第4話 誰かが立っていた玄関



ドアを叩く音がした。


──コン。


一度だけ。けれど、十分すぎるほどに深かった。


あなたは息を飲む。身体の奥に、重く濁った感覚が沈んでいく。


“そこに誰かいる”

それだけで、全身が凍っていく。


あなたの手はまだ、日記のページを押さえていた。

最後に記された言葉が、あなたの指先にまとわりついて離れない。


「髪の毛が雨といっしょに落ちてきた。

それは、彼女のだった気がする」

あなたは、彼女のことを思い出せない。

けれど、“彼女”という輪郭だけが、心のどこかにべったりとこびりついている。


──コン。コン。


今度は、二度。


玄関のドアの向こう。明らかに“待っている”気配。

開けるのを待っているのではない。

あなたが思い出すのを、待っている。


日記が、勝手にページをめくった。


十四日目。

あのとき、扉を開けたのは私だった。

彼女はそこに立っていた。

でも、顔が違っていた。

私が忘れようとしたから、

彼女は“形”を変えてしまった。

あなたの呼吸が浅くなる。


顔が違っていた――?


恐怖というよりも、それは喪失に似た痛みだった。

戻れない。戻したくない。けれど、本当にあった何かを殺してしまったような罪悪感。


──コン。


三度目。


玄関に、影が落ちている。


あなたは、誰がいるのか知らない。

だけど、知っている。絶対に、知っていたはずだ。


日記のページの隅に、小さく走り書きがある。


「もし開けるなら、今度こそ、最後まで見て」

あなたは、立ち上がる。

濡れた床。雨音。にじんだページ。忘れた記憶。

すべてを抱えたまま、ゆっくりと玄関に歩いていく。


そして、ノブに手をかける。


静電気のような感触。脳の奥が軋む。


──カチャ。


ドアが開いた。


けれどそこには、誰もいなかった。


……いや、いた。

下に、靴があった。

女性ものの、赤いヒール。


玄関の内側に並べてあった。

まるで、そこが“彼女の家”であるかのように。


日記が、さらに一枚だけめくれる。


「おかえり。やっと、思い出すね」

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