑んだ広場に、勝者の名が告げられる。
だが、ハルムは兜の下でただ小さく頷き、剣を鞘に収めるだけだった。
そして決勝――北方の傭騎士、ローサラントとの戦い。
その男は分厚い毛皮を肩にかけ、灰色の瞳で静かに対峙していた。動きに無駄はなく、戦場で鍛えられた確かな技があった。
試合開始の合図とともに、剣と剣が激しく打ち合った。ローサラントはハルムの盾の死角を狙って鋭く踏み込み、低い体勢から斬り上げる。ハルムはそれを半身でかわし、盾で腕を打ち上げる。
数合、互いに一歩も譲らない。観客は喚声を上げながらも、誰もが目を離せなかった。
やがてローサラントが剣を横に大きく振ると見せかけ、膝蹴りを混ぜた奇襲を放つ。しかし、それすらもハルムは読んでいた。盾で蹴りを受け止め、体勢が崩れた隙に剣を肩口に打ち込む。
ローサラントは膝をつき、敗北を認めた。
司会が声を張る。
「勝者――ハルム・ヴィグラン! デーパルの若き領主! ヴィグラン家の騎士!」
広場が歓声に包まれる中、ハルムは静かに手を差し出す。しかしローサラントはそれを払って立ち去った。その背に、ハルムは何も言わず視線を伏せるだけだった。
◇
一方、弓術競技場では、別の緊迫した試合が続いていた。
美貌の弓手、リーシア・ヴィグランがその中心にいた。風に揺れる栗色の髪、澄んだ緑の瞳、精密に削られたリモド材の弓を構える姿は観客の目を釘付けにしていた。
予選第一戦。対するは新鋭の弓使い、テルム・カナード。彼は王都の衛兵隊出身で、技術こそあれど経験は浅い。
リーシアは矢をつがえ、静かに深呼吸し、放った。的の中心。次の矢も、また中心。五射全てがど真ん中を貫いた。
テルムは焦り、矢を二本外した。観客の反応は残酷で、静まり返った空気が彼の背に重くのしかかった。
「……お見事でした」
「あなたもね」
リーシアはテルムと握手を交わした。
準決勝。相手は名の知れた老練の射手、ディアス・エルラン。かつて王国軍の狙撃部隊に名を連ねた男である。
老いてなお正確な射撃は健在。最初の三本は中心からわずかに外れただけ。しかしリーシアは一分の狂いも見せなかった。
風を読み、呼吸を合わせ、腕を安定させて矢を放つ。その姿はまるで一つの儀式のようだった。結果はリーシアの僅差勝利。
そして迎えた決勝戦、相手は紅の弓手・リュサ。
紅の髪と瞳、凛とした雰囲気、そして何より冷徹な集中力を武器にする彼女は、これまで圧倒的な技量で勝ち上がってきた。
しかし、リーシアとの戦いでは、その姿が明らかに変わっていた。手はわずかに震え、放たれた矢は何本か逸れた。リーシアの存在そのものが、リュサにとって苛立ちの種だった。
一方、リーシアは変わらなかった。静かに呼吸を整え、狙いを定め、風の流れすら味方にした。
そして最後の一矢――それはこれまでの全ての矢の中心を、さらに正確に貫いた。
観客が爆発したように歓声を上げる。
「弓術試合、優勝者はリーシア・ヴィグラン! 美しきデーパルの守り手、エルフの如き弓使い!」
リーシアは弓を胸に抱え、観客に向けて静かに頭を下げた。その微笑みは、謙虚で穏やかだった。
その姿に、リュサは唇を噛む。
自分が見ているのは、美しさか、才能か、それともその両方なのか。否――敗北という名の屈辱に違いなかった。
祝祭の熱気に包まれたタルグレン。その裏手、石壁に囲まれた薄暗い路地には、異なる空気が流れていた。
「……あのリーシアって女、気に食わないわ」
リュサの吐き捨てるような声が響く。紅の髪が風に揺れ、真紅の瞳が怒りに燃えていた。
その隣に立つのは、敗れたローサラント。彼もまた何も語らず、剣の柄を握る手だけに怒りを滲ませている。
「なにが『美しき守り手』よ。ふざけんじゃないわよ」
◇
夕暮れ。タルグレンの町外れ。試合後の喧騒が少し落ち着き、広場に残っていた屋台の明かりが、オレンジ色に灯る。
ハルムとリーシアは並んで馬を歩ませていた。すでに帰路につく時間だが、少しだけ町を見て回るつもりでいた。
「少し……疲れたか?」ハルムがそっと問いかける。
「ううん、大丈夫。でも、やっぱり緊張はしたわ」
リーシアは笑いながら答える。手綱を握る手が、ほのかに汗ばんでいた。
「君の名前は、町を駆け巡ってる。人気者だよ」
「……そんなことないわ」
リーシアは頬を少し赤らめて笑った。
ふと、風が吹き、栗色の髪がふわりと舞った。
二人は並んで歩み続ける。夕陽に染まる空の下、静かに、確かに歩を進めながら。
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