第5話「不思議な万年筆」

 みずきは恐る恐る手を伸ばした。


 万年筆に触れた瞬間、不思議な感覚が走った。まるで万年筆が温かく、生きているような感じがする。


「あっ…」


 みずきは小さく声を上げた。


「どうじゃ、お嬢ちゃん」


 目黒さんが優しく微笑んでいる。


「何だか…温かいです」


「そうじゃろう、そうじゃろう。この万年筆は、持ち主を選ぶんじゃよ」


 みずきは万年筆を手の平に乗せた。重さも手に馴染んで、まるで自分の手の一部のようだった。


「とても美しいです。こんな万年筆、見たことがありません」


「これは明治の初めに作られた品じゃ。職人が心を込めて作った、世界に一つだけの万年筆じゃよ」


 みずきは万年筆をそっと光にかざした。深い青色の軸が、まるで海のように美しく輝いている。金色の装飾も繊細せんさいで、見れば見るほど引き込まれる。


「お嬢ちゃん、この万年筆を大切にしてくれるかな」


 目黒さんの声が、少し真剣になった。


「え?」


「この万年筆は、お嬢ちゃんのような心優しい人を待っていたんじゃ」


 みずきは戸惑った。


「でも、わたしなんかが…こんな立派な物を…」


遠慮えんりょすることはない。お代は…そうじゃな、五十銭でどうじゃろう」


 五十銭。明治時代の万年筆にしては、とても安い値段だった。みずきでも、お小遣いで買える金額だ。


「本当に、そんなお値段で…」


「この万年筆は、値段では測れないものじゃ。お嬢ちゃんが大切にしてくれるなら、それで十分じゃよ」


 目黒さんの目は真剣だった。みずきは万年筆を見つめながら考えた。


 確かに、この万年筆は特別な物のような気がする。手に持っているだけで、何か大切なことを任されたような気持ちになる。


「分かりました。大切にします」


 みずきは決心した。


「そうか、そうか。良い子じゃ」


 目黒さんは満足そうに頷いた。


「一つだけ約束してくれるかな」


「はい」


「この万年筆は、人を幸せにするために使ってくれ。決して悪いことには使わないでくれ」


 みずきは深く頷いた。


「約束します」


「それから、もう一つ」


 目黒さんは店の奥から小瓶を持ってきた。


「これは特別なインクじゃ。この万年筆には、このインクを使うんじゃよ」


 小瓶の中には、深い青色のインクが入っている。万年筆の軸と同じような、美しい青色だった。


「普通のインクでは、この万年筆の本当の力は出ないからな」


 本当の力?


 みずきは首をかしげたが、目黒さんはそれ以上は説明しなかった。


「お嬢ちゃん、文字を書くのが今まで以上に楽しくなるじゃろう」


 目黒さんは万年筆と小瓶を丁寧に包んでくれた。


「ありがとうございます」


 みずきはお代を払い、包みを大切に抱えた。


「また遊びにおいで。今度は他の面白い物も見せてあげよう」


「はい、また来ます」


 みずきは店を出た。


 夕日が町を染めている。家に帰る道すがら、みずきは包みを抱きしめた。


 これから、この万年筆でどんな文字を書こうか。そんなことを考えながら歩いていると、心が弾んだ。


 空の向こうから、また鳥の鳴き声が聞こえてくる。


 ツツピーツツピー。


 今日という日が、とても特別な日だったような気がした。

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