高西

 島根県は高齢者の割合が多く、人口10万人あたりの100歳以上の割合が159.54人と12年連続で全国最高となった[1]そうで、出雲もその例にもれずお年寄りが多い。そのせいか空き家もたくさんあって、山の中の集落もさることながら今市の中を歩いていても空き家とおぼしき家をよく見かける。そのくせ駅近の分譲高層住宅が増えていて、出雲で高い建物といえばマンションか総合病院という感じになってるし、周囲の田んぼをどんどんつぶして低層の賃貸マンションをたくさん作ってるし、反比例して中心部はさびれてくるし、まあどこの地方都市でも同じようなものか。市では空き家バンクなるものをやっていてなんとかUIターンで人口を増やそうとしてるけど、うまくいってるだろうか。

 かくいうあたしの住んでるへやも近年田んぼをつぶして建てたようで、まわりにはおなじような賃貸がたくさん建ってる。たぶんUIターンよりも中山間地域からの移住が多いんだろう。山の中や海のそばの集落は限界に近いと思う。やっぱり平地が便利よね。

『神様の神殿にも空き家があるんだぜ』とキマタが口を出した。うっさい、今は人間のことを調べてるの。

『しっかしおまえも、もっと計画的に課題をこなせんのか。なんで提出間際に徹夜する、ひょっとしてMか?』そういうあんたはなんで邪魔しにくんの、Sなの? 神さまならちょっとは助けてよ。『神様は自ら助くるものを助くのだ。助けたいのは山々だが基準に達しとらんのだ』

 開け放った窓から真夜中の少し湿った涼しい風が吹き込んでくる。物音ひとつしない通りからは街灯のあかりだけが静かに差し込んでいる。うん、住むのにちょうどいい街だわね・・・でも、空き家の神殿って、なんでそんなものがあるの?

『神社はな、移動するんだ・・・といっても神様は動きたくないんだが人間が動かすのさ。山の頂上から中腹そして麓へ。小島や川の中洲から岸辺そして内陸へ。道をつけるから、ビルを建てるから、とか言って人間の都合のいいところへ動かしてゆくんだ』キマタは問題ありげに腕組みしながら説明する。『明治になると政府の政策で、一村一社とか言って各集落から村の中の大きな神社の境内へ、はては同じ本殿内へ。これを合祀という』

 神さまは人間にされるがままなの? 『たまに、動かそうとしたりご神木を切ろうとしたりするやつらにをあてていいなりにさせん神様もいるが、将門塚みたいに神の呪いだなんだと騒がれるのがオチだ。まあ神様はそんなこと気にしないが』人間の身勝手で神さまが動かされてる・・・まあでも仕方ないんじゃないの? たまにテレビでやってる「日本一危険な神社」とかって岩山のぼったり鎖をつたってガケをたどったり、あんなんじゃあ参拝する人がいなくなるわね。それで?

『神社が動くとそこにあった神殿は取り壊して新たな移転先に作り直すんだが、前の場所にこだわる神様が結構いて、神殿を壊さずに残しておくんだ。そういうところを元宮または奥の院という・・・だが残した神殿を別荘がわりにするならまだしも、そのまま放置されるケースが後を絶たない。そして空き家の神殿が増えてゆくのだ』

 空き家の神殿がふえるとなんかまずいことでもあるの? 『本来は神様のレベルに入らない低級な動物霊やさまよえる御霊など不良の溜まり場になってしまうのだ。そこを通る人間たちにちょっかいを出したりする』それは困るわね。カベからいきなり手が出て来たら、神さまが見えない人はびっくりするでしょうね。安倍晴明の出番だわ。このあたりにもあるの?

『このあたりで有名なのは塩冶えんや高西たかにしの旧大国主邸だ。なんせ出雲国の支配者だからな、そりゃあ贅を尽くした壮麗な神殿だったんだが、杵築[2]に移ってからというもの神様ひとの訪問もなく、撤収もせずにかたく扉を閉ざしている・・・旧国道から屋根が見えるはずだぜ』

 ふーん、旧国道は阿利神社へ行くときのコースなんだけど、ぜんぜん気づかなかったわ。でもなんでそんなに塩冶にこだわってるんだろう。『さー、大国主様に聞いても何も教えてくんねえし。よっぽど思い出かなんかがあるんだろう』そういうとキマタは顔をおもいっきり近づけてきた。『どーだ、課題のネタを出してやってんだぜ。旧大国主邸の空き家調査でレポート出せっか?』

 せっかくだけどうちの准教授は神さまが見えないから興味ないと思う・・・けどあたしはすごく気になる! どんな神殿だろ・・・って、ちょっとぜんぜん進まないじゃない。もういいから静かにしてて。なんでこんな真夜中にむっさい男とふたりでいなきゃなんないの! 『へいへい、それじゃあ帰るとすっか』それがいいわ、さよーなら。

 キマタが消えて静寂がおとずれた。あたしは気の抜けたようにゴロッと横になる。


 阿利神社への道をたどって自転車を走らせる。へやを出て南に向かい、旧9号線を横切って、高架の線路に出くわすとそれに沿って西へゆき、駅を左手に見遣って出雲夜間休日診療所の角を左へまがって線路をくぐり、プラントの角を右に曲がると旧国道の塩冶の街中にはいる。そうそう、このちょっと先に高西バス停があるのよ。

 このあたりから屋根が見えるって言ってたわね。どこだろう・・・このあたりはしずかな住宅地で、2階建ての民家などが立ち並んでいる。その間にちょっと田んぼとかがあるのどかなところだ。このバス停のそばの三差路、高西公会堂・・・っていっても渋谷公会堂みたいなホールじゃなくて単なる街中の集会所ね・・・の角を曲がってしばらく行くと阿利神社なんだけど・・・あの屋根は阿利神社の神殿だわ、あそこは3階建てだから1フロア分が民家の屋根からとび出てる。そのほかには特に見あたらないわね。

 ちょっとぐるっと回ってみるか。ここから東のほうが高西の範囲ね。最近医学部からホックまで広い道が開通したけど、このあたりも高西だわ。え、まさか道路をつくったときにとり壊された!?

 ぐるぐる走ってみたけどそんな形跡ないわ・・・自転車でもあっついわねえ。公園があったのでちょっとひとやすみ、ここは高西公園ね。コンクリートの山があるけど、さすがにこんなに暑いと子供たちも遊んでないわねえ。あ、神さまの像がある、だれだろう、何にも書いてないや、手に持ってる剣も折れちゃってるし。やさしい顔だからたかひこ君がモデルかしら・・・ああ、そうだ、たかひこ君に聞けばわかるかも。

 というわけで阿利神社へ向かってみる。たかひこ君いるかな? しかしあんまりしばしば来るものだから最近近所の人にすこし不審者がられているのだ。どう見てもリピーターがつくような神社じゃないからね、いかにも参拝者も少なそうだし。

『悪かったねひなた。2、3の固定参拝者はいるんだよ』いやもっと増やせよ!

『塩冶の高西の旧大国主邸を探してるんだね。まだひなたには無理だよ』まだなんにも言ってないじゃない。なによムリって。

『ずっと使われていないから影が薄くなっちゃってるんだよ。神様的自然に還りかけてるというか、人間の空き家でも崩れてくると家に見えなくなるだろ? あんな感じだよ。ひなたの修行の程度では見えないね』

 けどキマタは贅を尽くした壮麗な神殿だったって言ってたわ・・・あ、過去形だ。そーか、今は見る影もないんだ。なんで撤収もせずに閉め切ったままおいてあるのかわかんないんだって。

『ぼくも父様に聞いたことがあるけど、なんかお茶を濁されちゃった。実家のことなのに』

 え? そこってたかひこ君の実家なの? へえー、たかひこ君は高西で生まれたんだ。

『元々は高崖たかぎし郷って言ったんだ。その後は高岸郷って表記が変わって、今の高西はその遺称さ・・・実は小さい頃のことはあまりよく憶えていないんだ。実家にも住んでたはずなんだけど、ほとんど記憶にない』言ってちょっとさびしい表情になる。『だから実家のことはたくさん聞きたいんだけど、父様がしゃべりたがらないんだ』

 大国主様、よっぽどのことがあったのかしら。そういえばここで何度も顔をあわせてるのに、そんな話題は全然出なかったわ。あ、でも下照ちゃんの実家でもあるのよね。お母さんは大国主さんの恋人の多紀理姫さんだから、一家四柱よにんでしあわせに暮らしてたのかしら。それも憶えてない?

『母様は北九州の神様だから、ほとんどこっちにはいなかったんじゃないかなあ。父様と下照姫とぼくと三柱さんにんで暮らしてたんだと思う。その時のことをたまに下照姫から聞くことがあるけど、どうも父様は子育てが苦手だったみたい。出雲の支配者にはなったけど、ああ見えて不器用なとこがあるんだ。そういうの人に話したくないのかもしれない』

 うーん、下照ちゃんは若日子くんが亡くなってからひきこもってるし、多紀理姫さんに聞けばなんかわかるかもしれない。ちょっとこれから出雲大社に行ってみようかな。

『っていうか、なんでひなたがそんなこと知りたいの? ひとんのことなのに』いや、あたしはその大邸宅を見てみたいなと思っただけです。それがムリだった、からの代償行動だと思う。

『行ってみる?』いくいくいく、せめて建ってる場所だけでも憶えといて、あとは修行を深めるわ。

 あたしはたかひこ君を自転車のうしろにのせて走りだした。『そこを左・・・んでそこも左・・・それで次を右・・・そのまままっすぐ、まっすぐ・・・』あれ、さっきの高西公園にもどってきた。『そこの公園だよ、建ってるのは、っていうか建ってるところが偶然公園になったんだ』太陽が照りつける公園は人ひとりいない、それが夏草の中にただ朽ちてゆく神殿のイメージとかさなって、ちょっと哀しくなる。


 一畑電車で出雲大社前に着いたのは一番暑い2時を過ぎたころだった。神門通りでごったがえしている参拝客の間をすりぬけ、沿道のお店には目もくれずに大鳥居をくぐり、参道をぬけ、銅鳥居をすぎて八足門へと急ぐ。瑞垣の左側へまわり込み、多紀理姫さん、多紀理姫さんとよびかける・・・とどこからかハニーさんが近づいて来た。『本日はようこそ、なんだひなたですか』というかこんなとこ案内いらんだろ。でもちょうどよかった。

 多紀理姫さんに聞きたいことがあるんだけど。『そうですか、それではちょっと声をかけて参りますのでお待ち下さい』言ってハニーさんは筑紫社の中へ消えていった・・・まもなくハニーさんと一緒に多紀理姫さんが扉を抜けて出てきた。

『まあひなた、わたしに会いに来るなんて珍しいわね。なにかしら・・・あ、いかが?』多紀理姫さんはいつもの人なつっこい笑顔でそう聞いてきた。あの、高西での暮らしのことを聞きたくてやって来ました。たかひこ君も知りたがっています。

『・・・そうねえ、わたしはこっちにはあまりいなかったから・・・』と多紀理姫さんは少し後ろめたそうに言葉をにごした。『九州で船の安全を守らないといけなかったから。子育てはもっぱら大国主様がしてらしたわ』そうだったんですか。って、今は九州に帰らなくてもいいんですか? 『わたしは分霊よ。本霊はやっぱり九州にいなきゃいけないの』言いながら多紀理姫さんは視線を落としてつらそうな表情になる。

『高日子と下照姫には寂しい思いをさせてしまった・・・めったにこっちには来なかったの。それでも年に1、2回高西の神殿に戻ってくると、ふたり片時もわたしのそばから離れなかった・・・特に高日子は寂しがり屋で、わたしが九州に帰ろうとする度に激しく泣いて縋りついてくるの、もう気が狂ったみたいに・・・子育ても船の安全を守るのも分霊じゃできないのよ。どっちもガチだから』そっかあ、多紀理姫さんもつらかったんだね。

『大国主様は家事も子育てもからっきしダメで、こっちに戻って最初にすることはまず神殿の大掃除、次に山のような洗濯物を片付けること、そして温かい食事を用意することだったわ。あの方って農民や漁師が供えてくる米や野菜や魚を生のまま子供に食べさせるのよ!』うー、あいつのいかにもやりそうなことだ。大国主さんはダンディーで勇猛果敢で統率力があるけど、家庭内のことはぜんぜんってタイプね。高天原は国つ神に二物を与えなかったのだ。いっそ子供たちを引き取ればよかったのに。

『本来はあの方が九州に通ってくるのが筋なんだけれど、わたしがあの方を慕ってこっちに来て二柱ふたりを生んじゃったばっかりに、出雲の未来を担う大国主の御子ってことになってしまったの』なるほど、これは八上姫さんパターンね、でも須世理姫さんをおそれずにこっちで出産したってことは、多紀理姫さんはそれなりに気丈なのかもしれない。てことはキマタもヘタしたら出雲の未来を担ってたのかも・・・げっ、それだけは勘弁!

 逆に言えば、大国主さんとの間に子供ができない須世理姫さん[3]は、正妻として肩身の狭い思いをしているのかもしれない。

『高日子は小さいときのことをあまり憶えていないようだから、今日聞いたことは言わないでね。哀しい記憶が蘇ったらかわいそうだから。下照姫にもそう言ってあるの・・・母としてできることはそれくらいしかないの』わかったわ、このことはたかひこ君には決して言わない。

 よし、なんとなく高西での生活がイメージできた。しかし、ということはやっぱり本命は大国主さんね。『大国主命様はここでは大変忙しいのです』やっと出番だとばかりにハニーさんが割り込んでくる。『現在はたいしゃ保育園の児童見学、そして夕御饌、休憩ののち3件のご祈祷に付き合ったあと、出雲商工会様玉串奉納の立ち会い、6時よりTSKnewsイット! の生中継、安全衛生委員会開催、7時より閉門および境内のパトロール、鯉の餌やり、松並木の手入れ、御饌田の管理についての確認』ハニーさんはフトコロから出した手帳をぺらぺらめくって一気にまくし立てた。おまえはマネージャーか! って、それ全部大国主さまがやるの!? 御饌田の件のあとは? 『10時より八野神社へお忍び、そのままご就寝でございます。本日はひなたと話す予定はございません』あいつヒマなんだか忙しいんだかわからんな。『ヒマなのはご分霊です。出雲大社以外のお社はほとんど参拝客がいません』かなしいけど納得。

 大国主さんがお祀りされてる神社ってあんがい少なくって、あたしのへやの近くにはないんだけど、いま分霊に話を聞ける神社ってどこ? 『そうですねえ、今ですと・・・日下くさか町の久佐加くさか神社くらいでしょうか・・・大丈夫、今ヒマされております』ああ、あの1日にバスが4本しかないとこか、今からじゃ無理ね。

 残念だけど今日はここまでにしておこう。あたしは夕方のまだ暑いなか、汗をふきふき駅へと向かった。


 つぎの日、お昼まえに出雲市の駅に出向いたあたしは、大寺線のバスに乗りこんだ。8時台の涼しい時間の便もあるけれど、見慣れない人間がそんなところにあまり早く行くと目立ってこれまた不審者と思われかねない。いなかで行動するのは気を遣うのだ。

 20分揺られて日下町のバス停で降りる。停留所名のよこに鹿のキャラクターが描かれていてかわいい。そこから山際へはいる細いみちを150メートルばかり歩くと久佐加神社はある。うん、なんかこぢんまりとした景色でいいな。

 みじかい石段をのぼるとちょっと見晴らしのよい狭い境内がある。例のごとく10円玉をとりだして賽銭箱に丁寧に入れ、二礼、ぱんぱん、一礼・・・と、拝殿の引き戸をあけておなじみの顔があらわれた。『おう、これはひなた、こんな辺鄙なところによく来たのう』としらじらしく言う。神さまのことだからあたしの目的はもうわかってんでしょ。

『いやあ、神様は規約で居遥拝所いるすが使えんのじゃ』診療義務がある病院だね。むかしは医祭一致だったからね。『おぬしの目的はわかっておる。ま、立ち話もなんだから拝殿に上がるがよい』ここも本殿のよこのスペースに2階建ての神殿があるんだけど、そっちには招かれないわ。あたしの修行じゃまだ無理なのね。

 拝殿のなかはエアコンがかかってたみたいにひんやりしてる。神さまの実力ね、以前アヤトに見せつけられたわ・・・『さて』と大国主さんは険しい表情であたしの向かいにどかっとすわった。そうとう話したくないんだ。『まあ本当はおぬしに話す義理もないんじゃが・・・なるべく人間の要請には応えるようにとこれも規約で決まっておってな・・・厳しい表情はな、高日子の不憫さを思い出しておるからじゃ』と大国主さんは一層険しい顔になった。

『どこから話せばいいかのう・・・多紀理姫が高西の神殿で高日子を出産したのは知っておるな』聞きました。気丈な神さまなんですね。『ああ見えて多紀理姫は肝の座った女神での、出産のときは須世理姫が押しかけてきて修羅場たったんじゃが、決して一歩も引かなんだ』そんなの記録にないわね、太安万侶さんさすがに書けなかったかな・・・そのときの大国主さんの困った顔が目に浮かぶわよ。

『高日子を生むと多紀理姫はすぐに九州へ帰ってしもうた。あとはわしが面倒を見ておったんじゃが、やはり母のいない寂しさからか夜昼となく泣き続け、いつまでたっても言葉を話さなんだ。船に乗せて出雲松島[4]を何度となく巡ってあやしておったんじゃが一向に泣き止まんでのう』そう言って大国主さんはそのときの情景を思いだしたのか、しきりに足でペダルを踏むしぐさをした。くぐい(白鳥)のボートかい!

『初めてしゃべったのが「御澤みざわ」じゃった。ふたりして奥出雲の三沢まで行き[5]、そこでようやっと言葉が話せるようになったのじゃ』そっか、高西での生活はたかひこ君にとってはつらいものだったのね。実家の記憶があまりないのも精神的に混乱してたからなんだわ。

『それでおぬし、そんなことを聞いてどうする? まさか高西の神殿を見たいとかいうのじゃなかろうな』あれ、先に言われてしまったわ。じつはそうなんです。天下にひびく塩冶の高西の旧大国主邸ってどんなんだろって。『それはできん。あそこはもう人に見せる気がない上に、既に朽ちかけておる。今話したことを知るのはわしひとりのみ。鍵もわししか持っておらん。悩んだり迷ったりしたときはあそこに行ってしばし瞑想にふけるのじゃ。わしの記憶の中にだけとどめておき、あとは朽ちて果てるに任せようと心に決めておる』

 なんて悲壮な・・・わかったわ、そこまで言うのならもう詮索しない。大国主さんの思いにはそっとふたをしましょう。

 そうとうヒマなのか、なんのかんのと引きとめる大国主さんにお礼を言い、ふたたびバスに乗って駅までもどってきた。プラントでJJバーガーでも食って・・・と思い自転車で高西橋まできたとき、いきなりキマタが目の前にあらわれた。こらっ、あぶじゃないじゃない。

『JJバーガーを食った帰りだ・・・ところでおれの出した課題のネタはどーだった?』いちいち聞かなくってもわかってんでしょ! 残念でした、大国主さんの悲壮な決意のためこの企画はボツだわよ・・・それを聞くとキマタは顔をにゅっと突き出してきた。『なーんでもっと頼ってくんないかなあー』なんなのよそれ。いつにもましてチャラいわね。『こう見えて意外と頼りになるんだぜ』え?

 キマタは自転車のうしろにまたがり『いざ高西公園へっ!』って片腕を突きだす。やめてはずかしい、はいはい高西公園ね。

 自転車にキマタをのせ、住宅地の中のほそい路地を抜けて高西公園へと向かう。真夏の夕方はまだ日も高く、熱い風が頬に吹きつける。どこかからセミの鳴き声が聞こえ、家の軒につってある南部鉄器の風鈴がりんりんと高く澄んだ音を響かせている。電柱もアスファルトも強い夕日をうけて光と影のコントラストをくっきりと浮かび上がらせている・・・そうして今日も陽炎のなかで動くもののない公園に到着した。で、どうすんの?

 キマタはゆっくりと自転車から降りるとあたしに手をのばし『こうすんだ』と言っていきなり抱きついてきた! ぎゃっ! やめろっ! こらあっ! てめえっ! この虫けらあっ! 『暴れるな! ほら、見えるだろ』

 ・・・遊具がしつらえてあるコンクリートの山を覆うように、お城のような神殿があった・・・何階建てか数えるのももどかしい、公園の敷地をはるかに超えて向こうまでひろがってる・・・しかし屋根を葺く銅板は青くくすみ、かべや骨組みの木材はぼろぼろ、地面には亀裂が入り・・・そして入口とおぼしき扉は鎖とかんぬきで固く閉ざされている、大国主さんこんなとこで瞑想してるの!? 崩れてきたら大ケガするわよ。

 そしてこうだっ、いってこいっ! キマタが体から手をはなしたと思うと力まかせにバシンッと背中をぶっとばされた。いきおい余って前へつんのめり天と地が入れかわった瞬間、あたしはガンッと思いっきり顔面をぶっつけてしまう。足から力が抜け思わずその場へへたり込んで両手で顔を押えていたが、やがて指の間からそっと外界をのぞいてみると・・・。

 目の前が真っ白だ・・・なにもみえない・・・手をはなしてみると目の前には木のかべ・・・ゆっくり視線をずらして周囲を見まわすと、一面水墨画のようなながめが広がっている。ああ、これは霧だわ、とても濃い霧。むき出しの腕や首筋にこまかな霧滴が触れて一瞬ぶるっと震えた。ここは・・・。

 そろりと立ち上がってみる・・・あたしの横には巨大な建物・・・上やむこうほうは霧でみえない、見上げても何階建てかわからないほど高くっておおきな建物、神殿? 立派な・・・ってことは昔に来ちゃったってこと? ・・・そして足元からむこうは川・・・霧にかすんでいるけど幅のひろいのがわかる。あたしはその川のちょうど川岸ぎりぎりのところに立っていた。

 ん? なんかここから下に降りる段がある。川の水面まで降りられるんだ・・・そしてその下のほうから赤ちゃんの泣く声が聞こえる。同時にヘタな歌も・・・あんもこついて冷まいて あんもこついて冷まいて べんべの子に負わしぇる べんべの子に負わしぇる よい子だ よい子だ ごーごした[6]・・・

 どっかで聞いた声だよな・・・と思ううち、そのふたつが次第にちかづいてきて・・・やがて段の下から顔がのぞいた・・・あーっ、大国主さんだ! 大国主さんがすこし困った顔をして赤ちゃんを抱えて上がってくる。わかーい! そして・・・まあ、なんてカッコいいの。精悍でちょっと苦み走ってて、けど甘いマスク、おまけに若いときたらこりゃあ世の女神たちはほっとかないね。そんなカッコいい大国主さんが赤ちゃんに手を焼いてるのね。あいかわらず赤ちゃんは火がついたように泣いてる。

 大国主さんは赤ちゃんを抱えたまま、この建物に立てかけられてる梯子を登ってゆく。たいそう長い梯子で上のほうはほとんど見えない。あの赤ちゃんはもしかしてたかひこ君? ・・・しばらくしてはるか上のほうで、たかいたかーーーい、っていう声がすると、赤ちゃんの泣き声が一層大きくなった。ちょっと高すぎない? 怖がって泣いてるんだよ。

 その後赤ちゃんを抱えた大国主さんは梯子をそろそろと降りてくる[7]。あいかわらず赤ちゃんの泣き声がすごく、半分隠れていたあたしは我慢できなくなって思わずその前へとびだした。ちょっとあんた、この子怖がってんじゃない! ・・・大国主さんは目を丸くしてあたしをまじまじと見つめる。

『そなたはどなたかな? このあたりでは見かけぬ顔だが、どこかで会ったことがあるかのう?』あ・・・はじめまして、あたしは初めてじゃないんですけど・・・ひなたっていいます、その赤ちゃんはたかひこ君ですか? 『いかにもこの子は阿遅須枳高日子だが、お知り合いかな』そんなわけあるか!

 霧でよく見えないけど、見たところ令和じゃなさそうね。いまはなに時代でしょう。『言っておることがよくわからんが』そうか、なんとか時代っていう名前は後世のひとが付けるんだもんね。当時のひとに聞いてもわかんないよね。

 そういうあいだにも赤ちゃんは泣きつづけている。大国主さんはふたたび赤ちゃんに向きなおると『ムムムッッ・・・ベロベロベロベロベロッッッ、バァァァァ~~~』と葦原醜男しこおよろしくえらい変顔で睨みつけた。赤ちゃんが輪をかけてぎゃあぎゃあ泣きわめく。あたしは母性が目覚めたのかたまらなくなって大国主さんから赤ちゃんをひったくった。あのお、いったいなにやってんですかあ。男ってほんっとに役に立たないわね! あたしがなんとかします、しばらくこの子を貸してください。

『高日子、カワイ子ちゃんに抱いてもらってうらやましいのう』もうこの時代からセクハラは始まってるのね!

 あたしは赤ちゃんをだいてゆらゆらあやしはじめる。ほらほらいい子、もう泣かないで、こわかったね・・・言いながら周囲をぶらぶら歩く。『そこの階段から神戸川かんどがわ[8]へ降りられるのだ』あたしたちは階段をおりて川面へと向かった。

 川の水はこまかな波をたてながらゆったりと流れている。山の稜線から太陽が顔を出したのか、白い霧と木々の枝を通してかすかにオレンジ色の円盤が見えた。あたしは赤ちゃんをあやしながら大国主さんに聞いてみる。ねえ、多紀理姫さんは九州へ帰っちゃったの?

『いかにも。姫は対馬海峡の絶海の孤島でひとり航行の安全を守る大切な役目を背負っておるのだ。そなたの言いたいことはわかるが、高日子には乗り越えてもらわねばならん』そっか、やっぱり神さまにはそれぞれ大役があるんだ。できの悪い人間たちをそうやって守ってくれてるんだね・・・だけど大国主さんはそういって、ちょっと不安そうな表情にもなる。『ただそのせいで神格じんかくに難ができんかのう、それだけが心配で』

 大丈夫、たかひこ君もそのあとに生まれる下照ちゃんも素直ないい子にそだつわよ。あたしが保証する。『おう、まるで神様の予言みたいだの』

 白い霧の粒子が目の前をしずかに流れてゆく。水の跳ねる音がちいさくひびく。うごくものもない早朝の神戸川の岸辺。いけない、寒くなってきちゃった。あたし夏用の恰好だけど、今はたぶん秋だわね。見るとたかひこ君のも霧でしっとりと濡れている。だめだ、かぜひいちゃう・・・そろそろ戻りましょうか・・・。

 あんなに泣いていたたかひこ君はいつの間にかすやすや眠ってる。あたしはたかひこ君のもみじのような手をそっとにぎると、小さな声であいさつをした。

 げんきに育ってね。

 そして、後世でもよろしく。


[1] 2024年11月5日のNHKネットニュースによります。

[2]杵築きづきとは現在出雲大社があるあたりの地名。江戸時代までは杵築大社と呼ばれていました。

[3]子供はいないと思うのですが、間違っていたらすみません。

[4]日御碕にある多島海の景勝地。

[5]以上、出雲国風土記 仁多郡三澤郷条を参照。

[6]奥出雲町大呂で収録された子守歌。歴博ホームページ参照。

https://www.izm.ed.jp/cms/cms.php?mode=v&id=342

[7]出雲国風土記 神門郡高岸郷条を参照。

[8]高西遺跡が神戸川の自然堤防上に位置することから、この設定としました。「高西遺跡Ⅱ出雲都市計画道路事業[医大前新町線(4工区)]に伴う埋蔵文化財調査報告書2019出雲市教育委員会」p序

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