3-3 声楽に燻るグィンシンガー

「え?」

 僕は頭に叩き込んだ楽譜を、声でアウトプットしてきたはずだが。

 そう思う僕を嘲笑うように、画面に出された採点は58点。


「だってさ、何かこう、音程がまるで合ってへんっていうか」小原くんは言う。

「リズム感は素晴らしいし、スキャットは良かったんだけど」と、響歌ちゃんが続く。

「全体として、2音上にズレてた」そう分析したのは、祷さんだ。


「あれ、絶対音感あるんやなかったのか?」

 小原くんは困ったように訊く。

 響歌ちゃんはギターを出して、適当に1つ音を鳴らした。「この音は?」

だね」

「じゃ、これは?」

シャープ」」

「あってる。絶対音感はホントにあるみたいだね」

 響歌ちゃんも困り顔だ。

「絶対音感ある人って、歌が上手いんやないの?」

「絶対音感と歌が上手かどうかってのは、全くの別物だよ」と、祷さんがバッサリ言う。「絶対音感があるというのは、正確ながあるだけで、その的にボールをぶつけることができるかどうかは別物なの。正確な音を発生するという技術を磨く必要があるんだよ」

「「ああ、なるほど!」」

 響歌ちゃんと小原くんは声を揃えて納得している。


「どっちかと言うと、アカペラやるなら、『相対音感』が必要なんじゃないかな。相対音感ってのは、ある音を基準にして、他の音がどれくらい離れているかを認識する力のことね。アタシも鍛えて、少しは身に付いたから、恩地くんの歌が2音離れていることが分かったけど、アカペラってまさにそれが大事で、主旋律に対して自分の歌うべき音が分からなくなると、ユニゾンになったり不協和音になったりするんだよ」

「ユニゾン?」

「ユニゾンってのは、ボーカルとコーラスが同じ音程ってことね」

「へぇ、相対音感ってのは聞いたことなかった」

 小原くんは、目を丸くしている。


「何とかなるもんなんかな?」今度は響歌ちゃんが聞いた。

「さっきも言ったように、相対音感は鍛えることはできる。絶対音感ってのは、基本的に小さいときにしか養えないって聞くけど、相対音感は大人になってからでもトレーニングできる」


「でも、ショックだな。てっきり、僕、歌は下手ではないと思ってたからさ」

 これは本音だった。意気揚々とみんなを誘っておいて、誘った本人が、平均以下の歌唱力だなんてお笑いぐさだ。

「いや、リズム感は良かったし、滑舌も良かった。あと、たぶん声域も広い。早口のところは、完璧とは言わないまでも、しっかり発音が追いついてた。実は、ラップとか得意なんじゃないの?」

「ラップ? 確かに、家では歌ったりするけど」

「歌える?」

 僕は、即座に脳内のジュークボックスから1曲取り出す。伴奏なし、即興でラップの曲を歌ってみた。

「歌えてる! これ難しい曲だろ? アタシ、めっちゃ練習したけど、苦労したやつ!」という、響歌ちゃんの評価。

「でもさ、ア・カペラにラップという役割はなくね?」

「いいんだよ。強みとして取っておけば。例えばラップのハーモニーがある歌とかをチョイスすれば、恩地くんの強みが生きる! 音痴も克服ができるから頑張ればいい!」

 僕は、自分の音痴であるということを知ってしまい落ち込んでいたが、祷さんはそんな不安を一蹴するかのように言った。つとめて僕は表には出さなかったが、すごくありがたかった。

「僕はどういう練習をすれば、音痴を克服できる?」

「本当は、プロのボイストレーナーのところで特訓するのがいいけど、初歩的なことなら私も勉強しているから、私が付き合ったげる!」

 祷さんがそのように言うと、一瞬その場が静まり返った。

「あ、え? 変な誤解しないでよ!? 私は、音痴と言われて歌の自信を失うのがいたたまれないだけなの。じゃ、次、歌を合わせる練習するよ」

 そう言う祷さんは、少し顔が紅くなっていた。


🎼♪♫♬🎤🎼♪♫♬🎤🎼♪♫♬🎤🎼♪♫♬🎤🎼♪♫♬🎤🎼♪♫♬🎤🎼♪♫♬🎤🎼♪


 僕の音痴は予定外だったが、他の3人の歌声は想像以上だった。

 祷さんはさすが声楽をやっているだけあって、あの小さい身体から信じられないくらいの声量で歌を奏でる。

 響歌ちゃんは、ガールズバンドや路上ライブをしているから、歌はこなれていた。声域は広いし、ロックやメタルなど、力強い歌がとにかくカッコいい。

 そして、いちばん意外だったのが小原くんだ。高いパートは苦しそうだが、反面、低音は本物のベースを奏でているかのような錯覚を受ける。音程はもちろんのことリズムも正確だ。ボイスパーカッションをつけてセッションしてほしいくらいだ。


 我ながら、人集めは順調だ。重ねて、お荷物が自分であることに不甲斐なさを感じる。


 最寄りの駅で解散する。僕も改札を通ろうとしたときだ。

 祷さんが僕のシャツの袖を引っ張る。

「まだ、時間あるよね?」

「え、あ、はい」

 有無を言わさぬ物言いに、僕は少し気圧けおされた。彼女は彫りが深いし目力めぢからもある。小原くんとは別のベクトルで、迫力がある。


「私さぁ、この近くに住んでるから、悪いけどあそこでいい?」

 祷さんは近くに見えたマック・ドナルドを指差した。

「いいよ」

 

 夕方6時近くだからか、店内は大学生やら高校生で賑わっていた。


「何がいい?」

「え?」

「私、先輩だから、おごるよ」

「ええ? そんな悪いよ。ってか、僕、先輩なのにタメ語だし、ってかタメ語でいいよって言ってくれたのに、こんなときだけ先輩っぽく奢るなんて」

「あなた、妙なところで律儀なのね。別に、先輩風吹かせたいわけじゃないって。私が付き合わせてるんだし、奢りたいから奢る。それだけ。ってか、安いものでごめんね」

「じゃ、じゃあ、アイスコーヒーのSでお願いします」

「何、遠慮してる? MでもLでも頼みたいの頼んじゃえばいいじゃない?」

「じゃあMで」

「急に借りてきた猫みたいになったね」

 祷さんは鈴を転がすように笑う。


 ありがたくごちそうになって、2人席に座る。


「大丈夫だった?」

「何が?」

 祷さんが、急にそんなことを言うので、何事かと思った。

「その、自分が音痴だって言われて」

「そりゃ、多少はショックだったけど」

 でも、それは自己責任だ。ア・カペラやるって心に決めたのに、自分の歌の精度を上げてこなかったのだ。逆にみんなに迷惑をかけてしまっている。


「私はさ、声楽をやってるわけじゃん。人が音痴だって貶されて自信を失っていく姿が、耐えられないんだよ。声楽の同級生も、音痴だって言われて辞めてった子も見てきたし」

「声楽やってて音痴!?」

「求めるレベルが高いから、ちょっとしたミスでも、音痴だと言って評価を下げようとする奴もいる。かくいう私も、そう言われてきた人間だから」

「祷さんが音痴なら、世の中のほぼ全員音痴になるよ!」

「ははは、ありがとう。アタシさ、島育ちでグィンを体得してるけど、その歌い方は、オペラをやる上で邪魔なものなんだよ。特に最初は、感情を込めると意図せず声がファルセットへ裏返ったりして、ボコスコに言われたよ。これが落ちこぼれと言われる所以ゆえん。やっと苦労して、何とか声が裏返らないようにコントロールできるようになってきたけど」

「そ、そうなんだね」

 祷さんともいう人でも、その道を目指す人の集まりの中では、落ちこぼれという烙印らくいんを押されてしまうのだ。


「だからそう、恩地くんには、自信を失くしてもらいたくないんだよ」

「ありがとうございます。祷さんって優しいんですね」

「何? ひょっとしてこの私が優しくないとでも思ったの?」

「いや、そうじゃなくって。でも、会って間もないし、歌のプロを目指してるのなら、正直バカにされないかって不安はあった」

 それは本音だった。果敢にも、芸術キャンパスに突撃したけど、音大生からすれば、所詮は素人集団。見下される可能性はあった。

 でも、ア・カペラで頂上を目指す上で、声楽科の力は魅力的だった。意を決して芸術キャンパスに行って良かったと思っている。


「でね、もう一つ大事なことを言うと、私は、恩地くんが決して音痴じゃないと思ってる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る