第43話
十二月の街は、忘年会という名の熱気に浮かされていた。一次会、二次会を終え、ようやく解放された俺の隣には、千鳥足の鳴海千晶が、やけに上機嫌に絡んできている。
「ねえ相川ぁ、聞いてるー? もう一軒~! ついてきてよー! 一人で行くのも寂しいじゃんかぁー!」
「はいはい。もう終電近いんだから、ちゃんと歩いて……駅まで送ってるんだから……」
「それはらいじょーぶ!」
呂律の回らない口調での返事。もう何度目になるか分からない返事にため息混じりの笑いが出る。
そんな、いつも通りのやり取りをしながら、駅へと続く雑踏の中を歩いていた、その時だった。
人混みを避けるように、少し俯き加減で歩いてくる見慣れた姿。キャップを目深にかぶり、白いマフラーに顔を半分うずめている。
「あ、七瀬さん」
俺が声をかけると、彼女は、ぱっと顔を上げて、少し驚いたように目を見開いた。そして、俺の隣で、電柱に寄りかかるようにして立っている鳴海を見て、さらに戸惑ったような表情になる。
「や……陽介じゃん。何してるの?」
「酔っぱらいの解放。今日、会社の忘年会だったんだ」
「ふぅん……で、お持ち帰りの最中、と」
「そんなんじゃないよ!?」
七瀬さんはジト目で鳴海を見る。だが、すぐに鳴海を見て「あっ……」と声を上げた。
「七瀬さん、鳴海と知り合いなの? 会社の同僚なんだけど」
「んへへ〜! どうも〜! 彼女さ〜ん? ん……んん!?」
七瀬さんの顔を、鳴海穴が開くほど見つめていた。酔って潤んだ瞳が、次の瞬間、信じられないものを見たかのように、カッと見開かれる。
「え、うそ、なんで……ナギナ――!?」
甲高い声が夜の街に響き渡りそうになる。俺は、思考より先に体が動いていた。
鳴海の大声が出かかった口を、空いている方の手でむんずと塞ぐ。
そして、彼女の腕を掴むと、一番近くにあった薄暗い路地裏へと半ば引きずり込むようにして雪崩れ込んだ。
驚いた七瀬さんも、慌てて俺たちの後をついてくる。
「ぷはっ! な、何すんのよ相川!」
「いきなり大声出さないって。びっくりするじゃん」
「だっ……だって!」
路地裏の薄明かりの下、鳴海はもはや俺のことなど目に入っていないようだった。その目は、ただ一点、七瀬さんに釘付けになっている。
「……あ……い、一応握手、してもらえますか?」
いきなりの申し出に、七瀬さんは戸惑いながらも、そっと手を差し出した。鳴海は、まるで宝物に触れるかのように、その両手で七瀬さんの手を恭しく握りしめる。
そして、数秒後。握手をしたままの姿勢で、鳴海が震える声で呟いた。
「…………本物だ」
「だから、そっくりさんなんだって……酔っ払いさん。大きな声で名前を呼んだらパニックになるかもしれないんだから……」
俺がツッコミを入れた、その時だった。
ほんの一瞬、七瀬さんと鳴海が、何か目で会話しているように見えた。鳴海がその潤んだ瞳で必死に何かを訴えかけ、七瀬さんが静かに、そして、強く何かを制止したような。俺の気のせいだろうか。
次の瞬間、鳴海は、はっと我に返ったように、大げさに声を上げた。
「いやー! でも、本当にそっくり! すごい! 相川が言うのも分かるわー!」
「あは……あはは……よく言われます。光栄です」
七瀬さんも、どこか引きつった笑顔で、話を合わせている。とはいえ、話が通じたようで助かった。
しかし、鳴海の興奮は、それで収まらなかった。
「あれ……ってことはつまり……?」
彼女は、俺と七瀬さんの顔を、何度も何度も交互に見比べる。何かを言いたそうに口を開きかけては、閉じまた開いては閉じる。
その目は、ひどく、混乱しているようだった。
やがて、彼女は、自分自身に言い聞かせるように、ぶつぶつと小さな声で呟き始めた。
「……推しの幸せが一番。推しの幸せが一番。推しの幸せが一番――」
「なっ、鳴海? 大丈夫?」
俺が、本気で心配して彼女の顔を覗き込むと、鳴海は覚悟を決めたような顔でにぱっと笑った。
「う……うん。大丈夫。だけど……」
鳴海はそこで言葉を切る。間を埋めるように、七瀬さんが俺に向かって「この後どうするの?」と尋ねてきた。
「この人を駅まで送ったら歩いて帰るよ」
「ふぅん……じゃ、手伝うよ。一緒に帰ろ?」
七瀬さんはそう言って鳴海の腕に抱きついた。鳴海を挟む形で3人で駅に向かって歩き始める。
「おふっ……おふっ……ナギナギにいっ……これはっ……」
「だからその人は別人だって……」
限界オタク化する鳴海に対して俺が冷静に突っ込む。
「鳴海さんは陽介とどういう関係なんですか? 恋人? 未満?」
七瀬さんは笑顔だがどこか圧のある声で鳴海に尋ねた。
「えー? ただの同僚。さすがにこいつはないよ」
「ふぅん……」
七瀬さんはニヤニヤしながら後ろから手を回して俺の背中をツンツンとつついてくる。
泥酔した挙げ句に推しのアイドルに腕を借りていると勘違いしている鳴海は俺と七瀬さんが自分の背後でアイコンタクトをしたりして遊んでいることにはまるで気づかない様子。
「ふふっ……気づいてないね」
七瀬さんはそう言って笑いながら俺を指差す。
「こっちでしょ、それは」
俺は鳴海を指さしながら返す。
七瀬さんは「ま、そうだね」と言って肩をすくめて前を向いた。
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