第23話「恵奈の寂しさ」

 桜祭りが終わって数日後の午後、みずきは恵奈えなの様子が気になっていた。


 いつもなら賑やかに話しかけてくる恵奈が、この頃は妙に静かだった。笑顔は変わらないけれど、その奥に何か影があるような気がする。


 放課後、三人で一緒に帰る道で、恵奈がふと立ち止まった。


「あのね」


 恵奈が振り返った。その表情には、いつもの明るさとは違う、真剣な色があった。


「わたし、最近思うことがあるの」


「どんなことですの?」


 小瑠璃が優しく聞いた。


「みずきちゃんと小瑠璃ちゃんは、わたしの知らない何かを共有してるでしょう?」


 恵奈の言葉に、みずきの心臓がどきりと跳ねた。


「そんなこと…」


 みずきが言いかけたが、恵奈が首を振った。


「嘘はだめよ」


 恵奈の声は穏やかだったが、どこか寂しそうだった。


「わたし、気づいてるの。二人だけの秘密があるでしょう?」


 みずきと小瑠璃こるりは顔を見合わせた。何と答えていいかわからない。


「小瑠璃ちゃんの針が折れた時も、二人だけで何かしてたでしょう?」


 恵奈が続けた。


「それに、この前の桜祭りの準備の時も、時々二人だけで話してたわよね」


 恵奈の観察力の鋭さに、みずきは驚いた。確かに、万年筆のことで小瑠璃と話をすることが多くなっていた。


「恵奈ちゃん…」


 みずきが口を開きかけたが、言葉が続かない。


「大丈夫よ」


 恵奈が微笑んだ。でも、その笑顔がとても痛々しく見えた。


「わたし、怒ってるわけじゃないの。ただ…」


 恵奈が空を見上げた。夕日が雲の間から差し込んで、桜並木を薄いオレンジ色に染めている。


「ただ、寂しいの」


 その言葉が、みずきの胸に深く刺さった。


「わたしたち、ずっと三人で仲良しだったでしょう?」


 恵奈が振り返った。


「それなのに、最近は二人だけの世界があって、わたしだけが取り残されてるような気がして」


 みずきの目に涙が浮かんだ。恵奈の気持ちがよくわかった。もし自分が逆の立場だったら、きっと同じように寂しい思いをしただろう。


「恵奈さん」


 小瑠璃が歩み寄った。


「わたくしたち、決してあなたを仲間外れにしたかったわけではありませんの」


「わかってるの」


 恵奈が頷いた。


「でも、心では理解できても、気持ちはどうしようもないのよ」


 三人はしばらく黙っていた。


 桜の花はもうほとんど散ってしまって、代わりに若い緑の葉が芽吹き始めている。季節が変わっていくように、三人の関係も変化しているのかもしれない。


「ねえ」


 恵奈が小さな声で言った。


「その秘密って、わたしには絶対に話せないことなの?」


 みずきは万年筆のことを考えた。恵奈に話したら、きっと信じてくれるだろう。恵奈は優しくて理解力があるから。


 でも、万年筆の秘密は重いものだった。知ってしまったら、恵奈も同じように責任を背負うことになる。それは恵奈のためになるのだろうか。


「恵奈ちゃん」


 みずきが恵奈の手を取った。


「いつか、必ずお話しします。でも、今はまだ…」


「そう」


 恵奈が寂しそうに微笑んだ。


「わかったわ」


 でも、その「わかった」という言葉に、諦めのような響きがあった。


 家に帰る道すがら、みずきは重い気持ちで歩いていた。


 大切な友達を傷つけてしまっている。それがとても辛かった。


 でも、万年筆の秘密を軽々しく話すわけにもいかない。


 家に着いて、自分の部屋で万年筆を取り出した。


「どうしたらいいの?」


 万年筆に向かって小さく聞いた。


 でも、万年筆は何も答えてくれない。ただ静かに、青い光を宿しているだけだった。


 みずきは窓の外を見た。夕闇が深くなって、家々に明かりが灯り始めている。


 どこかの家では、きっと家族が楽しく夕食を囲んでいるのだろう。友達同士で笑い合っているのだろう。


 みずきには、秘密というものがこんなに重いものだとは思わなかった。


 それは確かに小瑠璃との絆を深めてくれたけれど、同時に恵奈との間に壁を作ってしまった。


 友情というものは、本当に難しいものだった。


 みずきは万年筆を大切にしまって、明日のことを考えた。


 恵奈の寂しい気持ちを、少しでも和らげることができるだろうか。


 万年筆の力に頼らずに。

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