一章 邂逅 02
藤澤神祇官を連れて里にたどり着いた寧々は、煙が上がっているのを発見し、目を見張った。
「火事……?」
「いえ、妖魔だと思います。強い妖気を感じます」
寧々のつぶやきを否定したのは藤澤神祇官である。
「行きましょう。私も協力します」
帝都の神祇官の助力は心強い。寧々は頷くと、煙の方向に向かって駆け出した。
煙の源に居たのは巨大な野槌だった。
「あれがあなた達の探していた野槌ですか?」
「間違いないです。妖気の特徴が全く同じです」
藤澤神祇官の質問に、孝志が答えた。
野槌は昨日と同じように結界を破ろうと体当たりを繰り返しており、先着きた守人衆が様々な霊具を駆使して進行を止めようとしていた。
「寧々、お前まさか刀でやり合うつもりか?」
寧々が腰の刀を抜いたのを見て、孝志が声をかけてきた。
「弓だとまた同じ事になるかも。矢よりも刀の方が霊力を込めやすい」
寧々の刀は神祇庁の工匠が打った霊刀だ。
「寧々さんの判断は正解だと思いますよ。あれだけの妖気を放つ大物だとその矢では心許ない」
藤澤神祇官が寧々を支持した。
「藤澤様の神術でどうにかできませんか?」
「生憎あまり攻撃術は得意ではないんです。あの大きさの野槌を私の術で仕留めようと思ったら大掛かりな下準備がいります。足止めや動きを鈍らせる事でしたら自信があるんですが……」
「十分です。よろしくお願いします」
落胆しながらも寧々は藤澤神祇官に頭を下げた。
◆ ◆ ◆
藤澤神祇官が神術を起動させると、霊力の鎖が出現し、野槌を雁字搦めに縛り付けた。
それを見た寧々はがっかりした自分を恥じる。
(この人、やっぱり凄い)
霊力の量も質も格が違う。さすがは帝都の神祇官である。
周囲の守人衆には、山の中で藤澤神祇官と出会した事と作戦を軽く伝えてある。
今日は昨夜よりも余裕を持って刀に霊力を纏わせられる。寧々は精神を集中し、柄に体の中の霊力を流した。
だが――。
刀からパキリと嫌な音がして、寧々は目を見張った。
その直後、刃に
(嘘っ)
寧々は呆然と折れた刀を見つめる。
「寧々さん! これを使ってください!」
藤澤神祇官が叫んで何かを投げて寄こした。
今はまだ自失している場合ではない。寧々は折れた刀をその場に棄てると、神祇官が投げたものを空中で掴んだ。
それは、刃のない刀の柄だった。
「霊力を流せば刃になります!」
彼の言葉に従って柄に霊力を流すと、青白い光の刃が出現した。
だが、一気にかなりの霊力を持っていかれて寧々はくらりと目眩を覚える。
「それで野槌の核を斬ってください!」
切羽詰まった声に、寧々は残る霊力を体に流して地面を蹴った。
霊力は、武器だけでなく肉体を強化する事もできる。
野槌の目の前まで移動した寧々は、核のある
次の瞬間、手応えは全くなかったのに野槌の首が飛んだ。
そして、大きく目を見張った寧々の前で、野槌の体が霧散する。
「寧々さん、凄いです! 青い刃が出るなんて予想外でした!」
呆然と着地した寧々に、藤澤神祇官が駆け寄ってきた。
興奮気味の彼とは対照的に、孝志も他の守人達も驚いた表情で硬直していた。
「何なんですか? これ……」
寧々は手の中の光の刀を見つめる。
霊力を流すのをやめたら、それはただの柄になった。
「特別な霊具なんです」
答えながら藤澤神祇官は目の前に移動してきた。
寧々は柄を彼に返すと、きょろきょろと辺りを見回して折れた父の形見の刀を探す。
幸いすぐに見つかったので、寧々は折れた刀の柄側と刃先を懐から取り出した手拭いで包んだ。
「――藤澤様、ありがとうございました。内密で里を見て回りたいと仰っていましたが、このような状況になった以上里長に伝えない訳には……」
「仕方ないですね。残念ですが」
形見の霊刀を回収してから藤澤神祇官の所に戻ると、孝雄とそんな会話を交わしているのが聞こえてきた。
「寧々っ!」
二人に声を掛けようとした寧々を、厳しい声が呼び止めた。
振り返ると肩で息をつく勢津子がいた。
「お母さ……」
声をかけ終わるより先に頬を叩かれた。
「野槌がまた襲ってきたそうね。あなたが中途半端に手負いにしたから!」
頬を叩いただけでは満足できなかったのか、勢津子は寧々の髪をむんずと掴んだ。
しかし、引っ張られる前に母の手首を誰かが押さえる。
「野槌を倒した功労者にかける言葉ではないのではないでしょうか?」
藤澤神祇官だった。
「何なのあなた……」
「帝都からいらっしゃった神祇官様です!」
慌てて説明をしたのは孝雄だ。
「藤澤篤幸と申します。三等神祇官です」
藤澤神祇官は名乗りながら印章を勢津子に見せた。
「印章は本物に見えるけど……本当に神祇官? 何かおかしな術の気配がするわ。認識をずらすような……」
「さすがに里長の目は誤魔化せませんか」
勢津子の指摘に、藤澤神祇官は目を閉じた。その直後、彼の全身が揺らいで滲む。――かと思ったら、次の瞬間には全くの別人になった彼がそこに立っていた。
これまでの凡庸な顔とは真逆の端正な顔立ちの青年だった。
すっきりと通った鼻筋に切れ長の瞳、形の良い唇。
それらが理想的に配置された造形はどこか人形めいている。
生まれつき色素が薄いのか、髪も瞳も茶色がかっており透明感があった。
「じ、
勢津子の発言に寧々は目を見開いた。
今から約四十年前、御一新と呼ばれる大改革をきっかけに、この国の政治・社会・文化は大きく変わった。官制もその一つである。
かつて神祇部と呼ばれていた神祇官を管轄する機関は神祇庁へ、それと同時に現在の長官を頂点とする官僚制度が整備された。
しかし今も旧官制の名残は残っていて、神祇庁の長官を努める皇族は、伝統的に神祇卿宮と呼ばれている。
(この方が神祇卿宮様? という事は……)
今上帝(現在の皇帝)の第二皇子、
神の末裔である皇族は、誰もが優れた容貌の持ち主だと言われている。
高い霊力と強力な神術の理由が納得できた。
「やめてください。今回は公式での訪問ではないので」
頭を下げようとしたら制止された。
「どうして親王殿下がこんな所に……」
「神祇庁の長として、ありのままの里の様子を見てみたかったからです。霊布は神祇官にとっては生命線ですから」
藤澤神祇官改め神祇卿宮はにこやかに答えた。
黙って立っていると人形めいており近寄り難いが、表情が浮かぶと途端に親しみやすくなる。
「あの、宮様お一人のように見えるんですが……」
「俺がここに出向くとなると、かなり大事になるのでこっそり抜け出してきました。今頃バレて大騒ぎになっているでしょうね」
恐る恐る尋ねた勢津子に、神祇卿宮はあっけらかんと答えた。
「そんな! 御身に何かあったら……」
「自分の身は自分で守れますし、いざという時は式神を呼びます。人の護衛より式神の方が頼りになる。裏切りませんから」
式神は術者に使役される妖魔だ。契約神術で縛られているので主人には絶対服従だが、自分より弱い人間に仕える妖魔はいないため、相応の力量が必要になる。
神祇卿宮が微笑むと、彼の影がゆらりと蠢き霊力の圧が増した。
「…………」
勢津子は気圧された表情で沈黙する。
「里長、まずは宮様を屋敷にお連れした方が……」
恐る恐る和雄が発言した。
「……そうですね。当家にご案内いたします。当代の織姫もおりますので」
「いえ、先に結界の点検と修復をやらせていただけませんか?」
「私どもは助かりますが、よろしいのですか?」
「はい」
「ではご案内を……」
「案内役は里長ではなく寧々さんにお願いしたいんですが構いませんか?」
神祇卿宮の指名に寧々は目を見開いた。勢津子も同様だ。
「ね、寧々は山狩りや妖魔への対処で疲れているはずです。不本意かもしれませんが、案内は私にお任せ下さい。普段の結界の維持管理を行っておりますのは私ですし……」
勢津子の声は明らかに動揺していた。
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