第9話

 いつもの河川敷。いつものレモン味。いつもの缶2つ分の距離。


 俺と七瀬さんは、特に何を話すでもなく並んで座っていた。


 こういう会話のない時間も気まずくない。


 夜風が心地いい。


「……向こう岸って、静かだね」


 俺は、川の向こう側に見える住宅街の小さな明かりを眺めながらぽつりと呟いた。


「ん。こっち側は道路が近いから、ずっと音がしてるけど」


 七瀬さんは同じ方向を見ながら静かに答える。


 彼女の言葉をきっかけに、俺は耳を澄ませてみた。


 ゴォォォ……という、絶え間ない車の走行音。その隙間を縫うように、遠くから、ガタンゴトン、という電車の音も聞こえてくる。


「あ、電車」


「ほんとだ」


「社畜の悲鳴が聞こえる」


「いや、言い方」


「陽介は結構ホワイト気味?」


「まぁ……給料もそれなりだけどね」


「や……まぁ忙しすぎても、ね」


 七瀬さんの声に同調するようにりん、りりり、と、足元の草むらから、虫の声もする。


「ね、陽介。何の虫だろうね」


「さあ……虫としかわかんないな」


 七瀬さんはスマートフォンを取り出し、その音を録音し始めた。そして、それをAIアプリに渡して何の音か尋ねている。


「わかった?」


「ヨクワカラナイムシ」


「ちゃんと録音できてなかったんだろうね」


「録音しにいこうかな……や、面倒だし良いや」


 二人でヨクワカラナイムシの音に耳を澄ませる。


 今度はその音に乗っかって誰かが遠くで大きな声で笑っているのが聞こえた。風に乗って断片的にこちらまで届く。


「やけに楽しそうな人達がいるね」


「や、一人二役かもしれないよ」


「異常者が接近してる!?」


「ふふっ……ヤバいね。逃げなきゃ」


 七瀬さんは尻に根が生えたようにどっしりと座って缶を口にした。多分、この人は逃げるつもりはない。


「なんか……こうしてると色んな音が聞こえるね」


 俺がそう言うと、七瀬さんはこくりと頷いた。


「陽介って好きな音とかある?」


「音?」


「ん。音。クチュクチュとかパコパコ以外で」


「ここで真っ先にそれを出すとしたら一人二役の異常者よりヤバい奴だよ……うーん……鉛筆で紙に書く音が好きかな」


「鉛筆?」


「うん。ボールペンやシャーペンじゃなくて、鉛筆。あのサリサリっていうか、カリカリっていうか……あの音を聞いてると、なんか落ち着くんだよね」


「ふふっ……文豪なの?」


「ううん。職場が文房具メーカーなんだよね。仕事で企画書を書いたり、アイデアを出したりする時に使ってるんだ。なんか、新しいアイデアが生まれてる瞬間の音って感じがして。ゼロが一になる音、みたいな」


「……ゼロが、一に」


 七瀬さんは、俺の言葉を小さく繰り返した。


「ん……いいね、それ。素敵」


 彼女はそう言って優しく微笑んだ。


「七瀬さんは? 好きな音とかあるの?」


 彼女は、少しだけ、考えるように、夜空を見上げた。キャップを被っていない、彼女の横顔が、遠くの街灯に、ぼんやりと照らされている。


「好きな音……」


 彼女は、そう呟くと、ふふっ、と少しだけ、楽しそうに笑った。


「カメラのシャッター音、かな。ピピッ、カシャ! みたいな、」


「え?」


 俺は思わず聞き返してしまった。


「シャッター音? 珍しいね。苦手な人の方が多いと思ってた」


 俺がそう言うと、彼女は「そうかもね」と頷く。


「でも、なんていうか……『今、この瞬間が、形に残るんだ』って感じがしない?」


 彼女の声には、どこか誇らしさのような響きがあった。


「好きなの? 撮られるの」


「ん……そうだね。割と。後は……歓声も好き。地響きみたいな。一体感があってさ」


「ライブとか?」


「ん。そうそう」


 七瀬さんは脚に肘をつき、俺の方を見ながらニカッと笑った。


「七瀬さんって、ライブに行くの好きなんだ? バンドとか?」


 七瀬さんは何故かずっこける。


「ふふっ……そうそう。そうだよ。さすが陽介」


「何が流石なの……」


「や、さすが陽介だなって」


 意味はわからないけれど、多分褒められているんだろう。


「いやぁ……照れるなぁ……」


 俺が頭をかく様子を見て七瀬さんは穏やかに微笑んでいる。


「じゃあ七瀬さん。逆に苦手な音はあるの?」


「苦手な音?」


 彼女は、うーん、と少しだけ眉をひそめる。


「黒板をキーってひっかく音かな……あれだけは鳥肌が立つ」


「それは皆そうだよ」


「ね。防御力ががくっと下がりそうだもん」


「七瀬さんってポケモンなの?」


「ん。タイプは?」


「基本フェアリーだけど、たまにゴーストやあくが見え隠れする」


 俺が素直に答えると七瀬さんは嬉しそうにニヤリと笑った。


「ん。いいね。媚びない答えだ」


 その笑顔は、シャッター音の向こう側にある、どんな作り笑顔よりも、ずっと、自然で、綺麗だった。


 俺は彼女の本当の仕事も本当の気持ちも、まだ何も知らない。


 不思議な関係が、夜風の中で、少しずつ深まっていくのを感じていた。


―――――


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