灰被りの剣姫と帝國の皇子

森川茉里

序章

「でかい妖魔が出た! 東側だ!」


 叫び声が聞こえてきた時、寧々は守人衆もりびとしゅうの詰所の中で弓の手入れをしていた。


「寧々ちゃん、行けそうか?」


 守人頭である孝雄に目配せされ、寧々は立ち上がりながら頷いた。

 父の形見の刀を腰に佩き、矢筒を背負ったら準備完了だ。手入れを終えたばかりの弓を掴み、詰所を飛び出して里の東を目指す。


 ここ、織部の里は霊布を生産する織物匠の隠れ里だ。

 霊布は護りの霊力を帯びた特殊な布で、神祇官に代表される妖魔と戦う術者の戦装束に用いられている。

 だが、原料の蚕草かいこそうの段階で強い霊力を発しており、それが皮肉にも妖魔を惹きつける。


 守人衆は、蚕草を狙って襲撃してくる妖魔を狩るために、腕に覚えのある里の男達で編成された自警組織である。


 蚕草は蚕の繭のような実を付ける植物で、女性の持つ陰の気を帯びた霊力を込めないと加工できないという性質があった。そのため、この里では性別による役割分担がされている。

 女は蚕草から霊布を生産する織手に、男は守人衆か蚕草の栽培に。

 しかし寧々は、女の身でありながら守人衆に所属せざるを得なかった『訳あり』だった。




 寧々は月明かりを頼りに木々を掻き分け、妖魔が出たという東へと急いだ。すると、野槌のづちと呼ばれる蛇に似た巨大な妖魔が、里を守る結界を破ろうと体当たりを繰り返しているのが視界に入ってきた。

 寧々よりも先に到着していた守人衆が矢を射かけているが、硬い鱗に覆われた野槌にはあまり効いていないようだ。


「もっとやじりに霊力を込めろ」

「待て、寧々が来た!」


 こちらに気付いた若手の守人が声をあげた。


「すまん寧々ちゃん、任せていいか? 俺達の霊力じゃ外皮を貫けない」


 別の中年の守人に頼まれ、寧々は頷いた。


「霊力を込める間は無防備になるから引き付けて欲しい」


 結界内から霊力による攻撃は出来ない。干渉して結界を壊してしまう。

 寧々はなるべく音を立てないように気を付けながら、森の中を移動した。

 結界の外に出ると、途端に濃密な妖気が襲いかかってきて体が重くなる。


 寧々は、草葉の陰に隠れながら精神を集中させ、妖魔の弱点である核の位置を探知しながら、弓射に適した場所を探した。


(ここならよさそう)


 木々の切れ目から核まで射線が通りそうな場所を見つけると、寧々は弓に矢をつがえた。

 そして弓の弦を通して鏃へと霊力を込める。


(かなり硬そうだったな)


 当主の家系に生まれた寧々は、霊力だけは無駄に沢山ある。その全てを一射に込めるつもりで鏃に向かって霊力を放出すると、さすがに無視できないと思ったのか、野槌の顔がこちらを向いた。


(気付かれた!)


 恐怖に身を竦めた途端、爆発音が聞こえた。

 誰かが焙烙玉を投げつけたらしい。

 守人が使うそれは、帝都の神祇官が作った呪符入りの霊具だ。

 値が張る分威力も高く、野槌は怯んだ。


(今だ!)


 野槌の核は頚椎にあたる部分にあった。寧々はしっかりと狙いを付けてそこに向かって矢を放つ。


「グオオオオオオォ……!」


 野槌の悲鳴が響き渡った。


(やった……?)


 核に吸い込まれた矢を確認した直後――。

 のたうち回る野槌から強風が巻き起こった。


「きゃあっ!」


 寧々の体は吹き飛ばされ、至近距離にあった木の幹に叩きつけられる。

 そして、巨体からは信じられない速度でその場を去っていく野槌の姿が見えた。


「駄目っ!」


 手負いで逃がすのは危険だ。野槌は執念深く、自分を傷付けた者を執拗に追い回す習性がある。

 寧々は追いかけようとするが、痛みが酷くて動けなかった。


「寧々ちゃん、大丈夫か!?」


 寧々より一足遅れて駆け付けてきた孝雄が声を掛けてきた。


「頭、ごめんなさい、核に当たったと思ったんだけど威力が足りなかった」


「あれは仕方ない。あんなに攻撃が通らないと思わなかった。また来るだろうから、次は霊具を出し惜しみしないようにしないとな……」


 孝雄の発言に寧々は肩を落とした。


(私は霊力だけが取り柄なのに……)


 だからしっかりと一撃で仕留めなければいけなかった。

 寧々は心の中でつぶやくと、弓をぎゅっと握り締めた。




   ◆ ◆ ◆




 強く打った背中の治療を終え、帰宅した寧々を待っていたのは、母・勢津子からの叱責だった。


「あなたが足を引っ張って野槌を取り逃したそうね。手負いの野槌の恐ろしさはわかっているでしょうに……」


「いや、逃がしたのは寧々ちゃんのせいと言う訳では……むしろあいつに通る攻撃ができたのは寧々ちゃんだけで……。寧々ちゃんがいれば霊具の節約になると思った俺達もいけなかったんだ」


 報告を兼ねて同行していた孝雄の発言を、勢津子は一笑に付した。


「庇わなくていいんですよ、孝雄さん。この子の鈍臭さは親の私が誰よりもわかってるんですから」


 寧々を貶めながら勢津子は冷たい視線をこちらに向かって投げかけてきた。


「報告はもう充分ですからお帰りになって。強い妖魔の相手をして孝雄さんもお疲れでしょう? 寧々も早く入浴して休みなさい」


 勢津子は強引に話を切り上げて踵を返した。


「里長は相変わらずだな。うまく説明できなくてすまない」


 勢津子の姿が屋敷の中に消えると、孝雄はつぶやきながら寧々の頭に手を乗せた。


「いつもの事なので気にしていません。お気遣いありがとうございます、頭」


 寧々は孝雄に笑いかけると、聞く耳を持たない母の態度を謝罪した。


 古くから生計を支えてきたのは霊布なので、織部の里では女の発言力がとても強い。代々の里長も本家に生まれた女が就くのが習わしだ。


 織手が上で守人は下。里ではそういう意識が根付いていた。


 勢津子の当たりがきついのは、寧々が無能なせいだ。

 まず、寧々には霊布作りの才能がなかった。

 どんなに努力をしても蚕草は言う事を聞いてくれず、貴重な材料を無駄にする寧々に、勢津子は早々に匙を投げた。


 一方で生まれつき霊力は豊富だったので、両親は寧々を守人にした。女の身でただ一人守人衆に所属しているのはこういう事情があったからだ。寧々は先代の守人頭だった父に厳しく鍛えられた。


 その父が健在だった時は、家の中の雰囲気は決して悪くなかった。

 勢津子は寧々よりも優秀な織手としての才能を示した妹を贔屓しがちだったけれど、父がその分寧々を可愛がってくれたからだ。

 しかし、父が妖魔から里を守るために命を落とすと、家の中の空気は最悪になった。


「今日はしっかり養生するんだぞ」


 孝雄は寧々をねぎらうと、自分の家へと帰っていった。

 寧々は彼の背中を見送ってから屋敷の裏へと移動する。


 正面からではなく勝手口に回ったのは、既に夜が更けていて家人を起こすのは悪いと思ったからだが、中に入ると運悪く妹の美栄に出くわした。

 どうやら水を飲むために起き出してきたらしい。


「嫌だ、臭いと思ったらお姉様じゃない」


 美栄は顔を顰めると着物の袖で鼻から下を覆った。


「汗と妖気の穢れの臭いがするわ。早く行ってよ」


 母の当たりがきついから、自然と妹もその真似をするようになった。


 だけど仕方ない。美栄は当代一番の織手に贈られる『織姫』の称号を手に入れた優秀な跡取りだ。

 織手になれなかった寧々は長女でも当主にはなれない。

 守人として外を走り回っている寧々が浅黒く焼けており、傷だらけで、女らしいとはお世辞にも言えない見た目なのに対し、美栄は透明感のある美少女だ。

 母から整った容姿と才能を受け継いだ妹には何もかも劣っている上のだから、馬鹿にされても当然である。

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