第8話②

 ピンポン、ピンポン。


 マレはマンションの一室の前に立ってインターフォンを押した。


 「はい」


 「地球管理人の女神マレです…」


 ピッ。


 切られた。


 失礼すぎる!!ドアを開けなくても入れるんだよ!女神は!


 「女神相手に何しとんねん!!」


 文句を言いながら玄関ドアを貫通し、そのまま部屋に入った。


 「こんばんは!!」


 わざと大きな声で挨拶する。


 「勝手に入ってこないでくれ」


 「切られたから自分で入るしかないでしょう?」


 目の前の男性は不機嫌そうに眉間にしわを寄せて濡れた髪をタオルで拭いている。


 「もう…小さい頃はもっと可愛かったのに…」


 「それは悪かったな」


 ムッとした顔は小さい頃とそっくりだ。


 ライアン・ゼン・スパイカ、オリヴィアの兄。


 「で、何しに来た?」


 「…事情が変わったから、明日出発です。会いに行く?送るよ」


 ライアンは目を見開いて固まった。


 事情はすでに説明した。ライアンも彼なりに妹を鍛えてきた。シスコンが一人暮らしを許したのもこのためだった。


 余計な心配をさせたくないから、私たちはギリギリまで隠すことにしたが、今は当の本人に説明できなかったことが仇になった。


 マレも無言で長い息を吐き出した。


 沈黙の後にライアンはソファに腰を掛けた。顔を伏せたまま、口を開いた。


 「いい…会わなくていい」


 彼ならそう言うと思った。笑顔で送り出すなんてシスコンの彼にはできそうにない。


 「そう?…メールくらい送ってあげたらどうだ?」


 あの子のためだ。


 「約束は…守ってくれるよな?」


 語尾がかすれ、声が微かに震えている。タオルを掴んでいる指は白くなるくらい硬く握っている。


 「ええ、もちろん。女神に二言なしだ」


 「…ありがとうございます」


 泣きそうな声で弱々しくお礼を言うライアンを見てマレは心が痛む。


 グレインに頼まれて、この兄妹が生まれた時からずっと見守ってきた。こんな風に弱くなったライアンは見たことなかった。


 創造神が出した条件で事態がもっとややこしくなったことを彼にはとても言えない。


 余計なことを口を滑らせないように、このままライアンの家を後にした。


 グレインは急ピッチでチュートリアルを仕上げた。完璧ではないけれど、やれることはやった。


 一番の不安は、創造神がとても協力的だったこと。


 チュートリアルを進行するオリヴィアを見守りながらグレインが何度も「あれ?」と、首を傾げた。


 確証はないけれど、創造神がこっそりとチュートリアルをいじった可能性がある。


 オリヴィアは疲労で爆睡している。幼さの残る顔を見てマレの表情が緩む。大きくなったと思ったけど、やっぱり子供だ。


 東の空がうっすら明るくなった。まもなく夜は明ける。


 二人のために、他に何かできることはないのか?


 一歳のオリヴィアを抱っこして必死にマレを睨みつけるライアンを思い出す。その時のライアンはまだ八歳の子供だった。自分は女神だと正直に話したら、かえって不審者判定されたという黒歴史が作られた日でもある。


 今は無理だけど、約束は必ず守る。


 ゆっくり登っていく太陽の光に目を細める。


 「やるか…」


 創造神は何をしたか、何を企んでいるのかは分からない。でも、思い通りにさせない方法はある。


 キョロキョロと見回るマレは「あっ!」と声を上げて狙い定めた獲物を見つめて一直線に飛んで行った。


 「ナギサちゃん!」


 「えっ?!」


 部屋着のままでペットボトルの入った袋をゴミ捨て場に置いた彼女は目を大きく開き、咄嗟に二、三歩下がった。


 「あ、ごめん、ごめん!びっくりしたね!ちょっと相談したいことがある。ここに入ろっか」


 オリヴィアの幼馴染、一番の親友、相澤凪紗。


 まず説明したくて、無の空間に入ってもらった。強制で。


 「どこだここ!真っ白じゃん!誘拐?監禁?尋問?」


 「違う、違う。だから、相談だよ」


 「あなたは誰だよ?」


 「私は地球の管理人、女神のマレです…」


 「ソウナンダ、大変デスネ。じゃ、私は帰ります!出口はどこですか?」


 「待て!本当に待て!もう…リアクションはゼンと似てるな…」


 「……」


 ゼンの名前を出したら、凪紗は急に静かになってこっちに振り向いた。


 「あの子…ミワちゃんのことで君に相談したいことがある!怪しそうに見えるかもしれないけど、まず、話を聞いてほしい!」


 「……分かった。話って?」


 「これからミワちゃんには異世界に行ってもらうことになった。本人には何も言ってないけど、ゼンにはもう説明した。単刀直入に言うと、君にもついて行ってほしいの。


 期限は決めていない、帰りたい時に帰れる。帰り道は私が保証する」


 凪紗は小首を傾げて何かを考えている。


 「あの…、本当に女神?」


 「ええ、この星を担当している女神だよ」


 私の顔をじーっと見つめる凪紗は「あっ!」と、思い出したかのように口を開いた。


 「実和のおじいちゃん、おばあちゃんの店の常連さんでしょう?いつも特盛のチャーハンと醤油ラーメンセット、二人前の唐揚げと餃子を頼むお姉ちゃんだ!」


 「っ、まだそれを覚えてんのかい!」


 予想外の一言でマレは狼狽えた。自分が食堂の常連客ということがバレるとは思わなかったからだ。


 「あのよく食べるお姉ちゃんは女神様だったんだ…」


 凪紗は微妙な表情で私から目線をそらした。


 「こら!残念そうな顔はしない!美味しかったから、しようがないでしょう!…コホン、それより、ミワちゃんと一緒に行ってくれる?」


 「一緒に行かないなら、実和は一人で行くことになる?実和じゃないといけない理由とかあるのか?」


 急なことで凪紗も困惑している。


 「ミワちゃんじゃないとダメなんだ。詳しく言えないけど、一人じゃ心配だから、あの子の力になれる人を探している。それが君だ、ナギサちゃん」


 「ふーん、なら一緒に行く」

 凪紗はこれ以上追及しなかった。


 「ありがとう!ナギサちゃんとなら安心して二人を送り出せるわ。では、これを読んでください。最後の紙にサインして」


 説明書と契約書を凪紗に渡した。


 「これは?」


 「異界賢者の説明書と契約書。この星から派遣された人は異界賢者と呼ばれている。今回は異界賢者として一緒に行ってほしい」


 「い、異界賢者…なにそれ…」


 凪紗は苦笑いを浮かべてぼそっと言った。


 「名前を考えたのは私じゃないよ?私もどうかと思うけど、それなりに周りへの抑制効果があるのよ…」


 本当はもっと痛い名前が提案されたけど、お互いに妥協してこの名前に落ち着いた。


 「魔法がある世界なんだ…ステータスとスキルもある…」


 へぇ〜と言いながら説明書を読み続ける凪紗。


 「ええ、基本的にミワちゃんと補い合うように適性が付与される。だから、火、風、水、地の四属性は高くなると思う」


 火力の弱い血筋だけど、鍛えれば適性も高くなる。それに気づいて、いい鍛え方を見つければいいんだが、あまり期待できない。


 「…」


 「…聞いてる?」


 「え?ごめん!聞いていなかった!もう一回言ってください」


 説明書を読んでいた凪紗はハッとして頭を上げた。


 なんであの子の周りにはいつも真っ直ぐな子が集まるんだろう。


 「…まあ、いいか。読み終わったらサインしてね。分からないところがあればすぐ言って」


 必要最低限の知識は説明書に書いてある。一通り読んでくれたら大丈夫でしょう。


 いつの間にか太陽が真上に昇った。


 「はい、読み終わった!サインもした!」


 「ミワちゃんはまだ寝ている…もうすぐお昼」


 何もない空間にすやすや寝ているあの子の映像が映し出されている。


 「えー?!もうこんな時間!実和と映画…ってか実和は幸せそうに寝てるじゃん!」


 「ミワちゃんを起こしてちょうだい。そしてナギサちゃんもなるべく早くあの子と合流して。ミワちゃんの足元に転送魔法が現れた時に一緒に乗ってほしい。そしたら二人が同じ場所に送られるはず」


 「分かった。じゃ、私も早めに準備する」


 魔法を解除して、凪紗を家の前に送る。


 「ありがとう。あっ、あの世界に行ったら、まず冒険者登録してほしい。必ず、先に登録して!」


 凪紗は頷きながら急いで家の中に入ったのだ。

 

 帰還魔法は魔力が満タンになった時点に発動するように設定されている。睡眠によって回復される魔力は限られているけど、足りない魔力は新型の木が少しずつ補充してくれる。


 満タンまで、もう時間がない。

 

 どうか、間に合って!


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