日報041:若き商人の値踏み

 辺境に来てから二十一日目の朝。

 王都の宿屋『金獅子亭』の一室は、朝の喧騒が遠くに聞こえる中、静かながらも確かな緊張感に満ちていた。俺は王都での本格的な活動を開始するにあたり、改めてチーム全員での作戦会議を開いていた。


 テーブルの上には昨夜王宮の使者が届けてくれた『王室勅許状』の草案が、重々しく置かれている。これ一枚が俺たちの村の未来そのものだ。


「さて皆。昨夜国王陛下からの正式なお墨付きを得ることができた。だがこれはあくまでスタートラインに立ったに過ぎない。本当の戦いの始まりの合図だ」

 俺はまず昨夜の国王と宰相との謁見の結果を改めて全員に正確に共有した。『王室勅許状』という絶対的な後ろ盾を得たこと、そして宰相という明確な敵ができたことを。


 その上で俺はハンスとゲオルグの任務を全面的に変更した。

「レオン・バルトとの交渉は俺とセシリアで行う。リストの要求もビジネス交渉の一環として俺が直接行う。君たち二人には今日からより重要な任務についてもらう。宰相デューク・バレッタスの身辺調査だ。彼の資金源、派閥に属する貴族、そして叩けば埃の出るような弱み。あらゆる手段を使い探ってきてほしい」

 俺がそう指示すると、二人は獰猛な笑みを浮かべた。

「へっ、面白え。大物の尻尾を掴んでくるぜ、大将」

 ハンスの言葉にゲオルグも頷く。彼らは、まるで、これから狩りにでも出かけるかのように楽しそうに王都の雑踏へと消えていった。


 最後に俺はトムの肩に手を置いた。

「トム、一番地味だが一番重要な仕事を君に頼みたい。この部屋と俺たちの未来が詰まったこの荷物を頼んだぞ」

「は、はい! この命に代えてもお守りします!」

 トムはその大きな目を決意に燃え上がらせて応えた。


 そして、俺とセシリアは、白帆商会へ夜会の打ち合わせをするために向かった。

 活気に満ちた商人街を歩いていると、ふと路地裏から小さな怒声と子供の泣き声が聞こえてきた。


 こうして俺とセシリアは、白帆商会へ夜会の打ち合わせをするために向かった。

 活気に満ちた商人街の石畳を二人で歩く。飛び交う呼び込みの声や、香辛料のエキゾチックな香り。その喧騒の中で、ふと俺の耳は、路地裏から聞こえる不協和音を捉えた。

 小さな怒声と、子供のすすり泣く声だった。


「こんのクソガキが! また盗みやがったな!」

 パン屋の主人らしき大男が、地面に倒れた小さな少女の髪を掴み殴りつけようとしている。少女は痩せこけ、その手にはかじりかけのパンが固く握りしめられていた。


 セシリアが騎士としての正義感から止めに入ろうとするのを、俺はそっと手で制した。そして少女の髪を掴む大男の前に、静かに割って入る。


「……なんだ、てめえ」

 男が邪魔者を睨みつけるその目に、俺は懐から取り出した銀貨を一枚、彼の目の前に差し出した。


「そのパンの代金と迷惑料だ。それでその子を見逃してやってはもらえないだろうか」

 俺の穏やかな、しかし有無を言わさぬ口調。男の視線が俺と、俺の後ろに控える完全武装のセシリアとの間を往復する。彼はセシリアの騎士の紋章を見つけたのだろう。納得がいかないという顔をしながらも舌打ちを一つすると言った。

「……ちっ。あんたが金を払うってんなら、まあいい」

 男は俺の手から銀貨をひったくると、店の中に消えていった。


 残された少女は俺を怯えと警戒に満ちた目で睨みつけている。俺は何も言わず商人街でさっき買ったばかりの、まだ温かい肉入りのパンを彼女の前に置いた。

「……腹が減っているんだろう。食べるといい」

 少女はそれでも動かない。俺はそれ以上何も言わずその場を立ち去った。

(……今はこれでいい。だがいつか、あの子のような子供たちが飢えることのない村を必ず作ってやる)

 俺は心に新たな決意を刻み込んだ。


 やがて、商人街の活気ある建物が並ぶ中で、ひときわ大きく白く輝く建物が姿を現した。白帆商会の本社だ。俺たちは壮麗な本社に足を踏み入れる。


 当主執務室に通されると若き当主レオン・バルトは昨日と同じポーカーフェイスで俺たちを迎えた。

「お待ちしておりました、シンイチ殿」


 俺が、口を開くよりも先にレオンが静かに、しかし、全てを見透かしたような目で言った。

「早速ですが、三日後に迫った夜会の打ち合わせを始めましょうか」


 その一言に俺は、内心驚いていた。

(……俺たちは夜会の件についてレオンから直接話があったわけではない。知らないはずなのに、この件で来ることが分かっていた。つまり王女殿下に話をすると、こちら迄情報が届く事を読んでいたという事か。やはり、侮れない商人だ。)


 俺は、動揺を一切顔に出さず不敵な笑みで返した。

「……話が早くて助かります。バルト殿。では、早速、本題に入らせていただきましょう」

 その言葉とは裏腹に、俺の背中には冷たい汗が一筋流れていた。情報戦では、完全に先手を取られた形だ。


 俺がそういうと、レオンは間髪入れずに続けた。

「場所はここから馬車で一時間ほどの距離にある我が白帆商会が所有する迎賓館。招待客は王都の主要な貴族そして有力な商人たち、総勢百名ほど。本来は南の国から入荷した新しい香辛料を披露する予定でした」

 彼はそこで一度言葉を切り、その鋭い瞳で俺を射抜いた。

「ですが昨日のお話と、王女殿下からの強いご推薦もありましたので、急遽その夜会の主役をあなたの『森の雫』に変更することにいたしました。……シンイチ殿、あなたはご理解されているかな? もしあなたのその酒が彼らの舌を満足させることができなければこの夜会はただの失敗に終わる。そしてそれはこの私の、白帆商会の信用に泥を塗るということにもなるのです。その覚悟はおありですかな?」


 彼の言葉は丁寧だが、その内容は脅しそのものだった。これは単なるお披露目会ではない。俺と、俺の作る酒の価値を、王都の権力者たちの前で証明しろという、彼からの挑戦状だ。

 だが俺は動じなかった。

「面白い。そのスリリングな舞台、謹んでお受けしましょう。ですがそのためには顧客の事前分析が不可欠。パーティーの『招待客リスト』を拝見させていただけますかな?」


 俺のその要求にレオンの不敵な笑みが、一瞬で消え冷たい商人の顔に戻った。

「……シンイチ殿。それはできない相談だ。そのリストは我が白帆商会の最も重要な顧客情報、つまり我々の財産そのものだ。それをやすやすとお渡しすることはできかねる」


「ですがバルト殿」俺は食い下がった。「効果的なプレゼンテーションのためには聴衆の分析が不可欠です。それに契約では王都での独占販売権をお渡しする。つまり私が直接彼らに売ることはない。このプレゼンの成功は回り回ってあなたの利益に繋がるはずですが?」


「確かにあなたの言う通りだ」レオンは腕を組み冷徹に続けた。「だがリスクとリターンは常に等価でなければならない。顧客情報の流出というリスクを私が負うのであれば、あなたにも相応のリスクを負っていただく」

 彼はその鋭い目で俺を射抜いた。

「……よろしい。そのリストをお渡ししましょう。その代わりあなたにお支払いするロイヤリティを、三割から二割にさせていただきたい」


 俺は内心舌打ちをした。彼は俺がこのパーティーを成功させなければならないという、こちらの足元を見て最も痛い要求を突きつけてきたのだ。

 俺はここで一度大きくため息をついてみせた。まるで最大の譲歩を迫られているかのような演技だ。


「……分かりました、バルト殿。あなたのおっしゃることももっともだ。ではこちらも新たなカードを切りましょう」


 俺は意味深な笑みを浮かべながら。

「バルト殿。あなたはこの『森の雫』が十年物で終わりだとお思いかな? ……先日私は国王陛下とルナリア王女殿下に、これとはまた別の特別な一本を献上させていただいた。それは五十年もの長い年月を経た至高の逸品です」


 その瞬間、レオンのポーカーフェイスがわずかに崩れたのを俺は見逃さなかった。

(……食いついたな)


「本来十年を超えるヴィンテージは王家かそれに準ずる大貴族にしか卸さない秘蔵の品。ですが今回白帆商会には特別に、将来的に二十年物までのヴィンテージを卸す権利をお約束する。この『未来への価値』と引き換えにリストをいただくというのはいかがかな?」


 レオン(……二十年物だと? それに五十年物……!? まさか王女殿下と話をした時にあった、あのルビー色の酒は本当に……。あれほどの代物であれば小瓶一つで白金貨数枚の値が付いてもおかしくない。だがこの男それをちらつかせながら二十年までしか卸さないだと……? 面白い。私相手に、まだ出し惜しみをするのか……)


 レオンはその脳内で瞬時にそろばんを弾き終えると、再び不敵な笑みを浮かべた。

「素晴らしいご提案だ、シンイチ殿。ですがそれではまだ足りない」

「……というと?」

「ロイヤリティは三割のままでかまいません。その代わり我が商会には三十年物までのヴィンテージを卸していただきたい。それであればリストの提供も吝かではありません」


 それは彼の最大限の譲歩でありそして最大限の要求だった。

 俺はしばらく悩むフリをしてそしてやがて大きく息を吐いた。

「……分かりました、バルト殿。あなたの勝ちです。その条件を飲みましょう」


 こうして俺たちはリストという「情報」と未来の「利益」を天秤にかけた、高度な心理戦の末、互いに利のある契約を結ぶことに成功したのだった。

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