第45話

 寒さに耐えかねて七瀬さんの部屋での宅飲み。


 お宅訪問も慣れてきたのか、仕事のストレスなのか、今夜の七瀬さんは明らかにいつもよりペースが早かった。


 ソファで隣に座っている彼女は、ふにゃりと猫のように笑った。その頬は、綺麗なピンク色に染まっている。完全に、酔っ払いのそれだ。


「ね、陽介。なんか、急にパーティゲームしたくなってきた」


「二人でするの!?」


「や、二人でもできるパーティゲームはあるじゃんか」


「まぁ……マリパとかね」


「人狼でしょ!」


「二人で!? 村人か人狼の二択だよね!?」


「はい、じゃあ、私、人狼やりまーす!」


「立候補制!?」


 七瀬さんはだいぶ上機嫌らしい。


 スマホを取り出し、言われるがままに人狼アプリをインストールして立ち上げた。画面に『役職を確認してください』と表示される。俺は、自分の画面をこっそり覗き込んだ。


【あなたは村人です】


 よし、と心の中でガッツポーズをした瞬間、隣から、「ふふふっ……」と、悪魔みたいな笑い声が聞こえてきた。もう、この時点で、勝負はついている。


 議論の余地なく、七瀬さんが人狼だ。


 その瞬間「がぶーっ!」と可愛らしい猛獣の雄叫びと共に、七瀬さんが俺の腕にがしっと抱きついてきた。


 柔らかな感触と、アルコールの甘い香りが俺を包み込む。


 腕に顔を埋めてはむはむしている姿は人狼というよりは小型犬のそれだ。


「な、七瀬さん!?」


「人狼が村人さんを食べちゃった。私の勝ちだね」


 腕に顔をうずめたまま、彼女は、くふくふと、満足げに笑っている。心臓がとんでもない速さで脈打っていた。これは、ゲームのせいか、それともアルコールのせいか。


「……もう一回!」


 一回戦がわずか数秒で終わると、彼女は、子供みたいに、二回戦をねだった。


「これ、何が楽しいの……?」


「や、人狼としては欠片も楽しくないよね」


「だよね!?」


「けど、たのひいじゃないれすか〜」


 七瀬さんはゲハゲハと笑いながら俺の肩を叩く。この人、かなり出来上がってるな……


 仕方なくアプリを操作して2回戦を開催。画面が再び役職を告げる。


【あなたは、人狼です】


 俺が自分の役職を確認していると、隣の七瀬さんが、やけに期待に満ちた目で、こちらを見ていた。


「ほらほらー。人狼さん、がぶーっと来いやー」


「七瀬さん、酔い過ぎだよ……」


「いいから、来いやー」


 彼女はソファの上で、完全に無防備な姿で俺の「襲撃」を待っている。


 俺は観念して照れながらゆっくりと彼女の方に手を伸ばした。


「が……がぶー」


 そして、りんごみたいに赤い頬を人差し指と親指でそっとつまむ。それが俺にできる最大限の「襲撃」だった。


 俺のあまりにも弱々しい攻撃に、彼女は嬉しそうに、そして恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべた。


「そ……そういうのも悪くない」


「いやまぁ……さすがに思いっきりいくのは……」


 その時、ガチャリ、と、玄関のドアの鍵が開く音がした。


「え?」


 俺の背筋が、凍り付く。


 誰だ? この時間に合鍵で入ってくるなんて。まさか彼氏……!?


 二人人狼で楽しんでいるところを見られたら修羅場は確定だ。


 俺がパニックになっていると静かにドアが開き、見慣れた無表情な顔がひょこりとリビングを覗き込んだ。


「……あっ……朝霧……さん?」


「……いかにも。朝霧氷織にござる」


 そこに立っていたのは、黒いジャージ姿の朝霧氷織さんだった。


「朝霧さんがなんでここに!?」


「……ゲームをしにきた。むしろ……いや、なるほどね。邪魔した?」


「や、ぜっ、全然邪魔じゃないよ!? ね!? 陽介!?」


 七瀬さんは少しだけ乱れた髪の毛を整えながら誤魔化している。俺も変な関係を疑われたくないため、必死に頷く。


「そっ、そうだよ! 今、二人で人狼をしてたんだ!」


 朝霧さんは首を傾げた。


「……それ、楽しいの?」


「「楽しい! 楽しい! 楽しい!」」


 自然と七瀬さんとシンクロする。


「……喜怒哀楽の楽しかないドリカムだ」


 彼女は、いつも通りの平坦な声でそう言うと、コンビニの袋をガサガサさせながらずかずかと部屋に上がってきた。


「え、ていうか、なんで入れてるんですか!?」


「……合鍵」


 氷織さんが、こともなげにそう言って、ポケットから鍵を取り出して見せる。


 その言葉が俺の頭の中でリフレインする。合鍵を渡す関係。それは、つまり、そういう……


「もしかして、七瀬さんと朝霧さんって……付き合って……」


「ふはっ……どういう発想?」


「……まぁお風呂も一緒に入るしたまにお泊まりもするけど」


 七瀬さんと朝霧さんが顔を見合わせて笑いながら否定する。


「ただ朝起こすために合鍵を渡してただけだよ。それでこうやって遊びに来てるんだ」


「……そう。仕事に遅刻しないように合鍵を持ち合って起こしてる」


「そうそう!」


「なっ、なるほど……スタイリストなのに大変だね。マネージャーみたいなこともしてるんだ」


 ふとした気づきを口にした瞬間、七瀬さんと朝霧さんが目を合わせてアイコンタクトをした。


「そっ……そうなんだよね。や……大変ですよ」


「……私が起こしてもらってばかり。朝弱くて」


「あ、3人になったし人狼する? 噛みつく時はリアルでもがぶーっ! てするルールだよ」


 七瀬さんが話を変えるようにそんな提案をした。朝霧さんは顔をしかめる。


「……チャラい大学生みたいなことしてたんだね」


「健全なゲームだからね!?」


 七瀬さんと二人で慌てて否定をする。ただ、二人の時の人狼役のあのタイミング。もっと勢いよくがぶーっとしておけばよかったと後悔の念が湧いてきたのもまた真実なのだった。


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