第48話
七瀬さんの部屋での宅飲み。何度目かになったそれは、すっかり俺たちの冬の定番になっていた。そして今夜の彼女は、明らかにいつもよりペースが早かった。
ソファの隣で七瀬さんはふにゃりと猫のように笑った。
その頬は綺麗なピンク色に染まっている。完全に酔っ払いのそれだ
ローテーブルの上には、飲み干されたロング缶が墓標のように並んでいる。
「よーすけ! お酒、全部飲んじゃった!」
七瀬さんが缶の中身を確認するため、順番に軽く振っていく。
「本当だね」
「ってわけで、じゃ、買いに行こっか。コンビニ」
「え、今から?」
時計の針は、とうに一時を回っている。外は、凍えるような寒さに違いない。
「いいじゃん、行こ行こ。夜のお散歩だよ。それかここで待っててくれてもいいけど?」
「この時間に一人で行かせるわけには……」
酔っ払いの無邪気な提案に、俺は逆らうことができなかった。
◆
冷たい夜気が、火照った頬に心地いい。俺たちは、マフラーに顔をうずめながら、煌々と光を放つコンビニを目指して、静かな住宅街を歩いていた。
その時だった。 電柱の足元で、一人の女性が地面に座り込んだ男性の肩を、必死に揺さぶっているのが見えた。
「ねえ、起きてってば! こんなところで寝たら風邪ひくよ!」
女性の困り果てたような声が、静かな夜に響き渡る。男性の方はぐったりとして起きる気配が全くない。
「……どうしたんだろう」
「酔っ払い、かな。私たちみたいに」
「夏ならまだしも……冬はマズイよね?」
「ん。放置はできない」
俺たちは顔を見合わせて、こくりと頷いた。見て見ぬふりをする、という選択肢は、どちらの頭にもなかった。
「あの、大丈夫ですか?」
俺が声をかけると、女性は、はっとしたように顔を上げた。その目は、少しだけ涙で潤んでいる。
「あ、すみません……彼氏が酔っ払っちゃって、急にここで寝ちゃって……」
女性の手には水の入ったペットボトルがあった。
「飲み過ぎ?」
七瀬さんの質問に苦笑いをしながら女性が頷いた。
「や、それは大変……家は近くなんですか?」
七瀬さんが尋ねると、女性は「はい、すぐそこの坂を上ったところで……」と、力なく答えた。
七瀬さんがちらっと俺を見てくる。
まぁ……七瀬さんに運ばせるわけにも行かないし、寒空の下で酔っぱらいを放置するわけにもいかない。俺が運ぶしかないか。
「分かりました。俺、おぶっていきますよ」
「えっ、でも、そんな!」
「大丈夫です。俺、見た目より力あるんで」
そう言って、俺は地面で大の字になっている男性の前に屈み込んだ。思ったより、ずっと重い。よろけそうになるのを、七瀬さんが、背中を支えてくれた。
「……じゃあ、お願いします」
俺は男性を背負い、女性に道案内を頼んだ。七瀬さんと彼女が並んで歩き、その後ろを歩くという奇妙な隊列。背中からは、幸せそうないびきと、強烈なアルコールの匂いがした。
「本当に、すみません……助かります」
「いえいえ、お互い様ですよ」
俺の前で、二人の女性が、そんな会話を交わしているのが聞こえる。しばらくして、彼女の方が、ふと、何かを思い出したように、七瀬さんに尋ねた。
「あの……さっきから思ってたんですけど。お姉さんって夕薙凪ちゃんに、似てるって言われませんか? あの、アイドルの」
その言葉に俺の足が一瞬だけ止まりそうになる。
「あー……たまに、言われます」
七瀬さんの、少しだけ、困ったような、でも、慣れたような声が背後から聞こえてきた。
「やっぱり! すごい! 本物かと思っちゃいました!」
「はは……光栄です」
そんな会話を聞きながら、俺は、目の前の、緩やかで、長い坂道を、一歩、また一歩と登る。
ふと、七瀬さんが振り向いてにっと笑った。
「陽介、意外と力持ちなんだね。安心した」
「安心?」
「や、ほら。お姫様だっことかもできるってことでしょ?」
「この人をお姫様だっこするの……?」
「ふはっ……違う違う」
「じゃあ一体誰を……」
「さてさて。誰でしょうかねぇ。ま、楽しみにしてるよ」
七瀬さんはニヤニヤしながら前を向き、女性と内緒話を始めた。時折、キャッキャとはしゃいだり振り向いてきたりするのだが、詳しくは聞かないでおくことにした。
◆
数日後。俺は家で夕食を食べながら、ぼんやりとテレビを眺めていた。
チャンネルを適当に変えていると、見慣れた顔が、画面に映し出される。トーク番組に出演している夕薙凪だった。
華やかな笑顔に「やっぱり七瀬さんとにてるけど……何かが違うなあ」なんてことを考えていた時だった。
『さあ、続いては、視聴者の皆さんから寄せられたゲストの皆さんの目撃情報ののコーナーです!』
司会者の明るい声と共に、一通のメールが紹介され始めた。
『先日、彼氏が家の目の前で酔い潰れてしまいました。途方に暮れていたところを、通りかかったとても親切な女性に助けていただきました』
ん? と、俺はテレビ画面に少しだけ身を乗り出した。
『女性の二人組で彼氏を家に運び込む手伝いをしてくれたんです。その人が、なんとルミナス・ティアーズの夕薙凪さんにそっくりで……』
メールを代読するアナウンサーの声が、続ける。
『暗くてお顔ははっきり見えませんでしたが、もしご本人だとしたら、奇跡のような出来事です。あの日のお二人に心からお礼が言いたいです』
スタジオが、温かい拍手に包まれる。カメラが夕薙凪の顔をアップで抜いた。
彼女は、少しだけ困ったように、でも、完璧なアイドルの笑顔でこう言った。
「うーん……残念ながら、たぶん、私じゃないですねえ」
スタジオに、えー!という声が上がる。
「私、結構そっくりさんが、全国にたくさんいるみたいで。よくSNSでも目撃情報とかいただくんですけど、大体私じゃないんですよ。でも、私のそっくりさんがそんなに素敵な方だったのなら、なんだか私もすごく嬉しいです」
完璧で非の打ち所のないコメント。 俺はテレビの前で呆然としていた。
そうか。あの日の夜、俺たちが助けた、あのカップル。彼女の方が、テレビに投稿したのか。そして、七瀬さんはまた本物の夕薙凪に間違えられたんだろう。
(女性二人組……? 俺も女の人に見えていたのか……? いや、単に男といたなんて、アイドルの話として不適切だから加工されているのか)
俺はそんなテレビの裏事情を考えながら、画面の中でプロフェッショナルな笑顔を浮かべる国民的アイドルと、あの夜、俺の背中を、そっと支えてくれた、飲み友達の顔を、同時に思い浮かべていた。
『そっくりさんが多いんです』
七瀬さんはその代表例。他にもいるってことは、やっぱり七瀬さんもそっくりさんなんだろう。そうに違いない。
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新作始めました。
『トナラーから助けたクラスメイトのSSS級美少女が電車毎日隣に座ってくるのだが、鈍感天然すぎて俺の好意に気づかない』
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