樹戒
@masamune1992
第1話 男たらし
1 父の死
2020年の夏、政宗の父は死んだ。
素行の悪かった父の最期は繁華街のラブホテルだったという。政宗はそれ以外は何も知らないし、知ろうと思わなかった。
「やっと死んだか」
残された政宗の家族は胸を深く撫で下ろした。
その時、インターフォンの音が部屋中を駆け巡った。政宗が足早に玄関を覗きに行くと、ドアの曇りガラスの向こうには3人の壮漢がチラリと家を覗いているのがわかった。警察である。
「はーい」
今や未亡人となった母であるが、来客の時だけは決まって甲高い声を上げる。にしても7日前に人を亡くした人には到底思えない声色だった。
「井口さんのご家族の皆様には非常に申し上げ難いことなのですが、お父様は援助交際の相手に殺されたかと思われます。先ほど、犯人がうちの署に自首しに参りまして......」
「そうですか」
母は、「だからなんだ」と言わんばかりの態度をあらわにした。
警察の相手を終えた母はリビングに戻ると、椅子に腰掛け、
「バチがあったんだよ」
とだけ言って、埃ひとつないフローリングの掃除をし始めた。母は怒っていた。父は最期の最期まで女にうつつを抜かして、悪びれる仕草の一つも見せなかったからである。
「ああいう大人になってはダメよ」
これは母からの言いつけである。
2 或る女
父が死んでから5年経った。政宗はボーダーフリーに一本のちぢれ毛が生えた程度の大学に進学していた。大学3年生になった彼の周りは現実を見始めては、やれ就活やら卒業論文やらと騒々しい。去年まで青臭かった餓鬼も就活の熱にうなされたのか、どことなく女っ気を振り払っているように見える。
もちろん、政宗に彼女などいない。手塩にかけて育てられた政宗は服も自分では買わないし、まして整髪剤など使いもしない。
「このままでいいのかな」
小声でつぶやいた彼の手本にはスマホがあった。スマホには彼と同い年くらいの女性の写真がベルトコンベアのように映し出されては消える。
「優しい人、優しい人......あ、この人いいかも」
六畳ワンルームのカビ臭い部屋の中でゴミを漁るような目つきをした彼が指を止めた。
「地方出身かぁ。え!?32歳!こりゃあえらいもん見つけたな」
ただ彼は満更でもなさそうだった。政宗は元来歳上が好きだからである。上京して都会の荒波に揉まれたからか、プロフィールの顔写真からは姉さん女房のような芯の太さが備わっているように見えた。
包容力のある女性を求めていた彼にとってすれば僅かに相性が悪いようにも思えたが、女性との交際経験がない者が生意気にもより好む権利はない。気づいた時にはダイレクトメッセージを送っていた。
彼女の返信は思いのほか早かった。
「いいねありがとうございます。早速ですけど、デートに行きませんか? 見たい映画があるんです」
やはり歳上の良さはこう言ったところにあると彼は思った。彼は誘い文句すら言わなかったのに、彼女の方から熱烈な文面が送られてきた。
しばらくすると政宗は約束通りデートに向かった。彼女は平日しか時間を持て余していないと言うので、政宗は「仕方がなく」大学を休んでデートに勇んで出かけた。
彼女は池袋駅前の広場で待っていた。政宗がそれに近づくと彼女は目線を滑らかに動かして、片手を顔の高さまで上げて振った。
「マッチングアプリの......」
「ええ」
「そう言えば名前をまだ伺ってなかったですが」
「奈那子です」
「ななこさんですか。よろしくお願いします」
「長い付き合いになりそうですね」
「気が早いですよ」
政宗ははにかんだ。彼女の魅力は想像以上で、その肌の白さといい、豊満な胸元も去ることながら、顔立ちも俗に言う「美貌」とは一線を画した程に美しかった。
「暑いので、早く中に入りませんか?」
「食事ですか?」
「ふふ、映画に決まってるじゃんないですか」
政宗はしばらく閉口して、
「じゃあ映画見終わったら何をするんですか?」
「それはその時考えましょうよ」
「は、はい」
半ば強引に映画館に連行された政宗は、映画を見てる途中も彼女の気の強さに押し殺されそうでならなかった。彼女は先の隣で縮こまってる政宗を見て申し訳なく思ったのか、映画が終わると彼の懐に金をねじ込んであげた。
「次は渋谷に行きましょうよ」
「あそこらへんは何もないですよ」
政宗は無愛想に言った。
「政宗くんってシティボーイなのね」
「埼玉出身です」
「埼玉だって都会じゃない」
「埼玉なんて不毛の土地ですよ。空っ風で乾いた畑の上に無理やりショッピングモールとか建てちゃうんです。あれのどこが都会だって言うんですか」
「それをいったら渋谷だってもともとは田んぼだったから一緒よ。そこに何があるかじゃなくて、そこで何をするかの問題じゃないかしら」
「言ってることがよくわかりません」
「そうね......外国人からしたら日本の里山なんてただの山だけど、私たちからすれば恵をもたらす偉大な存在よ」
「神秘的なんですね」
政宗は面倒臭そうに言った。徐々に彼女の嫌なところが露見しそうで嫌だった。余計なまでに気品高く美しいだけあって、そういった自然の神秘だとかを熱弁されると胡散臭くて仕方がないのである。
(いったい彼女の地元はどこなんだろう)
彼はかすかに興味を持った。
山手線は何駅か過ぎたあたりで漸く渋谷についた。
JRの改札を潜ると例のようにスクランブル交差点が待ち構えていた。彼女は田舎の出身だけあって、顎をはずすような勢いで渋谷の摩天楼を見上げて驚嘆していた。
「初めて見るわけじゃないですよね」
「私32歳よ。14年前かに上京して真っ先に行った場所が渋谷なの」
彼女は道玄坂に向かう途中で高く聳える煙突のような格好をしたビルを指差して感慨深そうに言った。
「ギャルの聖地だからね。今じゃただの古城だけどね」
「神秘的ですね」
政宗は適当に言ったつもりだった。
「ほんと! 異空間をつなぐシンボルみたいでいいよね」
「は、はぁ」
「ここ界に道玄坂に足を踏み入れると、過去に戻れるような気がしてね」
「言われてみればそうかもしれません」
彼女は道玄坂に足を踏み入れると、上にあった目線を真正面に戻して歩き始めた。あたかも、上を向いてはいけないと思っているようだった。
「だいぶ奥に行きましたね」
政宗は人通りの少なさと、閉塞感のある道に慄いた。彼女はずんずんと狭い道の方に歩いていく。
「どかにいくんですか?」
「秘密」
「え、怖いですよ。だってホテルしかないですよ」
「......」
しばらく歩くと赤い鳥居が目に入った。
「なんだ神社巡りですか。それならそうと早く言ってくださいよ」
「......」
彼女は無言で鳥居の前に立つと、慇懃にも2拝2拍手1拝してから境内に入った。政宗はそれを傍で見て、祈る彼女の美しさに目を奪われながらも、見様見真似でついていった。
「ここに来るとお母さんを感じれるの」
今まで重い形相で口を噤んでいた彼女はようやっと我に帰ったように口を動かし始めた。
「聞きづらいんですが、お母さんはご存命なんですか?」
「わからないんです。ただ、私の父は生きているって信じてるんです」
「行方不明ってやつですか」
「そんなんじゃなくて」
彼女の頬には一筋の涙が伝っていくのが見えた。政宗は自分が泣かせたものだと思って謝った。
「いろんなことがあったんでしょうね」
「はい。母は難産でしたから、私が生まれてすぐに死んだものだ思われたらしくて。けど、私はこうして元気でやれているので、お母さんの分まで頑張ろうって決意できたんです」
「そうですか」
政宗は泣いている女の肩をさすってやった。すると彼女はだんだんと落ち着き払って、政宗の目をじっと見つめて言った。
「抱いてくれますか」
政宗より小柄な彼女は覗き込むような姿勢で顔を近づけてきた。
「いや、その......」
政宗の目には、夏の湿気で濡れた艶やかな唇と、吸い込まれそうなほどに豊満な胸元が映っていた。
政宗は誘惑に負けた。神社の隣にあるラブホテルに無言のまま彼女連れ込み行為に至った。彼は不慣れながらベッドに彼女を押し倒し、彼女の襟元にすかさず手を入れた。乱暴に服を取っ払うと、白い淡雪のような乳房が顕になった。政宗は赤ん坊のようにして、その胸の先をしゃぶりついた。その後も彼女はおぼつかない彼の動きに身体を預けながら、手取り足取り行為の作法を教えてあけだ。
情事の終わりに、無抵抗だった彼女の体を思い出して、冷めやまぬ興奮と、ただならぬ後悔の念に押しつぶされそうになった。
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