朧~~初見殺し~~-2
「美桜様、気を付けてください」
その言葉と同時に墓石の陰から軍人が2人姿を現し、道を塞いだ。軍人には見覚えがある。北条町の中ですれ違い、蘭が過剰に反応してしまった軍人たちだ。もちろん、本当に軍人なのかどうかは怪しい。
この近距離でライフルは役に立たず、この墓地のように障害物が多い場所では邪魔ですらある。
「美桜様! 走ってください!」
蘭は自分の正面にいる男に向かって刹那の間で走り出す。一瞬、美桜の視界から消えたかのような、風の如き速さだ。
しかし男も蘭に対して身構えていたからか、蘭の電光石火の前突きを両手で受ける。
美桜は背後を振り返らず、蘭の後を追って走り出す。
そのとき蘭は中段蹴りを放っており、軍服を着た男はズボンごともも裏の肉をそぎ取られ、崩れ落ちる。
何故また襲われるのか美桜は疑問は覚えるが、考え続ける余裕は皆無だ。
蘭は崩れ落ちた男をダメ押しで踏みつけて飛び越え、美桜も男を飛び越える。そして蘭は翻り、後方から追いかけてくるもう1人の男と向き合った。
あのとき男は4人いた。不思議と冷静に考えられる。自分が足手まといになるわけにはいかない。どうすればいい?
そう考えながら走っていると美桜は転倒し、思いっきり地面に肩をぶつけ、そのまま何者かに押さえ込まれた。状況は分からないが、墓石の間に忍んでいた賊に取り押さえられたと美桜は判断した。祖母に言われて習っていた古武術も咄嗟には出てこない。こんなことならもっと真剣に練習するんだったと後悔しながら、賊ともみ合いになる。賊は柔道の技を使ってくる。馬乗りになられそうになり、美桜は男の足に自分の膝をこじ入れて防御するが、その間にも殴られる。
殴られたことのない美桜はそれだけで気が遠くなりそうになるが、ここで抵抗を諦めるわけにはいかない。
こじ入れた膝を使って賊を前方に落とし、怯んだ隙に足を取り、膝関節を極める。極めたら折る。祖母にくどくどと言われ続けてきたが、実際に折るのは初めてだ。足首が軍靴で守られている分、膝にダメージがいく。足首を掴んでいる手にイヤな感触が伝わってきて、賊は悲鳴を上げた。襲ってきたのが悪いと美桜は思いつつすぐに立ち上がると、後方ではまだ蘭が格闘していた。
距離を取って自分のできることをしなければ、と走り出そうとしたとき、また墓石の間から陰が――賊が出てきた――気がした。
墓石から出てきた陰は、幻のように、朧となって美桜の視界から消える。そしてその朧げな人の輪郭が再び視界に現れたとき、美桜は鳩尾に刀の柄を深々と突き入れられていた。
気が遠くなりそうなほどの激痛の中、賊を見る。その賊は軍人の一団の中でひときわ目立っていた、美桜と蘭が達人だと察した男だった。美桜は倒れそうになるが、達人に抱きかかえられた。
「手を焼かせる」
達人はそういうと墓石に美桜を優しく座らせる。
「美桜様に何をする!」
賊を片付けた蘭が美桜を守らんと、達人に向かって跳躍した。
「……蘭……」
それは声にならない。
蘭は文字通り電光石火の速さで達人の前に立って前蹴りを放つ。だが、そのつま先は達人のすぐ脇を掠めた。
達人が蘭ほども速いのかといえばそうではない。速いどころかスローといっていい。なのに蘭は蹴りを外した。何が起きているのか、美桜には全く分からない。
達人はしゃがみこみ、サーベルのように腰につけている日本刀を抜き放ってそのまま振り上げる。蘭はその刀身が見えているのか見えていないのか、ガードできずに腹部から胸まで斬りつけられた。
「蘭!!!」
美桜は叫ぶ。
体重が軽いこともあるだろうが、蘭はその一撃で圧されて後方に吹き飛び、墓石に背中を激しくぶつけた。
「……ぐっ……」
蘭が呻いて動かなくなり、美桜は今まで自分が上げたことがない狂乱した悲鳴を上げる。
そのとき、銃声がした。
「いたぞ! 取り押さえろ! 退路を塞いでおけ!」
和泉の声が墓地の中に響き渡った。
足を負傷した賊たちはどうにか立ち上がり、まずは動けない蘭を抱きかかえる。美桜は達人に手を引かれそうになるが、再び和泉が発砲してその手を離す。
達人は蘭を確保したことを確認して、美桜を諦めたらしい。
和泉の拳銃が達人に向けられ、達人は墓石の陰に隠れてやはり拳銃で応戦。和泉もまた同様に墓石の陰に隠れる。その間に蘭を抱きかかえた賊たちは墓石の間に姿を消した。そして数発のやりとりの後、銃撃がやみ、美桜はいつの間にか達人が姿を消していることに気付いた。
「和泉さん! もう賊はいません!」
「いやあ、助かった……多勢に無勢だからね。弾数はもう残り少ないし、どうしようかと思った」
墓石の陰から現れたのは和泉1人だった。
「――ブラフだったんですか」
最初、和泉はいかにも大勢引き連れてきたかのように叫んでいたのに、1人だけで銃撃戦をしていたから、美桜も変だと思ってはいた。
「それはそうです。本部は君たちの護衛を打ち切ろうとしていたくらいなのですから。私が残っていただけ良しと思ってください。しかし助けが遅れたことは詫びます。まさか蘭くんが倒されるとは思いませんでした……」
そうだった。蘭は日本刀で切り伏せられて、賊にさらわれてしまった。蘭は普段から鎖帷子を着込んでいるので致命傷になっていないと思いたいが、それでも打ち身に骨折は当然しているはずだ。鎖帷子は刀傷を防いでも打撃そのものを無効化できるものではない。
「あああ……蘭……蘭……どうしてこんなことになってしまったんだろう……」
美桜は深い後悔と共に軽くパニックに陥る。これが夢だったらどんなにかいいだろうか。しかし自分の目は覚めない。蘭は連れ去られた。これからどうすればいいのか、全く分からない。
美桜はその場にしゃがみ込み、頭を抱える。
銃声を聞いた近所の人たちが恐る恐る様子を見に来て、和泉は彼らに警察への連絡を頼んだ。
どうおじいさまに報告しよう……蘭は無事なんだろうか……そもそもどうして蘭がさらわれたんだろうか……これはわたしの責任だ……。
美桜はしゃがんだまま、同じことを延々考え続ける。
和泉に促されて美桜は渋々立ち上がる。他に何も考えられない。そして和泉に手を引かれ、警察の馬車に乗せられたのだった。
ここで捕らえられた蘭に目を向けよう。時は賊たちが蘭を担いで墓地を後にした直後にまで戻る。
蘭は太い縄で何重にも縛られ、寺の外に停車していた馬車の後部座席に投げ込まれた。蘭としては不覚としか言いようがない。蘭に足を負傷させられた賊が、蘭の目の前の席で手当てをしている。賊たちは恨みがましそうな目で時折蘭に目を向ける。その隣には蘭を軽くあしらって倒した達人がいる。縛られてもまだ警戒されていることは間違いない。
さて、どうしたものか、と蘭は考える。
これくらいの縄ならば『
「引きちぎろうなんて考えない方がいい。鋼線入りの縄だから、お前が本気を出したら、腕の方が切れてしまう」
「それはご親切にどうも」
蘭は達人の忠告をありがたく聞き入れる。縄に鋼線が入っているのなら、引きちぎろうとしたら骨折どころか腕がすっぱり切れてしまう。じいちゃんのように虎身になれるか、硬気功を修めていればすれば状況は違っていた。修行不足を嘆くしかない。
達人は面白そうに蘭を見ている。そしてしばらくしてから微笑んだ。蘭はムッとして思わず聞いてしまう。
「……何が面白いんです?」
「子どもなのに肝が据わっていると思ってな」
更に気分を害するが、蘭は思い直してこの機に情報を引き出せないかと考える。
「……何が目的だ?」
「依頼されただけだ。お嬢ちゃんをさらう予定だったのに、まんまと邪魔された」
やはり旦那様のお仕事(貴族院議員)絡みかなと見当を付ける。何かの伝達ミスで、陸軍派からの襲撃依頼が継続しているのだ。
「僕なんかさらったって……」
「いやなに。お前とお嬢ちゃんの仲はここ数日見せつけられたからな。おびき寄せるいい餌になることくらい分かる。それにしても胸焼けしそうなほど甘かった。お前は愛されてるな」
達人はあきれ顔で言った。
「僕は虎見蘭といいます」
「知っている」
「あなたは?」
「人は俺を“
達人は朧と名乗り、微かに笑ったように見えた。
なるほど。朧とはよくいったものだ。剣術だけでも相当の達人なのに、その上、消える異能がある。おそらくその異能を朧というのだろう。
蘭は朧に対して初撃で電光の前蹴りを放ったが、それはかわされた。かわされたというか、身体の輪郭がボケて見えなくなった。それは時間にすればコンマ数秒だったに違いない。しかし近接戦闘の最中、その刹那の間であっても消えることができるのは大きなアドバンテージだ。
消えることをあらかじめ知っていればまだ対処できた。そもそも速すぎて見えず、予測でかわすことだって普通にある。しかし戦いの最中であれば、まず自分の目を信じてしまう。敵が消えて躊躇したところを反撃され、蘭はガードすらできず、朧の居合いを受けて敗北した。もし鎖帷子を着込んでいなかったら、文字通り一刀両断されていたはずの斬撃だった。
「朧さんですか……」
蘭は自嘲する。その通り名で自分の異能を教えてくれたようなものだ。よほど自信があるのだろう。それとも甘く見られているのか。
「蘭はお嬢ちゃんを守れたんだ。それは胸を張っていいと思うぞ」
「お優しいことで」
それはそうかもしれないが、自分が餌になり、美桜がおびき寄せられるのだとしたらこれ以上ない屈辱だ。
「お嬢ちゃんの方も命はとらない。蘭も静かにしているんだな。骨が折れているだろう?」
蘭は黙る。朧の下方からの斬撃は蘭の腹部から胸までダメージを与えている。縛られていることもあり、内臓と肋骨が鈍く痛む。肋骨が折れている。肋骨が折れたまま動くと、折れて鋭利になった箇所が内臓を傷つける。ここは大人しくして回復を待つべきだろう。
和泉が駆けつけたことには蘭も気付いている。悔しいが、この後は警察の指示に従って、美桜は安全な場所に避難していて欲しいと眉間が痛むほど願ったのだった。
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