ファインダー越しの青春
須藤
第一話:突然の出会い、スマホの限界、そして運命の響き
私、
――――――
出会いはほんの偶然。雷に撃たれた。
朝10時。開店と同時に、駅ビルは活気に満ち始める。私が働くアパレルショップ「TRENDY STYLE」も例外じゃない。今日も一日、お客様に最新のファッションを提案し、笑顔になってもらうのが私の仕事だ。ショップのディスプレイは週ごとに変わり、インスタ映えする新作アイテムがいっぱい。休憩時間には、店内の可愛いフォトスポットで自撮りするのが日課。インスタやXのフォロワーの反応が、私のモチベーションに繋がっている。
仕事が終われば、仲の良い友人たちとカフェでおしゃべりしたり、最新のスイーツを堪能したり。もちろん、その瞬間もスマホのカメラロールにしっかりと記録する。私の世界はいつもキラキラしていて、流行の最先端を追いかけることが、私の生きがいだった。スポーツ観戦なんて、正直、縁遠い世界だった。体を動かすのは苦手だし、ルールもよく分からない。
そんなある日、いつものようにスマホを片手にカフェで友人と近況報告をしていると、突然、熱い視線を投げかけながら友人が身を乗り出した。
「ねぇ聖、お願いだから今度だけ! プロバスケの試合、一緒に行ってくれない?」
「えー、また言ってるの? バスケとか、全然興味ないって言ってるじゃん」
「ホントお願い! 今回はマジでスペシャルなんだって! うちの会社がスポンサーしてるチームの試合で、チケットもタダで手に入ったし、すごいイケメンのルーキーが入るらしいんだよ! 絶対、聖も気に入るって!」
友人の熱意に根負けした私は、渋々ながらも頷いた。「イケメン」という言葉に、ほんの少しだけ心が動いたのも事実だ。
試合当日。会場に足を踏み入れると、想像以上の熱気に圧倒された。大音響で鳴り響く重低音の効いた音楽。天井から下る巨大なビジョン。床を叩くボールの音、選手たちの気合の入った声、そして何よりも、観客席を埋め尽くす人々の熱狂。普段いるようなおしゃれなカフェとは全く違う、むき出しのエネルギーが渦巻いていた。独特の、汗と高揚感が混じった匂いが、私の鼻腔をくすぐる。
試合が始まると、ルールもよく分からない私でも、選手たちの激しいぶつかり合いや、スピーディーな展開に、少しずつ引き込まれていった。特に、友人が「イケメンルーキー」と騒いでいた背番号7番の選手――ホームチームのルーキー、彼の動きは、別格だった。
しなやかなドリブルで相手ディフェンスを翻弄し、まるでコートの上を滑るように駆け抜ける。寸分の狂いもない正確なパスは、味方の手元に吸い込まれていくようだった。そして、彼の真骨頂は、空中で繰り出す華麗なシュート。ディフェンスを置き去りにして、重力に逆らうかのように跳躍し、ボールをリングへと突き刺す。彼の周りだけ、時間がゆっくり流れているみたいに見えた。その一瞬一瞬が、信じられないほど絵になる。私は、夢中でスマホを構えた。
彼がボールを持つたびに、観客席からは黄色い歓声が上がる。私も、ミーハー心半分でシャッターを切り続けた。でも、後で写真を見返してみると、写っていたのはブレブレの残像ばかり。コートを走り回る彼のスピードに、私のスマホカメラは全くついていけていなかった。
隣の友人は、本格的なカメラを構えてシャッターを切っている。シャッター音が「カシャ、カシャ」と小気味良く響く。試合の合間に見せてもらうと、そこには、今まさに目の前で繰り広げられていたはずの彼の姿が、信じられないほど鮮明に、そして力強く写っていた。ボールの軌道、ユニフォームの皺、そして何よりも、彼の真剣な表情まで、まるで時間が止まったかのように捉えられている。
「どう? やっぱり一眼レフってすごいでしょ?」
友人は得意げに笑った。私は、自分のスマホに写ったぼやけた影と、友人のカメラに写った輝く一瞬を見比べて、愕然とした。
「同じ瞬間にシャッターを切ったはずなのに、なんでこんなに違うの……」
私のスマホのブレブレ写真は、まるで夢の中の出来事のように曖昧で、友人の写真こそが現実を切り取っているようだった。
その写真に写る彼のユニフォームをよく見ると、背中にはっきりと名前が刻まれていた。
KANZAKI
「ねえ、この選手って、神崎選手っていうの……?」
私は友人に尋ねた。
「そうだよ! 期待のルーキー神崎麗! イケメンでしょ!」
と興奮気味に頷いた。
その瞬間、まるで小さな電流が走ったような感覚がした。
「神崎……麗……? 私と、同じ、名字……!」
ただの偶然だって、頭では理解している。日本にはたくさんの「神崎」さんがいることも知っている。それでも、私の胸はドキドキと高鳴り、まるで運命のいたずらみたいに感じてしまった。これは、単なる偶然じゃないのかもしれない――そんな予感が、私の胸にじんわりと広がっていく。
試合は白熱した展開で進み、最後の最後まで麗くんとチームメイトが食らいつくも、残念ながらチームは惜敗してしまった。ブザーが鳴り響くと、会場にはため息が広がり、観客の間に落胆の空気が漂った。
けれど、私の心の中には、不思議な高揚感が残っていた。それは、試合の勝敗に対するものではなかった。ただただ、あのコートで見た麗くんの、まるで光を放つようなプレーの数々が、私の脳裏に焼き付いていたからだ。
帰り道、私は友人に何度も聞いた。
「どうしてあんなに綺麗に撮れるの? 私のスマホじゃ全然ダメだったのに……」
友人は、カメラの基本的な機能や、レンズの種類について、簡単に教えてくれたけれど、友人自身がカメラにとても詳しいというわけではなかったので、正直、よく分からなかった。
家に帰ってからも、麗くんのことが頭から離れない。彼のプレー集動画を何度もリピートして、インスタやXで彼の情報を漁った。そして、友人のカメラで撮られた、あの鮮明な写真の数々が、どうしても忘れられなかった。
「私も、あんな風に麗くんの最高の瞬間を、この目に焼き付けるみたいに、綺麗に撮りたい……!」
さらに、ネットで彼の名前を検索したり、コンビニでバスケ関連の専門誌を立ち読みしたりするうちに、彼が今季、特に注目されている「期待のルーキー」であることを知った。彼のプレーがいかに規格外で、将来を嘱望されているか、様々な記事や解説に書かれていた。その事実が、私の「撮りたい」という情熱に、さらに拍車をかけた。
スマホで麗くんの過去の試合の写真を探せば探すほど、プロのカメラマンが捉えた、息をのむほど美しい彼の写真が目に飛び込んでくる。そのどれもが、私のスマホでは絶対に撮れないものばかりだ。
「……私も、こんな風に麗くんを撮りたい。インスタで『いいね』がたくさんもらえるような『映え』写真じゃなくて、もっと、彼の魂が写るような、そんな一枚を…そのためには、やっぱり、あのゴツいカメラが必要なんだ……!」
私の心の中で、今まで感じたことのない強い衝動が渦巻き始めた。それは、単なるミーハー心からくるものではなく、もっと深く、もっと真剣な想いだった。麗くんの輝きを、何よりも美しい形で捉えたい。そのために、私は、これまで全く興味のなかったカメラの世界に、足を踏み入れることを決意した。
初めてのお買い物。カメラ女子デビュー。
次の日、私は生まれて初めて、真剣な顔でカメラ販売店の一眼レフカメラコーナーに立ってた。ズラリと並んだ黒いボディと、いろんな形のレンズ。
「ミラーレス……? フルサイズ……? APS-C……? え、これ、この前の尾よりゴツくない? 私が持ったら浮くかな……」
スマホは私の手のひらにすっぽり収まる。なのに、目の前のカメラときたら、ずっしりと重くて、レンズが前に突き出てる。これ、本当に私が使いこなせるの? 普段、流行のアイテムを軽やかに着こなす私が、こんなゴツい機械を持ってたら、なんかバランス悪い気がする……。一瞬、後ずさりしそうになったけど、麗くんのブレブレ写真が脳裏をよぎって、気持ちを奮い立たせた。
店員さんが笑顔で近づいてくる。私は意を決して、質問攻めにした。
「あの、これって、スマホみたいにアプリで可愛く加工できるんですか?」
「F値が明るいと背景がボケて可愛いってことですか?」
「ズームしないレンズって、いちいち動かなきゃいけないの、面倒くさくないですか?」
って、素朴だけど店員さん泣かせな質問をバンバン繰り出しちゃった。
店員さんは困惑しながらも、私の熱意を感じ取ってくれたのか、一つ一つ丁寧に説明してくれた。
「でも、麗くんって、すごく速いんですよね。私のスマホじゃ全然ダメだったし……」
「体育館でもブレずに撮りたいし、あの綺麗な汗とか、躍動感とか、ちゃんと写したい…」
私の思考は無限ループに陥ってたけど、そこには以前の「映え」だけじゃない、純粋な「撮りたい」っていう情熱が宿ってたんだ。
最終的に店員さんに伝えたのは、「推しが、ブレずに、キラッキラに写るカメラとレンズ、あと、普段も可愛く使えるレンズが欲しいです!」っていう、漠然としてるけど強い要望だった。
店員さんは、私の瞳の奥にある「推しへの愛」を感じ取ってくれたのか、根気強く説明を続けてくれた。私は、納得がいくまで質問を繰り返し、最終的に一つのミラーレス一眼カメラと、一本の単焦点レンズを手にレジへ向かった。バスケ撮影用の望遠レンズは高すぎると判断して、まずはF値が明るくて、背景をふんわりぼかせるコンパクトな単焦点レンズから始めることにしたんだ。
「うーん、これなら麗くんも、私も、可愛く撮れるかも……! でも、まさか私がこんなゴツいもの買うなんて……」
予算と、カメラと、そして推しへの愛の狭間で、私の新たな、そしてキラキラした戦いが始まっていた。
家に帰り、真新しいカメラを箱から出して、私は小さな声で話しかけた。 「今日から、あなたを『ニコちゃん』と呼ぶね。これからよろしくね、ニコちゃん!」
私の「ニコちゃん」との、私の新しい物語が、まさに始まろうとしていた。
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