3-1 声楽に燻るグィンシンガー

「やっぱさぁ、本気でアカペラやりたいんならさぁ、音楽学部の人間に当たってみない手はないんじゃないの?」

 響歌ちゃんは言った。

「音楽学部? そんなのあったっけ?」

「まさか!? 知らんかったの? キャンパスはちょっと離れてるけど、あるんだって!」


 響歌ちゃんによると、ここから電車と徒歩で20分弱離れたところに芸術キャンパスがあるらしい。音楽や美術など、芸術に特化した学部が独立して存在して、世界で活躍する演奏家、歌手、画家、彫刻家なども輩出しているとか。


「まじか? そりゃ敷居高くないか?」

 そう言ったのは、小原くんだ。「だって、俺ら、まだ集まったばかりの素人集団やないか」


「そうだけど、トップを目指すなら、1人くらい声楽のガチ勢がいてもいいかもね!」

「ボイトレをしてるだろうから、アタシたちにもメリットあると思う」

 響歌ちゃんと僕は、概ね意見が一致しているようだ。2対1。悪いけど、小原くんにも音楽学部に付き合ってもらう。

「そうと決まったら、さっそく行こうよ!」

「ほんまに? お前ら、行動力あるなぁ」


 芸術キャンパスは、僕たちがいる本部キャンパスとは、どこか雰囲気を異にしていた。何というのか、ワチャワチャ、ガヤガヤした感じはなく、学部棟のたたずまいから、楽器や画材を持ち歩く学生までどことなく厳粛な感じすらする。

「やっぱ、本部キャンパスで探さへん?」小原くんは弱気だ。

「ここまで来て引き返すの? まずアプローチしてみて、ダメだったら考えりゃいいじゃない?」

 

 響歌ちゃんの意気込みはありがたい。もっと消極的な女の子だと思ったけど、形は違えど、同じ音楽に情熱を捧げる仲間を見つけ、そして一緒に活動する歓びを再認識したのかもしれない。


 とは言え、サークル活動をしているような様子はない。まして、クラブ勧誘活動している人はいない。

 仕方がないので、声楽学科の人の授業かレッスンかが終わるのを待つことにした。学生を出待ちして、声をかけられるだけかけてみるしかないのかもしれない。

「1人くらい、オペラに馴染めない落ちこぼれた子が、僕らに興味示してくれるかもしれないじゃんね」

「さっきから、そのたまに出る、失礼な表現は何なん?」

 最近では、小原くんのツッコミのキレも良くなってきたような気がする。


 しかし、失礼かどうかは置いといて、本当に声楽の優等生は、正直僕らに見向きもしないだろう。声楽は好きだけど、素人のア・カペラ集団にも浮気しちゃうような、ある意味アウトローな人の方が、馴染んでくれるんじゃないかと僕は勝手に思っていた。


「あ、あれが、声楽科の学生じゃない?」

 響歌ちゃんが言う。楽譜を手に持った学生がぞろぞろと棟から出てくる。音楽学部であることは間違いないが、楽器を持っていないところ、そして決め手は、ボイスケア用ののど飴を手に持って舐めている人がいることから、声楽科だと判断した。


「みなさーん! 本学の1年生で結成中のア・カペラグループです! 僕らとア・カペラやりませんかぁ!?」


「なんか恥ずかし……」

 小原くんは両手で顔を隠した。「相手は俺らよりずっと、玄人くろうとやぞ」

「何言ってんだよ。『恥は掻き捨て』って言うだろう?」

「ことわざの使い方、ちごてるで」

「細かいことは気にするな♪」

 僕は、芸人のノリで切り返し、再び声楽科の学生への声かけを続ける。


「こいつの行動力の強さと羞恥心しゅうちしんを乗り越える神経の図太さはすごい。ほんま、ある意味尊敬するわ」

「いやいや、芸人マインドとしては、案外必要なんじゃないの」

 横で、響歌ちゃんが小原くんを諭している。

「ある意味、アタシも、そういうつまらないプライドが、結果として夢を見続ける邪魔をしたんじゃないかと思う。いま思うと、高校の時のバンド仲間とも普段からちょっとギスギスしていて、変なプライドが関係を悪化させていったんかないかってね。恩地って子、だいぶ変わってるけど、見習わないといかんところもあると思うよ、アタシは……」

「せやな」

「アタシも、過去の失敗は繰り返さないようにするよ。ほら、小原くんも声出すよ!」

 響歌ちゃんと一緒に、小原くんも、勇気を出して声楽科の子に声をかけてくれるようになった。


 しかしながら、そうは簡単に、声楽科の学生は話を聞いてくれなかった。

「せめて、チラシくらい用意しておいたほうが良かったかな」と僕は言った。

「チラシが無いのは確かに致命的やけど、チラシがあったとして、声楽科の学生は、興味を示してくれへんと思う」

 小原くんは、泣きそうな顔をしていた。


 そんな時──。

「ちょっと話を聞かせてくんない?」


 現れたのは、黒髪で小柄。化粧っ気はないが、彫りが深いエキゾチックな顔立ちの女子学生だった。

「あなた、アカペラのメンバー集めてんの?」

「そ、そうです」僕は、彼女の勢いの良さに押されながら答えた。

「アタシは、島では歌のエリートで、天使の唄者うたしゃと呼ばれたけど、大学ここでは落ちこぼれなんだよ。何とか、起死回生したい!」

「落ちこぼれキター!」

「失礼やろが!」

 喜んだ直後0.05秒のスピードで、鋭いツッコミが飛んできた。


 とは言っても、『落ちこぼれ』ってのは明るい話じゃない。

「話を聞かせて、と言ってくれて嬉しいけど、どうして落ちこぼれなの?」

「……天才と秀才の違いって何だと思う?」少しの間を置いて、音大生は質問を質問で返してきた。

「天才は努力しなくてもできちゃう人、秀才は努力して成し遂げる人、かな?」

 響歌ちゃんが言った。それは、まぁ一般的な答えだと思うけど。


「そこまではよく言われていること。でももう一段奥があるんだな」

 指を振り、チッチと舌打ちしながら楽しそうに答える。見た目とは裏腹に、キャラは明るいのかも知れない。


「……本当の天才ってのは才能の土台があって人並み以上に努力できる人のこと」

「じゃあ秀才は?」

「天才には絶対に勝てないやつのこと。まぁアタシがそう。自分で秀才って言っちゃってるのは痛いけどね」


 彼女はあっけらかんとそう言うけれど、僕にはそれがなんだか羨ましい。


我那覇がなはさん! 僕は、天才は努力次第で超天才にも落ちこぼれにもなるもの。秀才は、超天才にはならないかもしれないけど、落ちこぼれないもの、だと思う」


「我那覇さん?」

「誰やん?」


 響歌ちゃんと小原くんの2人から同時ツッコミを受けた。なぜか僕の中では、彼女の名前が『我那覇さん』にしか思えなかったのだ。

「だって、沖縄っぽい感じがしたし」僕はこともなげに言った。

「確かに羨ましいくらい目鼻立ちがキレイけど、出身地決め打ちかよ!」

「出身地どころか、名前も決め打ちやんか!」


 2人からツッコミを受けまくる中、当の『我那覇さん(仮名)』からは意外な回答が返ってきた。

「沖縄かぁ、惜しいな。でも、私、ここいらじゃ、たぶん相当珍しい苗字」

「何ていうの?」

いのりって言うの? 珍しいでしょ?」

友利ともり? やっぱり沖縄なんだ」

 沖縄出身の有名人で、『友利』さんという人が何人かいることを思い出す。

「友利じゃない! 祷だって! 聞こえてた? ちなみに、沖縄じゃないし!」

 とうとう、本人からもツッコミの受ける。

「どこなん?」

奄美群島あまみぐんとう加計呂麻島かけろまじまってとこ? 知らんでしょ?」

「知ってるよ。皆既日食がみられたとこだっけ」

「それは悪石島あくせきじま。あなた、微妙なところズレてんな」


「こら、さっきから恩地の変な発言で、話が前に進まんがな。すまんな」

 小原くんは、祷さんに謝った。


「私はこー見えて歌は上手かったのよ。民謡もシャンソンも演歌もポップスも。他の子がどんなに練習したって、私の足元にも及ばんくらい。高校は大島おおしまだったけど、それでも歌うことにおいて私の右に出る人はいなかった」

「それはすごいじゃん! どこが落ちこぼれなんだよ?」僕は尋ねた。

「でも所詮、井の中のかわず。音楽の道で食っていきたいと思って、親を説得して、上京して音大に入ったは良かったけど、正真正銘の歌の天才がうじゃうじゃいたわ」


「でも、我那覇……じゃなかった、祷さんだっけ? 夢に向かって倍率の高い音大に入れるってだけでりっぱな天才じゃないか。祷さんはその中の1人じゃないのか」

 そうはっきりと言ってやった。それは、親の意向のままレールに載せられてきた僕の嫉妬心の現れかもしれない。

 でも、その言葉が祷さんにとって重荷にしてかならないのは目に見えていた。


 いったい彼女に何があったんだ?

 彼女の自信を根こそぎ奪っちゃうような、どんな出来事があったんだ?


「私が生まれ育った奄美地方って、その土地に伝わる独特な歌い方が身体に染み付いてるんよ。グィンって知ってる?」

「吟?」

「ま、説明したところで、伝わりにくいから聞かせたほうが早い」


 そう言って、祷さんは、キャンパスの中で人目をはばからず、突然ア・カペラで歌い始めた。

「何これ……」

 一つの声に鈴が転がるような独特な、コブシと呼ぶには柔らかく、ビブラートと呼ぶには細やかな、不思議なゆらぎ。人の感覚に心地よさをもたらすリズムは、1/fエフぶんのいちゆらぎというやつだろうか。


 すぐさまこの歌声に僕は酔いしれた。

「すげぇ! さすがは音大」同じく音楽の道を志していた響歌ちゃんも感嘆する。

 しかし、祷さんは、眉をひそめた。

「いま歌ってみて思った。グィンは、アカペラでハーモニーを奏でるには、ちょっと浮いてるような気がする。あなたの話を聞いてみたいと思ったけど、やっぱやめとくよ」

 いや、ダメだ、そんなこと言っちゃ。僕は奇跡の出会いの縁を離したくはなかった。

「どうしても祷さんに協力してほしいんだ!」


「諦めな。てかさ、急に熱くなりすぎ。吟は、残念ながら奄美民謡にしか馴染まない。アカペラにもオペラにもそぐわない、使い勝手の悪い武器なんだよ」

「そんなことない!」

 自分から名乗り出ておいて、諦めな、はないだろう、と思いながら、僕はもがく。

「あなたたちのその熱意は嬉しいけど、なんか色々と諦めがついた。退学して親の仕事手伝おうかな」

 ああ、何と言って君を引き留めればいいか分からない。

 僕は、変な悔しさに拳をギュッと握りしめる。

 祷さんはもっともっと高く飛べる人なのに。


「でもさ、誘ってくれたのは嬉しかったよ。それじゃあね!」

 君は何でもないことのように飄々ひょうひょうとして、誰からも好かれるさわやかな笑顔を残して、ひらひらと手を振って去っていく。


「そんなんでええのか? 祷さんは親を説き伏せて、歌の世界で大成するって啖呵たんかを切ってきたんやろ!?」

 小原くんが、バリトンボイスで、でも力強く叫んだ。

「変われるよ。恩地は変わってんけど、きっと何かを成し遂げてくれる不思議な魅力があるんや! せやから、俺たちと一緒に、夢の続きを見てくれへんか?」


 小原くんがそこまで言ってくれたのは正直意外だったけど、僕は嬉しかった。僕からももう一度頼むしかない。

「僕は、君の歌声に震えたよ。ぜひ、リードボーカルをやってほしい! だって、僕はヒロインの登場をずっと待ってたんだから!」

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